ひろば

入会式 大栁 由紀子

2月に共助会に入会をさせていただいた大栁由紀子です。昨年の夏の修養会で証をする機会を得て、その原稿を24年6号の『共助』に載せていただきましたが、今回あらためてまた分かち合うチャンスをいただきました。

私は東京下町の出身で、神道・仏教を信じる祖母と、無宗教の両親の元で育ちました。子供のころに誘われて数年行っていた教会学校で神さまを信じるようになりましたが、家族にクリスチャンがいないので、転居によって新しい町に行くと教会を見つけることが難しくなり、教会からは離れて行きました。大学卒業後、青年海外協力隊の赴任中に再び教会に通うようになり、赴任地のサモアで洗礼を受けました。日本に帰ってきて教会を探す時は、タウンページで見つけました。

2001年に栃木県のアジア学院でボランティアとなり、翌年から現在まで職員として働いています。アジア学院は、アジア・アフリカ・大洋州などのいわゆる途上国の農村で働く草の根のリーダーを学生として招き、「サーバントリーダー(仕える指導者)」としての研修を行う学校です。農村で働くNGOや教会組織、時には牧師や伝道師などの聖職者が学生となります。15カ国前後の様々な国から来た20代から40代の学生たち(共に学ぶことを願って参加する日本人青年も含めて25〜30名ほど)は、9ヶ月の共同生活を送りながら、リーダーシップと有機農業技術を学んでいきます。

アジア学院はキリスト教に基づく学校で、クリスチャン職員にとっては、仕事と生活と信仰が一つになった場所です(クリスチャンではない職員もいます)。ラジオ体操の後に朝の祈り、食前には賛美歌とお祈り、職員会議も聖書と祈りから始まります。信仰について語り合うことも、祈り合うことも日常です。学生のほとんど(全員ではありません)はクリスチャンです。牧師や教会ワーカーも何人もいます。学生のレポートのコメントに聖書の箇所を書くこともあります。日曜日には多くが教会に行きます。私自身も、所属する西那須野教会では何度か教会役員として奉仕する機会も与えられています。学生を連れて他教会にもたびたび行き、通訳や交流も担当します。でもどこかしら、私にとって教会での活動は仕事、公務として感じてしまうことがあります。教会での私は「アジア学院のユキコ」であり、「オオヤナギユキコ」という個人ではあり得ないからです。それがイヤなわけではなく、否定はしないのですが、もう一度神さまの前で、自分を見つめ直す機会を探していました。

昨年夏の共助会修養会は、まさにその機会でした。共助会員であるアジア学院の仲間と参加しました。そこでは、アジア学院のことを話すことは多くても、それでも私は一人の個人として、神さまの前に顔をあげて立っていると感じたのです。

神さまと、自分という個人としての関係を築き直す、その機会を得たいと思っていました。その思いにより、共助会での主にある交わりにお加えいただくことを希望し、かなえられたことに感謝します。

昨年11月に病気がみつかり、闘病中の身となりました。予定していたクリスマス礼拝に出ることもできませんでしたが、代わりに共助会の方々がアジア学院まで来て入会式をしてくださいました。現在もまだ休職しての療養中ですが、その分、普段は読む余裕のない本を読んだり、勉強したかったことをしようかと前向きに過ごしています。

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ローマの信徒への手紙5:3―4)      

(アジア学院 副校長)