「井の中の蛙」 裵貞烈
去年に続き今年も共助会の夏の修養会に参加できることに感謝申し上げます。今日は私がなぜ日本語を勉強したのか、そしてそれがどのように今の私につながっているのかについてお話しします。
私は1959年9月生まれで、今まで31 年間勤めてきた韓南(ハンナン)大学日語日文学科を半年後に退職の予定です。日本語と出会い、日本文学を専攻したことと、自分の今までの人生を振り返り、恵み豊かに守ってくださった神様に感謝申し上げます。
日本は1945年8月に終戦を迎えます。その時解放された韓国では5年後の1950年6月に北朝鮮との戦争(韓国戦争)が勃発し、53年7月に休戦(終戦ではなく)しました。日本による36年間の植民地支配と韓国戦争という、2つの歴史は今も韓国人の思考や価値観に大きな影響を与えています。
北朝鮮との3年間に及ぶ戦争は共産主義に対する恐怖感を私たちに与えました。韓国では共産主義と関連する発言や行動は法律で禁じられています。思想犯として今も服役中の人、一生を刑務所で送った人も少なくありません。
次は1910年から1945年8月15日までの日本帝国主義による植民地支配のことをお話しします。
韓国には法律で定められた5つの祝日(国慶日)があります。3・1節、8・15(光復節)、ハングルの日、制憲節(憲法記念日)、開天節(建国記念日)です。後の二つは世界の近代国家にはどこにでもありそうですが、前の3つは韓国だけの祝日です。
3・1節は1919年3月1日に全国的に起きた独立運動を記念する日です。同年2月8日の東京での韓国人留学生たちによる独立宣言をきっかけに国内で広まった独立運動のことです。この時は多くのクリスチャンが運動の主導者になりました。当時の日本総督府は憲兵を動員し凄惨な弾圧をしますが、その中でも代表的事件が4月15日の堤岩里(チ アム)教会虐殺事件です。これら非人道的な弾圧は韓国独立記念館で詳しく展示されており、学生たちの歴史教育の場となっています。
8・15(光復節)は日本にとっては敗戦日で、韓国にとっては光が戻ってきた日という意味を持っています。日本と韓国には、このように歴史上で相反する立場の出来事がいろいろとあります。
制憲節(憲法記念日)は近代韓国の始まりを巡る複雑な問題のため、休日ではありません。代わりに6月6日(顕忠日)が休日です。この日は韓国のためになくなった方々の冥福を祈ります。
毎年6月になると韓国戦争を中心として、北朝鮮に対する警戒心を忘れないための、また愛国心を持たせるための報道が増えます。そのため自然と北朝鮮への嫌悪感をいだき、共産主義への反感を持つようになります。
3・1節と8・15のある3月と8月には日本帝国主義や植民地時代の日本、日本人による韓国人への虐め、差別、無視、略奪などが各種報道の主題となります。そのため、韓国人の多くは反日感情をいだきます。
「親日」という言葉は、「犯罪者」と同義なのです。
韓国は、北朝鮮とは軍事問題を、日本とは歴史と領土問題を抱えており、思想的また感情的な不満がしばしば爆発します。私の子供の時と比べれば、少しは穏やかになったようにも思われますが、相変わらず2つの国に対しては難しい問題が残されています。
さて私は1979年に大学に入り、その翌年から日本語を専攻しますが、自分から志望したわけではなく、成績不良のため、定員枠の残っていた日本語専攻に配属されたのです。それが恥ずかしくて、自分の専攻を友人や親に明かしたのは半年後のことです。当時、日本語を大学で専攻すること自体がめずらしいものでした。それは日本について理解しようとしない時代の風潮でもありました。また、この年と翌80年は韓国内全体が政治的に大きく揺れていた時期でもあります。
その混乱した時代状況の中、不本意な専攻に配属された不満を抱いたまま私は兵役につき、3年間の義務を果たすことになりました。軍隊では、訓練の苦労は当然ながら、日常生活自体が想像以上に厳しいものでした。さらに米軍との共同訓練や兵隊の人間関係は、私に韓国社会の現実を見せつけました。打ちのめされた私は、そこでキリスト教に入信することになります。
兵役を終え、大学3年生に復学しました。3年のに日本に対する社会認識の変化もあって、学生数が増えていました。その時、日本人の先生が留学を勧めてくれました。先生は、日本に関して韓国内で言われているのとは違うことも多いよとも仰いました。その話を聞いた私は、卒業後に日本へ留学することを決意し、勉強に励みました。当時は韓国と日本との経済の差が20年分と言われた時代でしたから留学には金銭面での苦労もありました。
大学で日本語専攻に配属されたのは思いもしないことでしたが、その後の軍隊での経験と日本留学、そして日本文学を学ぶことによって、井の中の蛙であった私は広い世界と出会うことになりました。誰も行きたがらない兵隊でしたが、米軍との共同訓練を通じてアメリカとの大きな力の差を経験したことや、厳しかった兵営生活で得た身体的強さは私の大きな財産となっています。また日本留学中に出会ったたくさんの日本人の考え方や教養が私を大きく育ててくれました。
神様の導きと恵みは人知を超えています。私たちの願いをはるかに超えたところにご計画があり、試練を通じて私たちを鍛錬させ、夢を叶えてくださいます。わたしが井の中の蛙であったことに気づかなかったように、神様のお考えに思い至ることはありません。だから、私たちはただ跪き祈りを捧げるのです。
(韓南大学日語日文学科教授)
