【特集 クリスマスへの想い】
昨年は新型コロナウイルス感染予防のため、キリスト教共助会の夏期信仰修養会に引き続きクリスマス礼拝も集うことを中止いたしました。そして、『共助』誌上クリスマスとして会員、誌友の皆様から「クリスマスへの想い」を寄せて頂くことにいたしました。
会員37名、誌友19名、計56名の方々の真心のこもった文が『共助』誌に届きました。
集うことは出来ませんでしたが、こうして『共助』誌を通して伝え合うクリスマスにも大きな恵みが有ることに気付かされました。
クリスマスから早3か月の時が経ちましたが、改めて主のご降誕に想いを深め、感謝の祈りを捧げます。
1「クリスマスへの想い」川田殖
諸事混迷の折柄、たえず想起させられるのはロマ書8章後半(18―39節)の言葉です。
これを記したパウロの時代と心境を、今の私の時代と心に重ね合わせる時、一字一句が私の肺腑を抉ります。この中で芥子種一粒の信仰をくださった主の降誕に感謝し、小なりといえども、これに応えて生涯を終わりたい。「小なる務め小ならず、世を蓋うとも大ならず(抜ばっさんがいせい山蓋世)。小は我が意をなすにあり、大はみ旨によるにあり」。(2020年暮)(会員)
2「クリスマスへの想い」原田博充
クリスマスと言えば教会ではもちろん巷ちまたでも喜び、感謝、楽しみの気分に満ちあふれる。神の御子の誕生、罪の赦しの福音の初めであるから、それは当然のことである。しかし、罪の赦しの福音はやがてくる十字架の出来事を通してのみ開かれるのであり、御子の誕生はその初めであることを想えば喜びの内にも厳粛な悲哀が貫かれているべきものと思う。巷のクリスマスに見られるような軽い喜び、楽しみには、違和感を覚えざるを得ない。 (会員)
3「御子の誕生」小笠原 浩平
神様は、私たちの罪を帳消しにするため御子イエス様をこの世に送りたもうた。彼の人生は、寂しい、貧しい、しいたげられた人と共に、またその傍らに立った人生だった。彼によって、どれ程多の人が心慰められ、悲しみから救われたか。私たちも、イエス様に従って愛をもって隣人に捧げなければならない。御子によって世が救われることを信じ、あきらめないで、1歩ずつ、歩んでいきたい。この世にあっても希望を失わず。(会員)
4「荒れる日本海、小山 清『聖家族』を読む」鈴木孝二
12月14日未明、ピカッと光ると同時に大音響で雷が落ち大地を揺るがした。かつて松浜キリスト教会の十字架に落雷し、会堂が全焼した時と全く同じ事態である。
主よ!!今この時、何をお語り、何をお示しになろうとしておられるのですか。祈り続けた。荒れる日本海、強風の松浜の地で小山 清の小品「聖家族」を読み、静かに顔を上げた。(会員)
5「占領下のクリスマスの記憶」加賀美 妙子
焦土と化した横浜は、人々が長い耐久生活から解放されて購買欲が刺激されて、戦後復興の意欲に溢れた市民が町に集まっていた。GHQの政策改革で経済復興が必要だとドッジラインにより輸出振興が打ち出され、レートの変動が360円に統一された時期であった。
父母の導きがあってキリスト教教育を伝統とする女子中- 高に1949(S24)年に入学した。全校礼拝では降誕節礼拝の説教が新鮮だった。イヴ礼拝は海岸教会の礼拝に出ることを約して、伊勢佐木町でテーラーを営む友人の家に向かった。
伊勢佐木町は異国の町で、殆どが駐留軍人(GI)で溢れ、アルコール臭と騒音でむせ返っていた。派手な化粧のソープ女性が群がり、占領下の日本の光景を、好奇心を持って見ていた。ジャズ、賛美歌、西洋文化の混在した町がここにあった。
1951(S26)年、サンフランシスコ講和条約まで日本はアメリカの占領下に組み込まれていたことを後に理解できた。新鮮さと猥雑さの交錯した記憶として、初めてのクリスマスを思い出すのである。 (会員)
6「地上で迎えるクリスマス」長嶺 冨美江
今年の秋に大きな病になり、当たり前にクリスマスを地上にて迎えられると思っていた私は本当の意味でイエス様が地上に降りてきてくださったクリスマスの深いご愛を分かっていなかった事を思わされました。
イエス様が与えてくださった永遠の命、地上で迎えるクリスマスの喜びを改めて思い心から感謝いたしました。父なる神様、イエス様に栄光讃美をお捧げいたします。(会員)
7「歌は国を越えて」伊東啓子
苺の生産者として、コロナウイルスに注意してクリスマスを迎え、少し淋しかったクリスマスの夕方、近所へ農業研修に来ていたベトナムの研修生4人が来てくれ、プレゼントを頂きました。ジングルベルとベトナムの反戦歌を各々の言葉で歌いました。コロナウイルスの為、里帰りが出来ない中で、ふるさとの歌を楽しく歌いました。言葉は通じなくても笑顔が一杯の一時でした。 (会員)
8「忍耐して待ち望む」牧野信次
「安らかに信頼していることにこそ力がある」(イザヤ書30:15)今回のコロナ禍は100年に1度の危機と言われますが、私はこれを神からの警告としつつ次の歩みへの良い機会とすべき、またそのようにできると考えています。自他ともに自らの「弱さ」を認め受け入れ、どんな時も「いのち」の尊厳を絶えず念頭に有し、「市民的勇気」と「傾聴、受容、共感」の心構えをもって生きたいものです。 (会員)
9「2020年のクリスマス」伊吹由歌子
浜名湖エデンの園という高齢者施設におります。インターネットで、相変わらず第2次大戦・日本の戦争の事実を、当時の敵国民と共有する仕事を続けています。大国間の争い、心を失くしたかのような日本を見て実感する平和の大切さ。イエス様を世に送ってくださった神の愛、愛のご生涯を思い描きつつ、ひとを愛する難しさを知る毎日。共助誌に励まされ感謝です。 (会員)
10「クリスマスへの想い」楠川 徹
1948年のクリスマス。私は東大YMCAの宿舎で生活していた。YMCAでは近所の子供たちのクリスマス祝会の為、小さな舞台劇を企画した。私はキリストの役を命ぜられ、どうせ黙って立っていれば良いだろう、と引き受けた。当日、同じくYMの宿舎におられた劇作家木下順二先生が女優の山本安英さんと現れ、安英さんが私のメイキャップをすると言う。私は顔中塗りたくられてがなんだか解らないまま、芝居をさせられた。(会員)
11「クリスマスへの想い」井川善也
「わたしたちは、唯一の神、全能の父、天と地と、見えるものと見えないものすべての造り主を信じます。(ニカイア信条)」
新型コロナ・ウィルスも神の被造物であり、パンデミックは「被造物(世界)のうめき(ロマ書8:19―22)」の現れではないか、そんな思いも抱きながら過ごした1年でした。待降節は、共助会の先達の待降・降誕の説教(澤正彦:共助1981年12月号など)を、思いを新たに読み返しています。(会員)
12「クリスマスへの想い」田辺明子
かつて北白川教会の日曜学校を私が手伝っていた際に小笠原亮一牧師が「クリスマスは子供のものだ」とよく語られていたことを、思い出す。
それ以前に私が受洗した教会に於いて同志社女子中高のクリスマス・ページェントをお手本に毎年高校生と共にぺージェントをしたこと、その後に勤務先の聖公会の短大・大学で毎年降誕劇の世話をしたこと、そして担任のグループ約30人と共に毎年キャンドルサービスをしたことなどを想う。 (会員)
13「私たちの救いのため」木村葉子
「わたしはこの目で主の救いを見たからです。」(ルカ2:30)幼子イエスを抱いたシメオンは、マリアに「あなた自身も剣で心を刺しぬかれます―多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」ご降誕の喜びの時も、主イエスの贖あがないの業わざが成就されるためになされた謙遜と苦痛と忍耐をおぼえ、心砕かれるよう導かれました。紅葉した銀杏の大木がクリスマスツリーのように屹立して輝くのを見上げました。感謝して。(会員)
14「恵に報ゆるすべなきこの身は身とたま捧げて額ずくほかなし」平良久美子
降誕劇で東方の博士が幼子イエス様に黄金、乳香(フランキンセンス)、没薬(ミルラ)を捧げるシーンがあります。2000年たった今、私はイエス様から乳香と没薬を頂いています。不思議な出来事です。治療の為毎月3本の筋肉注射後の部位にフランキンセンス塗布やミルラの香料で痛みが緩和しています。イエス様は贈りものを私へも下さいました。(会員)
15「教会史の中に見出した共助会員」橋爪 範子
数年前から所属する駿府教会の教会史作成に加わってきた。独立して95年の歩みの中で共助会に係わる何人かのお名前を見出して驚いている。大正末期から昭和初期には旧制静岡高校生だった大嶋 功青年、裁判所勤務だった今泉源吉氏。終戦直前にはやはり静岡高校生だった成瀬 治、加藤 武氏の名が。小学生時代から大学入学までの終戦前後10年余りを当教会で過ごし受洗もされた尾崎風伍氏。もう一人、戦前戦後、途中異動の時期はあったものの20年余りにわたって長老として、結核療養所の伝道にと奔走された松隈敬三氏。NHKのアナウンサーや局長、高校の教師をされていた時代であった。この教会史もクリスマス礼拝には間に合い、完成した感謝と喜びに満たされたクリスマスであった。(会員)
16「クリスマスへの想い」荒川 朋子
クリスマス後のことですが、小友聡先生と若松英輔さんがNHKeテレの「こころの時代」シリーズでお話しされている「コヘレトの言葉」の第2回と3回を繰り返し観て、メモをたくさんとりました。このコロナ禍の中だからこそ響く言葉が詰まっていることに驚かされ、本当に素晴らしい内容でした。まだ6回までありますから、本当に楽しみです。(会員)
17「信仰50年のクリスマス」堀澤 六郎
今年は信仰50年の記念の年です。これまでの歩みを振り返って、いろいろなことが思い出されます。ある年は親から引き離された養護施設の子供たちとクリスマスを過ごしました。南国のカンボジアで迎えたクリスマスは、内戦で国家が分断し引き離されている中で迎えました。今年は新型コロナの大きな試練の中で迎えたクリスマスですが、人と人とを離間させ引き離そうとする悪から私たちをお救いくださいと祈りを合わせています。 (会員)
18「忘れられないわたしのクリスマス」李炳墉
忘れもしない。25歳の青年わたし、聖誕節に気づき泣き崩れていた。
東京新宿で多く往来する人波の中で酷しい現実の日々に襲われ、世に吸い込まれていた。
伝道者になって青少年育成を夢見ていたにも関わらず、すっかり変わり果てた惨めな自分自身を見た日だった。電話ボックスの中で号泣した。
神の霊が降りたった夜中2時、生まれ変わりのターニングポイントだった。来日して初めてのクリスマスだった。祝聖(会員)
19「新型コロナウイルス」三澤八重子
祭司ザカリヤとその妻エリサベツには子供がなく、神様に真剣に祈っておりました。そしてヨハネという子が与えられました。神様には不可能なことは何もありません。新型コロナウイルスへの感染は日に日に増しております。讃美歌に血しおしたたるみ手をのべ「友よかえれとまねきつつ待てるはだれぞ、主ならずや」皆で心を合わせ、収束を祈りましょう。 (会員)
20「2020年のクリスマスに寄せて」角田秀明
新型コロナの感染拡大に歯止めがかからない状況下でクリスマスを迎えましたが、改めてクリスマスに秘められた神の深いご計画を思わされています。イエス様のご降誕の700年も前からイザヤを通して御子イエス・キリストの降誕が預言されていたこと(イザヤ7章14節)、その名をインマヌエル(神は我らと共にいます)と呼ばれるとの素晴らしい約束が既に与えられていたこと、さらに、この歴史的なイエス様のご降誕が権力の側にある人々ではなく、弱いヨセフとマリヤ、当時の社会の底辺の羊飼いや東から来た異邦人の学者たちから喜び歓迎されたということ。そして、何よりも、イエス様が使徒信条にあるように、「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、3日目に死人の内よりよみがえる」ミッションを身に受けてご降誕下さったことを皆様とご一緒に感謝し喜びたいと思います。 (会員)
21「神の同労者の光栄」土肥研一
年末に読んだN・T・ライト『神とパンデミック』は面白い本でした。例えばローマ書8章28節について学びました。新共同訳のように「万物が益となるように共に働く」とすると、人の業とは無関係に神のご計画が進行していくようです。でもここの文意はそうではなくて、主語は神であり、「神は神の民と共に善のために働く」と述べられているとライトは言います。新しい1年も、クリスマスの御子と共に喜んで働いていきたいです。(会員)
22「クリスマスへの想い」石田真一郎
約20年前、牧師になっていたが、クリスマスの時期に体調を崩し入院した。ご主人の介護に通う婦人がおられた。クリスチャンではないと思う。若い頃は新聞記者で、来日したヘレン・ケラーにインタヴューしたと言われた。ご主人に優しく接しておられた。教会のクリスマスにもイエス様はおられる。でも色々な病気に耐える方々がいるこの病院にもイエス様はおられると思った。今コロナで入院している方々とも、イエス様は共におられる。(会員)
23「試みにあわせず悪より救い出したまえ」角田芳子
クリスマスを前に、カードを書きながら、キリストが誕生してくださった意味合いのありがたさを、しみじみ感じつつ時を過ごさせていただいている。他の多くの方々が、経験されていると思うが、93歳になった最愛の母親との死別、自分の健康上の課題が同時にやって来たのである。しかし、十字架にかかられ、罪を贖ってくださったキリストを思うとき、耐えられない重荷や悲しみはあまりないのではないかと思い、事実そうなっている。神様の時間の中で、1日1日を感謝し歩ませていただいている今年のクリスマスである。(会員)
24「クリスマスへの想い」下竹 敬史
今年は特別な一年となりました。コロナ禍で先の見通せない社会。ウイルスという目に見えないものにおびえ、人々はどんどん疑心暗鬼になっていく。
早くこんな状況から脱却したい、平穏な日々を取り戻したい。
今、平和を待ち望む心は、2000年前、イエスの誕生を心待ちにしていた人々の思いと相通じるものがあるのかもしれません。
安全な環境、安心できる生活、安定した人間関係を、早く回復したいと、この待降節に、強く思います。 (会員)
25「クリスマスへの想い」山川 文敏
【イザヤ書11章】神様が救い主の到来を約束してくださいました恵みに思いを馳せています。イスラエルの不従順を裁くため、神様がアッシリアを怒りの鞭として用いることをイザヤは預言しました。ダビデの父エッサイから連なる国は樹木に例えられ、それが斧で切られた切り株のようになることが示されています。しかし、そこから芽が出て、枝となり、メシアが到来するというのです。その預言の通りに、やがてマリアのもとに天使ガブリエルが来て、主イエスの誕生を告げます。「神にできないことは何一つない」とのみ言葉に、コロナ禍の中で「お言葉通り、この身になりますように」と応えて歩みましょう。(会員)
26「救急車の御世話になる」本間信一
2019年の暮れも押しつまった30日に門松を買って自宅への帰路転んで顔お でこ 面からかなり出血してしまいました。これを見た通りがかりの方に救急車を呼んでいただき病院で必要な措置(9針縫った)を済ませその日のうちに帰宅しました。
もしコロナ騒ぎ中でしたら、と考えると私の体力ではとても乗り越えられなかったと思います。本当に有り難い事でした。(95歳) (会員)
27「喜び歌う者」金美淑
幼年の頃、野菜を頭に載せて市場へ売りに出た母が、日が暮れてもなかなか帰って来ない日がありました。暗くなっても母の足音が聞こえないので、ひびが入った窓の隙間から何回も外を見ながらすすり泣いていました。すると、両手にお菓子をいっぱい抱えた母が「ミスガ! 미숙아!!」と私を呼びながら入って来るのです。私は母の懐に駆け込み、わんわんと泣きました。今は主のご降誕を待つ感激に喜び歌う者となっています。コロナの不透な困難の最中にいながらも、確実な主のみ言葉とみ光を信じている私ちに主は、「私はこの世にすでに勝っている」と今も空の星から語っておられます。主の約束を信じ、最後まで耐え忍び、感激の再会に喜び歌う日が来ますように!(会員)
28「クリスマスへの想い」藤 孝
コロナ禍で迎えるクリスマスには、特別な想いを持つ。
世界は人類は、分断格差社会へ向かおうとするのか、共存共栄へ進もうとするのか問われている。目につくのは、敵意・争い・怒り・分裂等肉の働きが勢いを増す姿であり圧倒されそうである。しかし我ら、キリスト・イエスに属するものは、一見弱そうに見えるが、愛・喜び・平和・寛容・自制等御霊の実をしっかり抱きしめ暖め、クリスマスを主と共に新たに生きる時として迎えたい。 (会員)
29「クリスマスへの想い」林 律
コロナ禍に世界中が苦しんでいる。イエス様を送ってくださった神様が、私たちをいじめるためになさったこととは考えられない。この災いを私たちが、どのように受け止め、どのように解決するかを問うておられるのだ。すべてを支配しておられる神様に対して謙虚に御心を聞き、無益なつぶやきを止めて、私たちのすべての罪を許して下さるよう祈り続けて行くほかないであろう。私の87年の生涯の中での恩恵の時と受け止めたい。(会員)
30「クリスマスへの想い」石川 忠義
私はこの4月には、満90歳。いよいよ90代に突入。健康に恵まれ、この年まで元気にこの地上での生活ができたことを感謝する。家内は2歳下で肉体にはあちこち弱み、痛みが出てきているが、気持ちは健康そのものである。これまた感謝なことである。お互いに助け合ってこの地上での生活が更に送れますようにと祈る。教会の牧師・伝道師・教会員にも恵まれ感謝。聖霊を信じ、永遠の生命を信ず。アーメン。(会員)
31「クリスマスに想う」中村 きよみ
2020年は初めての経験を数多く受けた珍しい年であった。コロナの蔓延は世界的な危機であったし、個人的には心臓大動脈弁狭きょうさく窄症のための手術(自己細胞形成による付け替え手術)、脳梗塞同時発症による言語失調、右半身不随。リュウマチの悪化。
そして現在……歩き、語り、賛美歌を歌い、文字を書く。
「生きている」のではない。「生かされて」いる自分がいる。
主の恵み……信仰の友の熱い祈り……家族の祈りが主に聞き届けられた喜びと平安に深い感謝、感謝。主よ、従いますと改めて誓ったクリスマスであった。
共助会の皆様有り難うございました。(会員)
32「天使の歌声」鈴木幸江
看護学生だった頃、12月が近づくと「メサイヤ」のハレルヤコーラスの練習が始まる。毎年病院のチャペルのイブ讃美礼拝で歌う。病院実習の忙しい合間をぬって、寮生活の中で、集まれば「ハレルヤ」を口ずさみ、各パートの練習をした。
当日は、青い制服の上に白いエプロンを付けてチャペルのローソクの元で一生懸命歌った。その歌声は礼拝に参加出来ない患者さんにも届いていた。翌日、病棟で患者さん達の笑顔に迎えられ、〝天使の歌声〟と褒めてくださった。
もう一度、皆でハレルヤコーラスを歌いたい。 (会員)
33「クリスマスへの想い」高橋 雅子
「クリスマスへの想い」ということでしたが、2021年、新年が明けてしまいました。コロナ禍で、帰省予定の東京の娘や長崎の夫の姉も来られませんでしたが、94歳の義母を囲みリモート団らんを楽しみました。
12月27日の新潟教会の礼拝説教で神﨑典子牧師が、1年前の12月4日、5人のアフガニスタン人と共に銃弾に撃たれて亡くなられた中村 哲さんの事を話されました。「まさにイザヤの語った平和、『彼等は剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦う事を学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう』(2章4~5節)という言葉を、身を持って人々と共に生きられた方だった」と。
今年、このことばを心に抱きつつ歩みたいと願いました。(会員)
34「コロナ禍のクリスマスを迎えて」飯島 信
コロナ禍によって、医療従事者だけではなく、多くの人々が職場においても、家庭においても、学び舎においても、厳しい現実に直面しています。医療技術を持たない私は、医療の現場に赴くことは出来ません。このような時、牧師である私の向かうべき現場は何処にあるのかを考えるようになりました。そして、たとえコロナに関わらなくても、3・11より10年、今なお困難な現実を抱える所に仕えたいと思うようになりました。(会員)
35「今の楽しみ!」石川 光顕
このコロナ禍で、調布教会 教会学校ではラインで20人以上がつながり、「CS週報」を配信し、毎週家庭礼拝を守っています。従来からの週報に「ショートメッセージ」を加えてラインで配信し、それで礼拝を守るというものです。我が家では、近くに住む次男家族と家庭礼拝が守られています(次男は仕事がありたまに出席)。
礼拝の特徴は、〝3分間黙想と話し合い〟です。2人の孫や嫁の言葉に新たな発見をさせられています。信仰の継承を祈っての楽しみな時です。(会員)
36「クリスマスの随想」木村一雄
私たちの青い地球はどこに向かっているのだろうか? この様な想いは世界中の多くの人々が心の奥に刺さった小さな棘の痛みを体の一部として感じているのではないでしょうか。特に、2020年のクリスマスは普通のことが普通でなくなっている人間の営みの中で私は迎えました。人類はウイルスとの戦いと共存の歴史です。現実に襲って来る真っ只中にいる感覚は荒波に呑み込まれた恐怖と不安の渦中にいるようです。そんな中、若い頃に出会った詩が賛美歌を歌う様にスーッと口をついて出て来ました。
中原中也【生い立ちの歌】
私の上に降る雪は/ 真ま 綿わたのようでありました
私の上に降る雪は/霙みぞれのようでありました
私の上に降る雪は/霰あられのように散りました
・
私の上に降る雪に/いとねんごろに感謝して、神様に長生(ながいき)したいと祈りました
コロナ禍の今、読み返しますと心の有り様・時代の流れの濃淡がしっかりと刻まれている感じがします。神様が与えてくださった私の足跡が時に深く、時に浅く、豊かに導いてくださったことに今、クリスマスの恵みに祈りと感謝を献げるものです。(会員)
37「クリスマスの楽しい思い出」黒瀬健二
キリスト教に正式に触れたのは、小学校5年生。近くの保育所に、ハワイに本部がある福音交友会がアメリカ人の宣教師を派遣、伝道を始めた。併設された日曜学校では、聖句暗唱が重視され、毎週聖句が宿題にされ、次の週に発表した。イエス様のご降誕を祝うクリスマスに、聖句暗唱と皆勤賞として、万年筆を頂いた。当時は物のないときだったので、貴重な品をもらって嬉しかった。その後、会衆が増えて、紫野に教会が与えられたが、家から遠くなり、受験とも重なり、キリスト教から離れた。やがて、日曜日の礼拝が大切だと気が付いて、北白川教会に導かれた。丁度ICUから京大の哲学を学ぶために、京都に見えた川田さんに導かれ、奥田先生から洗礼を授けられた。しばらくして、日曜学校の中学生担当を申し付けられた。テキストは『教師の友』で、生徒とともに聖書を学んだ。クリスマスは、今思い出しても、楽しいものであった。
イエス様のご降誕をお祝いする祝会は、まず電気を消して真っ暗の中、オルガン伴奏の厳かな雰囲気のもと、司会の先生のロウソクに火がともされ、みんなが持っているロウソクに、次々に点火された後、賛美歌を歌い、クラスごとに聖句暗唱を発表し、最後に先生から神の子イエス様がどうして粗末な宿屋の馬小屋でお生まれになったのかというお話があり、電気がつけられた。聖句暗唱は、たんとうしているクラスのメンバーが、ちゃんとやってくれるか心配のタネで、ひやひやしながら、発表した。
最後に、世界最大の聖誕劇ページェントが始まった。マリヤに天使がお告げになるシーン、ヨセフとマリヤが旅をして、ようやくたどり着いた宿屋のシーン、天使が羊飼いに主のご降誕を知らせるシーン、澤崎堅造さんが日曜学校に携わっておられた時のままの舞台仕様で、ラクダに乗った三人の博士を背景にして、いよいよクライマックス。馬小屋にお生まれになったイエス様を中心にして、マリヤとヨセフ、羊飼い、宿屋の夫婦が祝っているところに、東方の博士が黄金、乳香、没薬のそれぞれを捧げ、聖歌隊と出席者全員が、賛美歌「きよしこの夜」を歌うところで、ナレーターが、世界最大の決して忘れられない物語でしたと締めくくった。そのあと、サンタクロースが登場し、子供達全員にクリスマスプレゼントがクラスごとに渡された。牧師先生から締めくくりの感話を頂き、最後にケーキをいただき散会した。
日曜学校は、休みに入り、担任は達成感としばらく子供たちと会えなくなる寂しさをかみしめたものであった。今でも楽しい思い出である。イエス様に出会って、多くの人に支えられて、今日の自分がある幸いを感謝している。(会員)
38「クリスマスへの想い」関根美鈴
小学校1年の頃の事です。クラスの男の子が大きな声で、「サンタクロースなんていない、本当はプレゼントを置いたのは親なんだ。」と言ったのです。私はびっくりして帰るや否や父に問い尋ねました。父はにこにこしながら私の頭を撫で、「いい子には必ずプレゼントが届くのは本当だよ」と言ったのです。幼心にどの様に受け止めたのか未だに分かりません。けれど、あの時も主が共に居て下さったと過去に感謝しつつ振り返っています。 (誌友)
39「クリスマスの思い出」 大西 晴子
12月に入り教会の会報係から、子供の頃のクリスマスの思い出を聞かせてほしいと言われ、60数年前のことを思い起こしました。絵本が余りなかった頃、祝会で教会員の方が演じてくださった「クリスマスキャロル」に感激し、「最後の一葉」「もう一人の博士」等々の話は今でも忘れられません。子供時代に聞いたクリスマスの話は成長の糧となり、これからも子供たちに伝えたい神様のお話です。(誌友)
40「松本少年刑務所でのクリスマス」 堀口道人
8人雑居房の中で、青森県出身のS君と出会った。彼はクリスチャンだった。残りの6人の受刑者が見守る中、小さなクリスマス祈祷会が始まった。見回りの刑務官なんか、もう恐ろしくなかった。共に祈り、讃美し、聖書を読むと、私たち2人だけに留まらず、見守る6人の友の心にも、ロウソクの火が灯ったのが分かった。「あなたにとって救い主とは誰か」「はい、イエスさまです。」堀のむこうのアルプスが光った。 (誌友)
41「小笠原亮一先生の教え」木村祐太郎
1997年4月から2007年3月まで丁度10年間五所川原教会で私達のため、牧会してくださいました。神の愛、十字架の愛でした。私達は罪人である。常に懺悔、神の赦しを乞わなければならない。私は、信仰の本質は、他人の立場を自分の身になって考えることであると教えられたと思っております。これらの教えは、残り少ない人生の大きな賜物です。最後まで先生の教えを守ります。(誌友)
42「トナカイ」 設楽道弘
妻の長年の多くの転倒による脊椎損傷の不慣れな介助でストレスが溜まる今日この頃、行きつけの歯医者でトナカイの絵を見、クリスマスの季節になったナと実感しました。
普通に歩けるよう、神様に祈りつつ、暫くは治療に専念させます。今年も残り少なく、何とか一年を過ごせた事を感謝すると共に、皆様のご健勝を祈ります。(誌友)
43「クリスマスへの想い」中田朗
就職1年目の12月24日、私は配達の仕事中でした。その夜は底冷えのする寒さ。お届け先からは、家族団らんの楽しそうなしゃべり声が聞こえてくる。「今頃、教会ではロウソクを灯してキャロルを歌っているだろうな……」。そう思いながら運転席に戻ると突然、ラジオから「諸人こぞりて」「荒野の果てに」が流れてきたのです。ジーンと来ました。なぜか目から涙が溢れました。車中にも届いたあの夜のクリスマスは、忘れられません。(誌友・クリスチャン新聞)
44「クリスマスへの想い」北村 千尋
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、……己を空しうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた」。創造者が被造物たる人間になるとは神が私たちの中に働きかけ実現させるのでなければ信じることができないことだ。主は貧しい私が富む者となるために私のために貧しくなってくださった。この曲がった時代の中で命の言葉を堅く持つ者とせられたい。(誌友)
45「クリスマス嬉しいです。」丸山 恵津子
私は、今から3年前、教会を離れました。その頃は、聖書を開いても、涙がこぼれて、何も頭に入らずのような、聖書通読の毎日でした。でも、神様の憐みによって、聖書を読む生活から、不思議にも養われて、導かれて、今は共助会、無教会へと繋げてくださっています。
「イエス様は、どうしてこの世に来られたの?」信じて、私たちが幸せになり、神様と共に歩む事! すべての人がそこへと、いつでも招かれている! コロナ禍のクリスマスにあっても「神は愛なり」御心が成りますように祈ります。(誌友・松本集会)
46「クリスマスへの想い」岡﨑 公子
80過ぎれば毎日は出歩かないものだ、となるべく蟄居生活をしています。でも人との接触、集会、会食、移動等の不自由さは人間生活として異様です。
親しい方が多く召された今年のクリスマスは淋しいものになります。苦闘の日々から解放され神様のもとで平安な日々を過ごされる故人の方々を偲びながら、静かにすごそうと思います。いろいろ怒っています。『共助』第8号の山本精一先生の巻頭言に全く共感です。(誌友)
47「クリスマスの食卓」小堀伸子
戦後、母手作りのドーナツの美味しかったこと。
成人して、父が聖書と讃美歌を用意して待つ実家に3人兄弟の家族が集まり、父からクリスマスメッセージを聞いた後、孫たちはローストチキンをほおばり、父母がとても幸せそうだったこと。今年はコロナ禍で聖夜礼拝が短時間となり、早々に帰宅して夫とワインをいただきます。 (誌友・上星川教会)
48「クリスマスへの想い」上村 真理子
今までと全く違うクリスマス。懸命に歩んできて迎えたクリスマス。この先どのように進めばよいか祈らされたクリスマス。その時私の心に響いた園児たちの歌声「小さな町の小さな小屋で小さなみどり子 世に生まれた そのみどり子は この私たち救うために世へ遣わされた イェス・キリストが今 私の心に生まれた その愛の深さに気付くクリスマス」この一年を心から主に感謝し、これからの歩みを主に委ねて前向きに進みたいと祈る。 (誌友)
49「時を越えて残るもの」 三島亮
コロナの1年。不自由になったのか、自由になったのか。人はあまりにも自由を求めすぎた故に逆に不自由になったのではないか。あれもこれもできない。元々できないことの方が多かったはず。こんな時だからこそ本当に大事なものだけが残るのだろう。
クリスマス。改めてイエスの誕生、十字架、復活の場面を読んでみる。日常の中では神様の存在を確信し、感謝の思いがあるのに、一番大事な部分で未だにつまずいている私がいる。 (誌友)
50「喜び、祝うとは」光永 豊
クリスマスへの想いを寄せるにあたり、改めてクリスマスの意味を考えました。そう言えば、子供の頃は何気なく、「イエス様の誕生日」で終わっていたように思います。十字架にかかられる生涯想うと、「メリークリスマス」という言葉に少し違和感を抱きます。何を喜び、何を祝い、誰に言葉を向けるのか。今年はそんな想いが、心に残されました。 (誌友)
51「さやかに星はきらめき」谷口 稔
クリスマスの讃美歌といえば、私は讃美歌第二編の219番「さやかに星はきらめき」を思い出す。特に私が好きなのは3節の「互いに愛せよと説き、平和の道を教え……げに主こそ平和の君、たぐいなき愛の人」のところである。このコロナ禍にあって混沌とした世界に希望の光を与え、そして私自身もこの讃美歌によって信仰による平安を得ることができたクリスマスであった。 (誌友)
52「イエス様のご愛につつまれて」髙橋 泉
11月5日、父は94歳で安らかに主のみもとに召されました。家族にあふれるほどの愛情を注いでくれた最高に優しい父でした。父の世話で腰椎圧迫骨折をした母は、父と同室に入院。コロナ禍で面会も許されない状況の中、毎日共に祈り励まし合う恵みを頂いたことを、母は神様のお導きと感謝していました。早朝、家族一同が集い、涙ながらに祈り、賛美歌を歌って父を見送りました。主に愛され、守られた父の生涯を感謝いたします。
幼稚園のクリスマスページェント。子どもたちの清らかな歌声が、悲しみにくれる私の心をそっと包んでくれました。イエス様の深いご愛をかみしめました。(誌友)
53「クリスマスへの想い」尾崎二郎
「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」2020年4月から別府不老町教会で伝道師としてお仕えしています。今、別府での初めてのクリスマスを迎え、上記聖句の「民全体」、「大きな喜び」ということの重みを感じています。私たちは全員に永遠の命への大きな喜びを、私たちの間に宿られた言葉であるキリストによって告げ知らせてまいりましょう。(誌友)
54「神様は確かに導いておられる」佐藤義子
このコロナの時、小さな伝道所に、神様は一人の女性を導いておられる。彼女は津波でご主人を亡くされ、3歳の娘と福島から仙台の実家に戻られ子育てをされ、今春、娘さんがキリスト教主義の中学に入られたので礼拝に来られたとのこと。自分より良い人間である夫がなぜ? との疑問を今も抱えながら、聖書の学びを共に始めた。クリスマス礼拝にも出席された。神様は確かに導いておられる。 (誌友)
55「原点」 福島 至織
「最大の敵は自分自身」「汝の敵を愛せよ」この2つを合わせると、「自分自身を愛せよ」になる。自分との関係は排他的で偏り易い。孤独の中で、つい自分を責め苛み苦しめている。でも、人は自分を介してしか人と関われないので、気付けば自分に接するように人に接している。共にいるのが当たり前の自分だけど、命も心身も神様が与え愛し許してくださった尊いものだということを、確かめた今年のクリスマスだった。(誌友・佐久学舎)
56「コロナ禍の中で」計良祐時
雑誌を拝読し、皆様の信仰の中の交わりと活動にお接しいたし、感謝です。主キリストの恵みを、信仰の出会いと交わりを通していただいてきましたことを、改めて思います。COVID-19のパンデミックは、歴史に刻まれたペストを思わせました。その時が終わることを願っています。 (誌友)