サマリアの女性の解放 関口 美樹
1月の修養会に参加し、荒川朋子さんによる共助会の女性の先達の働きについて学ぶ機会が与えられました。
櫛田孝さんが共助誌に寄稿された1934年の文章には、女性として働きながら信仰を持ち続けることの困難さが率直に語られていました。時を経た現在でも同じ悩みを持つことを荒川さんは語っておられます。荒川さんはジェンダー差別について言及され、「あまりにも当たり前になっていて、問題とすら認識されていない女性の実態こそが実は問題、自分自身すら気づいていない」とレポートされました。
仕事、家事、育児、それに加えて信仰生活、どんなに大変な時にもそれらを自分自身で消化することが暗黙のうちに求められる。そんな思いを多くの女性が時代を問わず、持っていることを強く感じました。いつまでも解決されず、先送りされ続けるジェンダー差別の問題。ジェンダー差別問題の深さは、女性がそれらのことを引き受けることが自分自身の中でも、世の中でも、「当たり前」になっており、口に出したら「不満」として受け取られ、「問題化」したら面倒がられる、言葉にならない言葉を飲み込んでいることにあるのではないかと思います。「女性の社会進出」「女性議員の数を増やす」などが、女性差別の解消になると考える人がいます。しかし、単に「役割」を与えられることが女性の差別解消に繋がるのか疑問に思います。仮に女性の社会進出が進んだとしても、女性自らがジェンダー差別の理不尽さに気づいて立ち上がることが出来るのか。世間はそれを歓迎するのか。今の社会構造が継続することが社会にとって好都合だから、社会は女性の沈黙を良しとし、現状打破に向かわずにスルーするのではないかと思われます。差別は、他者からの理解を得ることの困難さ、自分自身を超えることの困難さその双方を併せ持つ構造に、その哀しみがあると思います。
ヨハネによる福音書4章には、ヤコブの井戸でイエス・キリストと出会い、イエス・キリストから「水を飲ませてください」と話しかけられたサマリアの女性の物語が描かれています。
ユダヤ人と長年の確執があり、差別を受けているサマリア人。しかもかつて5人の夫を持ち、現在は夫でない人と連れ添っている、そんな事情を抱えたサマリアの女性がイエス・キリストと出会う物語です。
人目を憚って井戸に来なければならなかった女性は、キリストと井戸で出会い、自分自身の問題を言い当てられ、「救い主である」ことをキリスト自ら告げられます。救い主がこの井戸で自分と出会い、「婦人よ、わたしを信じなさい。この山でもエルサレムでもないところで父を礼拝する時が来る」と告げられます。「礼拝の場」がサマリアの女性とイエス・キリストの間で語られたように、当時から大きな歴史的問題であったことが伺えます。しかし、キリストは「場所」ではなく「霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である」と語られ、歴史が新しい方向へと向かう瞬間が、ひとりの小さな存在の女性に告げられます。女性は、自分自身が深いところでキリストに受け止められ、歴史的な瞬間に立ち会ったことを理解し、心が震える経験をしたのではないでしょうか。
そして、イエス・キリストから与えられる水こそが永遠のいのちに至る水であることを告げられます。自分の魂の問題を掘り起こしてくれたイエス・キリスト、その上で渇くことのない永遠のいのちの水を差しだしてくださるイエス・キリスト。根強い差別感情のある場所へ自ら出向いて行き、女性に語られたメッセージは、人々の歴史理解を覆す革命的な言葉でした。差別に苦しむひとりの女性に告げられた解放の福音のメッセージは、思い込みや前理解を覆し、歴史を塗り替える力を持った真実の言葉であったと思います。
荒川さんのレポートでは、当時の女性たちの森 明との出会いよしが、信仰生活の上でいかに大きなことであったか、櫛田 孝さんの言葉を引用されています。森 明が女性のための基督教女子協愛会を創立したことについて、「男女の別なく神による全ての人間の救いを願い、文字通り心血を注いで伝道をしておられた森先生が当時の制約や差別の中で生きる女性の立場、状況を憂慮し、それらの制約によって求道心、信仰の道をあきらめることがないようにと女性たちのために『組織』が必要であると思われたのは必然である。」「日曜は魂の憩いよりもひたすら身の休みを希う私」、そんな晩に「影のごとく現れて、無言の同情と祈のうちに明日の聖日を教會の禮拝に捧げ得る身の幸と力とを呼び起こしてくだすったのは故森 明先生でありました。」
その話を聴きながら私は、森 明の真実が、イエス・キリストの真実と重なり、櫛田 孝さんが新しく信仰の力を得たのではないかと思いました。「身の幸と力とを呼び起こしてくださる」櫛田さんの告白は、抑圧からの解放の言葉として身に迫りました。 サマリアの女性が力を得て、福音を周囲の人々に伝え、サマリア人の多くの人々がイエスを信じるに至ったことを福音書は記しています。イエス・キリストこそが私を深く理解し、超えられないものを超えさせてくださり、永遠のいのちに至る水を差しだしてくださる。そして信仰を宣べ伝えるひとりの自立した女性になる。そのような思いに至った今回の学びでした。
女性のことばにならない呻きを聴き分けて、深く理解し、差別の解消に向かう、そのような時代が来ることを願います。イエス・キリストはすでにその時代を先取りされた方です。森 明の存在を有する共助会にそのような働きを期待しつつ、自分自身も学びを深めたいと思います。 (東京共助会)