矢内原忠雄―神への真実な応答・同時代・責任  堀澤 六郎

1942年の末にボンヘッファーはヒットラーが帝国宰相に就任の『10年後』を前に次のように書いた。「悪の一大仮装が、一切の倫理的概念を支離滅裂の混乱に陥れた。悪が、光・慈善・歴史的必然性・社会的正義といった形をとって現れる。(中略)確固として立つものは誰であろうか。(中略)ただ神への結びつきにおいて従順な責任ある行為をなすべく召しを受けるとき、それら一切を犠牲にする用意のある人間、その生活が神の問いと呼び声に対する答え以外の何物でもないことを望む責任的な人間だけである。そのような責任的な人間はどこにいるのであろうか」(村上 伸訳『獄中書簡集』)。そのような責任的な人間の一人が矢内原忠雄である。1931年の満州事変から日中戦争、アジア・太平洋戦争の15年の戦争の時代に、神に真実に応答して同時代に責任的に生き抜いた。その戦いは、『嘉信』の復刻版を読むとリアルに示される。『イエス伝』の「イエスの十字架」の講義が掲載された第2巻7号(1939年7月)の巻頭言には次のような祈りがある。「主イエスよ、汝の十字架を描かんとして、わが筆はすくみます。わが心は熱しますが、いかなる思いも文をなしません。これを描くがためには、すべての言葉が上うわ辷すべりに感じられます。説明すべからざるものを説明しようとするからです。ああ主よ、どうか汝の利と き剣つるぎを以もって、私の胸のいちばん痛いところを刺し通して下さい。さうして私が自分の罪に堪た えかねて、汝の十字架の下に転まろんだその機は ずみ 動で、十字架の汝の御み 貌すがたを描かせてください。ああ、汝は哀かなしい顔をしてゐられます。」矢内原は自らの罪を真っ向から受け止め、その罪を神がイエスの十字架により贖われたことに応答(response)する信仰に生き抜き、同時代人として時局の問題に責任responsibilityを持って戦った。現在の課題は矢内原の時代とは異なるように見える。しかし戦争ができる国に変え、憲法の9条を改悪しようとしている。沖縄の基地の問題、韓国、北朝鮮、中国との問題の根源は戦争責任に十分に応答してないからである。今、日本を覆っている無責任の嵐の中で、神が私の罪をキリストの十字架で贖われたことに真実に応答して、私も同時代の持ち場で責任をもって歩んでゆきたい。(医師・名古屋中央教会員)