ひろば

 火垂るの墓     林 貞子

「空が、赤く、焼けて 原爆で死にゆく子たちとの八日間」 

火垂るの墓

芋盗み蛙食みつつ餓死をせし戦争孤児に人振り向かず

少年の遺体足蹴(あしげ)にされし時ドロップの缶転がり落ちぬ

転がりしドロップの缶に入りたる妹の骨カタ

と鳴りけり

「火垂るの墓」は、何回見ても涙が止まりませんでした。野坂昭如の直木賞作品のアニメ化されたもので、敗戦の年の6月5日、神戸、西宮一帯の空襲によって孤児となった中学生の兄と4歳の妹が、必死に生きてゆく様を描いたものです。初めて見た時、私はびっくりしました。何故なら同じ日に、同じくこの地帯の空襲に私もあっていたからです。焼夷弾が降る中を逃げ惑い、家が全焼しましたし、ご近所の方々の遺体を何とも思わないで見ていました。アニメに出てくる回生病院や香炉園の海水浴場の風景も記憶の通りでしたから、これは誇張でもなく作り話ではないことで、本当にあったことだと実感しています。私だって、巷をさまよって物乞いをする戦争孤児になっていたかもしれないのです。

苛酷な戦時下にあって、取り巻く人々の冷たさが際立っています。きょうだいが、家を出ざるを得なくした叔母さん、芋を盗んだ少年を袋たたきにする人、瀕死の妹を診てくれない医者、笑いものにしていじめる同年の子どもたちなどです。人間とは私とはどういうものなのでしょう。

野に餓死の兄妹よ戦なくばその父母に抱かれしものを

(二)空が、赤く、焼けて

原爆で死にゆく子たちとの八日間

原爆で断末魔なる幼子が「母ちゃん、兄ちゃん」とひたすら慕いし

死して早蛆のわきたる幼子に水を飲ませて母崩れしと

原爆で死にゆく兄と妹を「一緒に焼いてあげて」とメモが

「連れてって……」と寄りきし幼子抱き帰り

そっと寝かせば 息途絶えしと

著者は、原爆投下の翌八月七日に、兄上の子どもを探すべく広島に入り、毎日探し回ろうとしますが、目前の、目をおおいたくなる惨状の中で助けを求める子どもたちを見捨てることが出来ずに次々に、手を差し伸べ、抱きしめ、叔父の家に連れて帰り、無惨な一人ひとりの死を看取り、時には死体を焼くまでの手助けもした実録です。彼女は子どもたちの最後の言葉や、叫びを克明に日記に書き記していました。

その後、教師(基督教独立学園高等学校)となった奥田貞子さんは、自らが見た原爆の惨状を生徒たちに伝えるべく話します。それは保護者たちによって『ほのぐらい灯心を消すことなく』と題して自費出版されますが、人伝に版を重ね、キリスト新聞社からは元の名前で、小学館からは、『空、赤く、焼けて』と改題して出版に至ります。

原爆投下がかくも残酷に無数の罪のない子どもを、老人を、庶民を瞬時に苦しめ、まことに無惨な死に至らしめるものであるかを克明に知らせます。

一人でも多くの若者に読んでほしいと思いますし、日本のみならず世界の言葉に翻訳されて欲しい本だと思っています。

死の瀬戸際になっても母を、きょうだいを、おじいちゃんをひたすら恋うものであることに心打たれました。また、大火傷に、皮垂れ下がり、肉剥がれ、骨むきだしになり、臭い血をはいている子どもを抱っこして連れて帰り自分の布団に寝かす、あるいは「水…… 水 ……」と断末魔の中から叫んでいる人に、自分の水筒の水を飲ませるなど淡々とこの事実を書かれていることに、著者の人柄を垣間見て、言い知れぬ感動を覚えました。

止める手立て避ける手立てのなかりしか二十数万残虐のヒロシマ

(日本キリスト改革派千里摂理教会員)