澄んだ瞳と優しい心―下山田裕彦氏を偲んで―川田殖

下山田裕彦さん(以下、姓省略)は、誠子さんのご夫君で、共助会の会員ではないが、誌友として松本共助会にも出席されていたので、逝去(昨十二月二十六日)に当たり、いささかの思い出を記すことを許されたい。

私が国際基督教大学(ICU)の四年生の頃、すでに帰国されたエーミル・ブルンナー先生について乞われるままに熱っぽく語る話を、息を凝らして聞いていた澄んだ瞳の新入生がいた。多くは語らなかったが、僅かばかり訛りのある質実純朴な言葉遣いにも、そこはかとなく優しさを感じられる裕彦さんだっった。

その三年後、当時京都の大学院にいた私のところへ裕彦さんが訪ねてくれて一泊、一夜、進路について語り合った。彼は母上の薫陶もあってか、教育に関心が深く、キリスト教にも親しんできたのでペスタロッチを勉強したいと言う。私はブルンナー先生からペスタロッチの重要性を聞いていたので、心から賛成し、それには広島か東京の大学院がどうかと勧めた記憶がある。結局裕彦さんは東京教育大学大学院で博士課程までやり、以後は主に静岡大学で一番長く教えられ、幼児教育学を担当されつつ、ペスタロッチの故郷スイスのチューリヒ大学で合計四度も研鑽された。

他方私はその間ICU、大阪医大、山梨医大、恵泉女学園などを転々として行方定めぬ出稼ぎ生活を送り、学者社会から脱落していたが、裕彦さんは近々、消息のお手紙やご本をくださった。中でも『スイスと日本の子供たち』(三修社、1984)と『子供の世界が見えてくる』(第三文明社、1994)には心を奪われた。

前者は裕彦さんが(ご家族と共に)スイスで暮らし接した子供たち、その学校や家庭について、また日本の子供たちの学校や家庭について、その実態を赤裸々に記し洞察を加えたものであるが、その生彩あふれる叙述は、40年の時をこえて、今なお読む者の心を捉えて離さない。

後者はその10年後、静大附属看護学校長の激務の中でまとめられたもので、「子供を理解するとは何か」のプロローグに始まり、「生きる喜びと教育」「子供の遊びと人間形成」「隣人愛の実践としての教育」「絵本はなぜ子供に必要か」「園の環境と子どもの発達」「保育にとって思想とは何か」など、人間教育の土台をなす幼児教育についての実践と理論が、ペスタロッチをはじめ、我が国の留岡幸助、倉橋惣三、城戸幡太郎などの先達にも深く学び、すべてを自家薬籠中に収めて、しかもこれ以上望めないほどの平明適格な表現で興味深く記されている。最近読み返してみて、この二書がこんにちなお、いなますます、広い意味での教育関係者の必読の書であることを確信させられた。

これらを通じて知られるのは、裕彦さんがペスタロッチや日本の先達と共に、教育を人間の在り方にまで掘り下げ、その根底を養う仕事に取り組まれていることである。教育を単に子供の自然的成長への援助とするだけでなく、それを生きる喜びや隣人愛へとつなげ、神観、人間観、社会観、歴史観へとつなげて人間教育の核心に向き合わせていることである。しかもその理論はあくまでも徹底した実践の上に築き上げられている。

ことに裕彦さんの理論は、日常経験を深く省察することによって深い思想性と宗教性を湛え、人をおのずから深い反省と思索に誘う。若き日ブルンナー先生が私たちに「人をつかまえて(罪のゆるしや生きる喜びを)説教するのではなく、おかれた生活の場で(この)福音を生きることによってその真理を証しせよ」と奨められた言葉の実践のあざやかな一例をここに見る思いである。まさに「出藍の誉れ」といわざるをえない。

京都の一夜以来年、私たちはそれぞれの公務を終えて、奇しくも信州で再会することになった。互いに寄る年波は争うべくもなかったが、若き日の澄んだ瞳と優しい心の裕彦さんは少しも変わらず、遠い過去をあたかも昨日のように覚えていて、会うたびに口にされた。以来数年、年に幾度か互いに夫婦で礼拝を共にし、時には『折たく柴の記』を偲ばせる裕彦さんの山荘で同志の方がたと楽しく語り合った。近年病を得られてからも、誠子さんの手厚い看護のもと、お目にかかるのを楽しみにしていた。

終わりが近いとのお知らせに松本に訪ねた時にも、裕彦さんは変わらぬ優しさと澄んだ瞳ではるか彼方を見つめておられた。再開を約しつつ祈り別れた私の胸に、裕彦さんは今も語りかけてくれている。この裕彦さんと生涯苦楽を共にし今も語りかけてくれている。この裕彦さんと生涯苦楽を共にし今残された誠子さんを始めご遺族の主にある慰めと平安を切に祈る。(2021年2月)(哲学者・日本基督教団・岩村田教会員)