巻頭言

平和への強い願い(2015年8号)〜小菅 敏夫

2015年に敗戦70年の日を私たちは迎えたが、この年ほど再び戦争の道へ逆行する国へと舵を切ったのではと憂慮している年はない。敗戦50年の1995年の国会における「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」は、いわゆる村山首相談話では、侵略を認め、歴史の事実を謙虚に認めお詫びをしている。また2000年の国会では、「戦争決別宣言決議」をして日本国憲法に掲げる恒久平和の理念の下、歴史の教訓に学び、国家間の対立や紛争を平和的な手段で解決し、戦争を絶対に引き起こさないことを誓い合うことを強く訴えるとした。

敗戦60年の2005年の国会では、国連創設及び我が国の終戦・被爆60周年にあたり、さらなる国際平和の構築への貢献を誓約する決議で、十年前の国会決議を想起し、我が国の過去の一時期の行為がアジアをはじめとする他国民に与えた多大な苦難を深く反省し、あらためて全ての犠牲者に追悼の誠をささげるとし、政府は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念の下、核兵器の廃絶、あらゆる戦争の回避、世界連邦への道の探求等、最大限の努力をすることを決議した。この際に当時の自民党の安倍晋三幹事長等は、この決議に疑問を持ち本会議を退席している。時の小泉首相の談話は、10年前の村山談話を踏まえたものであり、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国として国際社会の役割を果たすことを述べている。

しかし、その後の10年間における国会や政府の対応は、憲法改定とりわけ第九条の改定への急速な動きである。第一次安倍内閣におけるいわゆる「積極的平和主義」による安全保障体制の提示であった。さらに第二次安倍内閣における衆参両院での与党自民党等による過半数勢力を背景に進められた、集団的自衛権の閣議決定、その後の平和安全保障の国内法案をめぐる動きは、戦後70年の安倍首相の談話にはっきりと表れているように、従来の国会決議や首相の談話などに確認されていた憲法に掲げる恒久平和の理念の下、歴史の教訓に学ぶことが、欠落し、侵略を認めお詫びもない。積極的平和主義による平和安全保障体制は、集団的自衛権の行使を可能にする体制であり、武力による戦争を認めることであり、人を殺し、殺されることである。

戦後70年、私たちは、神に対する恐れを知る者とし戦争のことを真剣に反省し、憲法九条の下恒久平和の理念による平和をつくりだすことに私たちの努力を今こそしなければならない時ではないか。