ひろば

「早天礼拝」  阪田 祥章

0.『共助』を読む皆様へ

奨励という初めての経験に戸惑った私は、早天礼拝では、その時私の内面から出てくる言葉をありのままに語ろうと思いました。ここに掲載していただく文章は、礼拝後に改めて書き下ろしたものであり、一部は当日のお話と重なりますが、そうでない部分も多く、奨励をそのまま再現したものではありません。思いつくままの乱雑な文章で申し訳ございませんが何卒ご容赦願います。

1.東山荘で

夏期信仰修養会が、私の奉職するYMCA東山荘で開催されることは、私にとって何よりの喜びでありました。富士山もそれに応えてくれるかのごとく、初日の夕方には燃えるような夕陽の中に、美しい雄姿を見せ、私たちの胸に感動を呼び起こしてくれました(翌朝まで富士山は姿を見せてくれ、午後には実際に富士山中腹に出かけることも出来ました)。

東山荘は今年で創立110年を迎えました。もともとは、学生たちが寝食を共にしながら聖書を学び、聖書に学び、人を知り、己を知り、神を知る、そのための場所として建てられました。以来、1世紀を超える働きの中で、東山荘は学生だけの場所ではなく、宗教や宗派、国籍や年齢等を問わず、また、団体か個人かを問わず、文字通り誰もが、いつでも使える施設となりましたが、普段は出来ない学びや体験を仲間と分かち合う場=夏季学校としてスタートした精神は今もなお引き継がれています。今回、その東山荘で、主にある友情を生命(いのち)とするキリスト者の交わりである基督教共助会の夏期信仰修養会が開催されたことは、東山荘にとっても意義が大きく、東山荘の原点を垣間見た思いでした。

2.韓日の和解へ

《和解》は、一人の人間と一人の人間の垣根のない心の交わりを通してでしか為され得ません。謝罪や賠償は、それに伴うことはあっても、それが《和解》そのものではないと思います。昨年、韓日修練会に参加させていただき、実際に韓国の現場に赴き、過去日本がなした残虐行為の数々(身体的のみならず精神的な)を目にしました。また、それに対して韓国の方々がいかに抵抗したかも。

東山荘では1984年に「東山荘会議」が開催されました。これは「東北アジアの正義と平和」を主題とするもので、世界教会協議会(WCC)が主催し、アジアキリスト教協議会(CCA)や韓国教会協議会(NCCK)、日本リスト教協議会(NCCJ)が協力しました。この歴史的会議は、その後の朝鮮半島の平和と和解、統一問題に対するエキュメニカル運動の指針を示すものとなり、現在でも「東山荘プロセス」と総称されています。私は韓日修練会で李相勁牧師から「韓国と北朝鮮の人々の話し合いがもてる場は、世界の中で、スイスか東山荘だけです」と言われ、東山荘が担う世界的役割の意義に気づかされました。偶然ですが、修養会の前々日、韓国の大学で《和解》について研究されている先生が東山荘を訪れました。かの有名な「東山荘」を一度見てみたいと思ってのことでした。

「私はずっと東山荘は日本の地名だと思っていました」と仰っていました。奇しくも昨年は東山荘会議40周年に当たる年でした。今、再び東山荘で話し合いの場がもてないか模索しています。

3.こどもは大人の鏡

わたしは昨年入籍し、今年の春から一緒に暮らし始めました。彼女には子どもが3人おります。小4男子、小1男子、年長女子、です。彼女たちは今まで静岡市で暮らしていましたが、東山荘のすぐ近くの森に囲まれた家に、この春引っ越しました。わたしはこれまでの一人の気ままな生活から一変し、毎日が怒涛で、疲れ切って夜8時にはみんなそろって(あるいは子どもより早く)寝てしまうほどです。

子どもたちはみんな元気です。エネルギーのかたまりで、声も大きく、およそ私のこども時代とは全く違います。私も4人兄弟で、兄・兄・弟に囲まれて育ちましたが、我が家の男はどちらかというと物静かなで、兄弟が多いと壁に穴があいたりするという話を聞くたびに、不思議に思ったものでした。しかし、今子どもたちは違います。

特に長男は感情の起伏も激しく、コミュニケーションも苦手で、なかなか理解しづらい面があります。心に大きな傷を抱えていることもあり、突然、大粒の涙を流して、怒鳴り散らして家から出ていくこともあります。そんな時は文字通り途方に暮れてしまいます。いったい、この子の心の中には何があるのだろうと思います。私自身に余裕があれば良いのですが、仕事で疲れて帰ってきた後は、軽くあしらってしまったり、怒鳴ったりすることもあります。今回、北中先生のお話を聞き、些細な質問に、その人の生き死にがかかっている、ということを知り、深く反省しております。時には偉そうに説教をすることもあります。ただ、子どもの目は恐ろしいほど純粋で、私の姿が鏡のように映るのです。「そんな偉そうなことを言っているお前はどうなんだ」「そういうお前は日々しっかり生活しているのか」と。

長男には小1の時に負った大きなトラウマがあります。他の子たちにも離婚というトラウマがあります。そのことは理解しつつも、子どもに遠慮してはこちらがもちませんし、直球には直球しかないと思うので、日々、正面から勝負しようとだけ思って暮らしていますが、成果は思うようには出ません。成果を求めること自体が間違いかもしれません。

夜な夜な、子どもが寝静まった後に、彼女と話すことがあります(二人とも起きる元気があれば)。そんな時、話題は決まって子どもたちの将来のことですが、いろいろ話し合った挙句、最終的にはいつも「とにかく出来ることを精一杯して、あとは待とう」ということに落ち着きます。「待つ」ということの大切さと、大変さ。そんな時に「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見えているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」(ローマ信徒への手紙8:24︲25)を思い起こすのです。

こどもの中に眠る可能性=天賦の才を外にあけひらくことが教育であるとするなら、私もまた自分自身をしっかり見つめ、待つことに耐えないといけません。まだ見ぬものをどれだけ信じられるか。

4.祈り

天地万物の創造主にしてご在天の父なる神よ。私の心に虚無が支配することがありませんように。私の口から真実の言葉が語られますように。修養会で得た芯となる棒がこれからも私を貫きますように。この地に私をしかと立たせ、天を仰ぎ見ることをお許しください。