覚え書き ― 「新しい歌」が聴こえる  安積力也

原生的自然の懐にある小さな教育現場を辞して東京に戻り、八年経った。時代の潮流を暗示する出来事が、日々これでもかと生起する首都。気がつくと、拭いようのないヘドロが心底に堆積していた。鈍る魂の感性。せめてこびりついた心の汚れだけでも拭われたい。そう思って重い腰を上げ、猛暑の小諸に来た。なつかしい主にある友たちとの共に祈り共に語る三日間。いったい、私の飢え渇いた心は、何を見たのか。

(1)遠くから、若者たちがやって来る。ひとり、また一人、たどり着くようにやって来る。

〝フリをして生きる〟ことに疲れ果てた若者。〝確かなもの〟を探しあぐねて、さ迷い人のようになった若者。

傷つき果てて、呻くことすら忘れた感性……。

(2)そのひとり一人を、嬉々として迎え入れる共助の友たち。

老いがにじみ出る体を低くして、若き魂ひとり一人に仕えるように語りかけ、聴き、深く深く涙する姿。

(3)4グループに分かれて計3回、実に4時間半にわたって持たれた今回の分団。それでも時間が足りなかった。「語られたことのない何か」が語られ、火花を散らし、応答された。疲弊し淀んでいた眼差しが、遠い未来を見据える澄んだ青年の眼差しに変貌するのを、私は何度見たことか。

(4)2日目午後、自由時間に持たれた韓国からの一人の新しい友を囲む会。ある硬い緊張を持って臨んだ私。「私は日本の皆さんが大好きです! 」。のっけからそう語り出すベー・チョンヨルさんの姿に、私はしばしたじろいだ。高校生に歴史を教える教師だった私なのに、一番訪れるべき隣国に未だ一度も行ったことがない。恐かったのだ。赦されるはずがない……、そう思う自分が消えなかった。なのにあの一言で、私は「赦されて」しまっていた……。

日本留学中、妻子ともどもこの国の民族差別の苦渋を味わったにも拘わらず、「全き赦し」を携えてやって来たチョンヨルさん。背後に石川光顕兄(共助会副委員長)の祈りと交わりがあった。来春には、途絶えていた「韓日共助会修錬会」が復活するという。何が起こったのか、何が起ころうとしているのか。私はいまだにたじろいだままだ。

(5)会堂の祈りに和して、九二歳になられた川田殖先生の「アーメン!」が響く。

天を裂くような、渾身の「アーメン!」の響き。主の御前で〝魂の呻き〟を語り合えた時、きっとそこに、「新しい歌」が生まれるのだ。

それは、いまだかつて、誰も聞いたことのない歌だ。

(基督教独立学園高校 元校長)