ひろば

信仰修養会に出席して 下山田 誠子

昨夏の修養会はケガのため出席できず、今回の参加を許され感謝でありました。懐かしい会場、戸山サンライズであったが、久々の状況で戸惑い天に帰られた友人のことなど思い出された。主題は「キリストに従う」であり、丁寧に準備されたプログラムに従って20名の友人たちとの再会であった。

参加予定のメインスピーカーのお二人がコロナ禍により出席できなくなり、文書による発表で司会者が代読してくださった。初期の共助会の先駆的な女性会員3人取り上げてくださった。荒川朋子さんには、旧い共助誌から掘り起こして、知らないことを沢山教えて頂いた。沢崎良子さんについては、改めて深い感動を持ってお知らせ頂き、熱河宣教に殉じ沢崎ご一家の壮絶なお働き、かくまで他者を愛し得るか、と主に問われる思いであった。その地にて祈れば何か示されるかと、独り熱河を旅した若き日が思い出された。後に北白川教会皆様と佐伯先生に導かれて再び熱河を訪れて、さらにその戦いの厳しさを学ばせていただいた。 日中のキリスト者の交流が途絶えたかに見える今日、どの様な道があるでしょうか。私の中国在住時代のクリスチャンとの交わりもなくなり、家の教会にならざるを得なかった熱心な一家は米国に亡命しています。今年のクリスマスカードには、あなたといつか会える日のために日本語を学んでいるとありました。主を信じるものの友情は消えないと思います。祈りは権力によっては消えないと信じるからです。

長らく立川教会で共助会の重責を担ってくださった飯島先生が4月から福島にご転出と伺いました。主のお支えをお祈りいたします。

阿部真希子さんの礼拝原稿はお幸せな若いお母さんの幸せな日々と、それでも社会参加への道を模索する切実な問いかけでありました。人はドメスティックのみに生きる存在ではなく、社会に連なってその務めを果たしたいと願う存在でもあります。育児という、幸せでありながらも閉ざされた空間に閉塞感を感ずるという経験を私も思い出しました。しかし、それは贅沢な悩みだと自分をなだめて過ぎた時代でした。阿部真希子さんは、ミャンマー支援という窓口を通して友に呼びかけ行動を起こしています。エールを送ります。私もこの呼びかけに応えるものでありたいと思っています。真希子さんが武井陽一・めぐみご夫妻のお嬢さんであることを今回知り、良き信仰の受け継がれていることも思わされました。

分科会では、ジェンダーの問題も大切な今日的テーマとして取り上げられました。無教会で育った私には、なかなか理解の難しい問題です。男、女、それぞれの役割を担いつつ、主の喜び給う生き方をと思うのは古いのでしょうか。   (松本共助会)