『遠くからの神』に晒されて — 預言者エレミア 片柳榮一
主題講演
エレミヤという預言者について語るということが如何に大それたことであるかに、あらためて気づかされ、口ごもりをおぼえています。エレミヤは旧約の代表的預言者であり、また極めて激動した時代に最も悲劇的な生涯を送った預言者でもあります。その巨大さ、厳しさを思うと、遠くに遥かな雪山を仰ぐときのような厳粛さを覚えます。しかし考えてみると、現代を生きる私たち自身、これまでにない激動に世界が巻き込まれていることを日々、感じています。エレミヤが警告する危機と裁きが人ごとでない感をひしひしと覚えさせられます。滅亡に面したエルサレムは、私たちの世界全体であるとさえ思わされます。そのような思いを抱きながらエレミヤの言葉に耳を傾けたいと思います。
Ⅰ その生涯
第一期の活動(召命から、ヨシヤ王の死まで)。
エレミヤは紀元前650年頃、ベニヤミンの地アナトトのレビ人祭司ヒルキヤの子として生まれます。エレミヤの召命は、ヨシヤ王の13年(626年)であるとエレミヤ書の冒頭に記されています(1章2節)。ヨシヤ王の有名な宗教改革は621年であり、エレミヤの召命はこれに少し先だっています。
この改革は、申命記法典の発見を契機としますが、この改革はアッシリアからの独立運動の面も強く、制度的、政治的な色彩が色濃く出ています。
アッシリアは、新バビロニアのナボポラッセルの勃興以来急速に衰えて行きました。612年にアッシリアの首都ニネヴェはついに陥落します。609年、エジプト王ネコが、メソポタミアに勢力を伸ばそうと、瀕死のアッシリアを助けるために、東上してきたので、ヨシヤ王はこれを迎え撃とうとしてメギドの峠で戦死し、宗教改革も頓挫してしまいます。ユダの豪族たちはヨシヤの子ヨアハズを王にしますが、治世3か月でネコにより廃位させられ、もう一人のヨシヤの子、ヨヤキムが王となります。
第二期の活動(ヨヤキム王の治世から、第一回捕囚まで)。
ヨシヤ王の宗教改革の根底には12部族の宗教連合という理念があったと言われますが、これと対立するダビデ王朝の永遠性をヨヤキムは理念として掲げたと思われます。7章及び36章の神殿説教にみられるような国家権力に対するエレミヤの厳しい批判がこの時期の特徴と言えます。
バビロニアに服従していたヨヤキム王は、エジプトの誘いで背きます(601年)。しかしすぐにヨヤキム王は死亡し、第一回の捕囚という代償は597年、その子エホヤキンにふりかかり、バビロンに連行されます。
第三期の活動(597―587年)。
ヨシヤのもう一人の子マタテヤがゼデキヤ王としてバビロニア王ネブカドネツァルによって立てられます(597年)。エレミヤはひたすらバビロニアに服従することを訴えます。それは多くの純粋主義者に裏切り者との憤激をかいます。エジプト王ホフラ(588―569年)の登場は、ユダ国内の新エジプト勢力を勢いづけ、ゼデキヤも抗しえず、ついに反バビロニア同盟に加わります。588年にバビロニアによって包囲され、足掛け3年後、587年7月エルサレムは陥落します。占領されたエルサレムは総督ゲダリヤによって統治されますが、587年暗殺されます。報復を恐れてエジプトに逃亡するユダの人々によってエレミヤは連行され、伝説では、エジプトで石打により殺されたとされています。
Ⅱ 預言者エレミヤの告知の基本的特徴
この預言者の第一の特徴は、彼が面していた神の異様な真近さであろうと思います。それは、エレミヤの召命記事で第一に語られることです。「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた」(1:5)。母の胎内に造る前とは、わたしが存在する前ということです。私が私を知るよりも以前にエレミヤの神は、エレミヤを知っていたと言います。「知る」ということは身近さを内側にもつことであり、私は私に内側から接しています。しかしエレミヤの神は、私が私に近いよりももっと真近に、もっと内側に存することになります。さらに続けて語られます。「母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」(1:5)。私たちは自分が生を受けて何を自分の仕事としてなしてゆくべきかにいろいろと悩みます。エレミヤもこの召命の時期、若者としてあれこれ何をなすべきかと煩悶していたでしょう。そのような怖じ惑いに対して、神の応答は、「わたしはお前が生まれる前から、預言者、しかも世界に開かれたところで、預言者として立てることに定めている」というのです。まさに有無を言わさぬ言葉です。そして「若者」であることを理由に神の召命を逃れようとするエレミヤに神は「わたしがあなたを誰の所に遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ」と言われます。ここは「行け、語れ」と訳されていますが、命令形ではなく、未来をも表しうる未完了形です。必ずそうなるとも訳せるでしょう。エレミヤに抗しがたく神は迫っています。あるいはこのような召命の表現自身、エレミヤが自らの召命体験を思い出し、反省する中で、少しずつ彫琢され、形をなしたものかもしれません。しかしエレミヤの体験の核となるものは、この厳然として迫りくる神の定めとして、エレミヤに衝撃を与えたものだったことは疑いえません。
この神の絶対的先行性はしかし、人間が神の前で、何ら自由を持たず、操り人形のような存在だというのではありません。人間に自由がなく、すべては既に(つまり過去において)決まっているというのではないでしょう。そうではなく、ここでエレミヤ(そして私たち)が立たされている「今」は、かぎりなく続く時間の中の、単なる一つではなく、過ぎ去り行かない絶対的な神の前の「今」であり、この神から問いかけられ、その神への応答として、自らの決断が、絶対的なものとしてなされているということだと思います。そのような絶対的なものの前にエレミヤは立たされているのだと思います。
エレミヤは日々現実に出会う出来事のうちに、神の語り掛け、呼びかけを感じていたのでしょう。それらが積み重なって行く中で、聞き分けがたかった雑音が、一つの、まぎれもない「呼びかけ」として彼の心に澄み渡って響いてきたのでしょう。このように耳を澄まして「呼びかけ」を聞き分け、それを自らに対する「問いかけ」として受けとめ、それに自らの歩みにおいて「応答する」在り方が、エレミヤの信仰であり、この全体がエレミヤの「真摯さ」であったと思います。
我々がエレミヤから学ぶ第一のことは、この「呼びかけ―応答」の流れの中へ踏み出すことでしょう。この果てしない宇宙の片隅で生きるのでしかない私たちですが、なお「傍観者」としてこの流れの全体を、ながめ鑑賞することは究極的にはできないでしょうし、許されないでしょうし、私たち自身が実は望んでいないのです。この私たちの意志の根底を素直に認めて、この生の「中」に入ってゆくこと、つまり自分自身の一回限りの生として生きてゆくことを引き受けること、それが私たちの始め得る第一のことであると思います。それが「呼びかけ」を聞くことであり、それに「応答する」ことであると思います。そしてそのようにして、この生に真向かうこと、それが「真摯さ」ということだろうと思います。エレミヤの生もそのような「真摯さ」をめぐってのものだったように思えます。
Ⅲ ユダの民に対する預言者エレミヤの勧告の中核
エレミヤが常に立ち帰るイスラエル宗教の原点ともいえるものが2章の始めに記されています。「主の言葉がわたしに臨んだ。行って、エルサレムの人々に呼びかけ、耳を傾けさせよ。主はこう言われる。わたしは、あなたの若い時の真心(ヘセド)、花嫁のときの愛(アハブ)、種まかれぬ地、荒れ野での従順(レケト)を思い起こす。イスラエルは主にささげられたもの、収穫の初穂であった。それを食べる者は罰せられ、災いを被った、と主は言われる」(2:1〜3)。ここにはイスラエル民族の神に対する関係の原点とも言えるものが初々しく、ホセアを思わせる筆致で描き出されています。荒野の貧しさの中で、生み出された神への純粋な信仰です。そしてエレミヤが求めるのは、この原初の純粋な信仰です。このエレミヤの求めは、エレミヤが好んで用いた言葉に現われています。私たちがよく知っているへブル語の動詞アーメンから派生した名詞エメト(まこと)やエームナー(真実)と言う言葉です。「もしあなたが真実(エメト)と公平(ミシュパト)と正義(ツェダカー)をもって『主は生きておられる』と誓うなら、諸国の民は、あなたを通して祝福を受け、あなたを誇りとする」(4:2)。「エルサレムの通りを巡り、よく見て、悟るがよい。広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか、正義(ミシュパト)を行い、真実(エームナー)を求める者が」(5:1)。
エメト、エームナーへのエレミヤのこだわりからも、いかにエレミヤにとって、主ヤーヴェへの心の「真実さ」とでもいえるものが大切であったかが、窺い知れます。そしてこの真実さを、イスラエル(ユダ)の民が失っていることがエレミヤにとって、民族の危機の最大のものであったのだと思います。
Ⅳ エレミヤが面した民の宗教的現状
1.背信の女イスラエルと裏切りの女ユダ(3:6〜11)。
背信のイスラエル(721年にアッシリアにより滅亡させられる)と裏切りのユダとの対比は印象的です。「背信の女イスラエルが姦淫したのを見て、わたしは彼女を離別し、離縁状を渡した。しかし、裏切りの女であるその姉妹ユダは恐れるどころか、その淫行を続けた。……裏切りの女ユダに比べれば、背信の女イスラエルは正しかった(ツェダカー)」(3:8〜11)。これは衝撃的な言葉です。イスラエルは神に背いた者として、厳しい裁きをアッシリアによる滅亡という悲劇を通して受けました。それに対して、ユダは、ヨシヤ王の宗教改革を通して、表面的には、異教の礼拝を廃し、申命記に即して正しい礼拝をしている如くです。しかしエレミヤの目にはこれは表面を整えただけであり、堕落は深いところに潜んでおり、それを覆い隠している様は、まさに「裏切り」であると見えたのでしょう。ユダの方がその背信の度は深く、より深刻だというのです。
2.社会全体に蔓延する「欺き」。
ユダの背信は表面的な信心深さと重なっています。「『主は生きておられる』と言って誓うからこそ、彼らの誓いは偽りの誓いとなる
のだ」(5:2)。指導者も民もそのような欺瞞の中にあるとエレミヤには映っていました。「預言者は偽りの預言をし、祭司はその手に富をかき集め、わたしの民はそれを喜んでいる。その果てに、お前たちはどうするつもりか」(5:31)。「身分の低い者から高い者に至るまで、皆、利をむさぼり、預言者から祭司に至るまで皆、欺く。彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに『平和、平和』と言う」(6:13〜14)。
3.神への背信。
それは生ける水の源から離れ去ることであると言われます。「まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜めを掘った。水をためることのできないこわれた水溜めを」(2:13)。「イスラエルの希望である主よ。あなたを捨てる者は、皆、辱めを受ける。あなたを離れ去る者は、地下に行く者として記される。生ける水の源である主を捨てたからだ」(17:13)。ここで命の水と言われていますが、「命」も「水」も単なる物質と考えるべきではないでしょう。先にも述べましたが、人間の生の根底には、呼びかけに対する応答の関係があり、それが「人格的」と言われるものであり、その正しい在り方が「真摯さ」です。そしてその「真摯さ」の源なる神がここで問題になっているのです。
「真摯さ」とは何かを思います。先ほど、この生の「中に入ってゆく」ようにとの「呼びかけ」を聞き取り、それに「応答する」ことが真摯さの根本にあると言いました。しかし人間は単に自分だけでは、どんなに一生懸命励んだとしても、どこか全体を「チャラ」にし、壊してしまいたくなるような空洞を抱えています。そのような自分への閉じこもりを抜け出し、「他者」の前に、真に立たされるとき、真に「真摯さ」が問われてくるのだと思います。もちろんこの他者が「世間の人」であるなら、「真摯さ」はいつも「お芝居」となる可能性を秘めています。世間相手の「真面目さ」は、いつもナルシシズムと偽善に囲まれています。そのような世間に対しては「真摯さ」は隠されていなければなりません。一回限りの「生」と言っても、自分だけでこれを生きようとするとき、すぐに腐敗しかねません。そのような腐敗の危険のただ中で「真摯さ」は求められており、だからこそ「生ける水の源」としての他者としての神が求められているのです。
Ⅴ 預言者としてのエレミヤの活動
エレミヤの預言者活動は独特の困難さを持っていました。アッシリアが倒され、ユダ王国は政治的自立回復への期待に満たされていました。そして同時にアッシリアへの従属から負わされた異教の偶像礼拝からも解放される望みが生まれました。そこととヨシヤ王の宗教改革は深く関係していました。申命記法典の新たな発見に伴う改革は、しかしエレミヤにとっては、なお制度的なものにとどまっていたと見えたのでしょう。エレミヤが常に問題にした、内面の宗教的「誠実さ」が真に伴っているとは見えなかったのでしょう。それが先に見たように、「誠実さ」を欠いた宗教活動に対するエレミヤの厳しい批判だったのです。
そしてもう一つの問題は、純粋なヤーヴェ礼拝を求めての異教排斥は、また同時にユダ王国の政治的自立への問題と深くつながっていたことです。この後ユダ王国がバビロンとエジプトの間で右往左往するのは、一方で宗教的純粋さを求めての自立と政治的独立が深く絡み合った中での模索であった故と言えます。エレミヤの悲劇は宗教的純粋さを求めながら、それを貫徹するために政治的にも独立を求めるという道が閉ざされていることを見抜いていたことにあります。そのため純粋主義者からは、エレミヤは、バビロンに従属する売国奴と非難され、命を狙われることになったのです。
エレミヤの預言者としての多くの批判的な活動のうち、最も印象的な箇所を一つ見ておきたいと思います。それはエホヤキムの治世の始め609―8年頃為された極めて厳しい批判です(7:1~15、26:1~6)。「万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」(7:3~4)。エルサレムの神殿に参るいわば極めて信心深い人々に対して、日々の自らの生活における真摯さのない神殿参りをすれば、済まされるということではないと厳しく語るのです。「主の神殿」と三度繰り返されているところにも、人々の呪術的心性が感じられます。
Ⅵ 未来に対するエレミヤの希望
31章31~34節の「新しい契約」の思想がエレミヤ自身のもの
か、後のものか、議論の多いところです。「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導きだしたときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪を心に留めることはない」(31:31~34)。「律法を人々の心に記す」という究極な、終末的とも言える直接性は、具体的な歴史社会の中でもみくちゃにされたエレミヤには、少しそぐわないように思われますが、エルサレムの滅亡は、エレミヤにとって、イスラエル民族に対する決定的な主ヤーヴェの裁きの言葉であり、これまでの契約が破棄されたとエレミヤが極めて深刻に受け取ったと考えるべきであり、その絶望の上に、「新しい契約」の幻はあるのです。その意味ではエレミヤにこの「新しい契約」への希望の芽生えを見ることはできるでしょう。
しかしエレミヤの未来への展望は、29章の第一次捕囚の人々へのエレミヤの手紙に記されたささやかな望みから始まるように思えます。「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁を取り、娘は嫁がせて、息子、娘を生ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」(5~7節)。捕囚の地にあって、自国を滅ぼした、いわば敵国の平安を祈るということは驚くべきことであり、旧約にはここ以外に、そのような言葉はみられないということです。
この言葉を16章1節以下と比べると非常な相違がみられます。「あなたはこのところで妻をめとってはならない。息子、娘を得てはならない。……彼らは弱り果てて死ぬ」。エレミヤにとってささやかないわば「家庭の幸福」も、エレミヤ自身の悲劇的で孤独な生涯の土台のうえで、神からの貴重な贈り物として展望されているように思えます。
Ⅶ 「遠くからの神」
エレミヤの神経験は異様に近い神の経験といえますが、しかしまたエレミヤは自らが拝する神が「遠くからの神」であり、人間の気ままな欲望を叶える「近くの神」ではないことをその悲劇的生涯を通して知らされています。「わたしはただ近くにいる神なのか、と主は言われる。わたしは遠くからの神ではないのか。誰かが隠れ場に身を隠したなら、わたしは彼を見つけられないと言うのかと主は言われる。天をも地をも、わたしは満たしているではないか」(23:23~24)。このように「遠くからの神」として、しかも「天と地」をも満たして迫りたもう神は、エレミヤにとって「謎」でしかなく、エレミヤの様々な告白にみられるように、「あなたはわたしを裏切り、当てにならない流れのようになられました」( 15: 18 )とエレミヤは叫ばざるをえませんでした。このような当惑に呆然とし、途方に暮れているエレミヤに主は次のように語られました。「あなたが徒歩で歩く者と競っても疲れるなら、どうして馬で行く者と争えようか。平穏な地でだけ、安んじていられるのなら、ヨルダンの森林ではどうするのか」(12:5〜6節)。ここに開かれた謎としての広がり、馬で行く者と競い、ヨルダンの森林の泥沼の中で、なお平安を得ている在り方、これこそエレミヤがその苦悩の中で、開き示された「慰めに満ちた神の将来」であったと思います。
そのような不可思議な「遠くからの神」の消息を暗示するエレミヤ書の箇所があります。私はこの箇所を、死を真近にしたボンヘッファーが獄中で、友人ベートケに宛てて書いた文章から知らされました。「バルクにこう言いなさい。主はこう言われる。わたしは建てたものを破壊し、植えたものを抜く。全世界をこのようにする。あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ、と主は言われる。ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに(分捕りものとして)与える」(45:4~5)。
(日本基督教団 北白川教会員)