キリストに従い、共助会に生きた 三人の女性の問題意識と我々への課題 藤 孝

正月明け9・10日に修養会後半部が、コロナオミクロン株の急激な流行の兆しがみられる中で開催されました。そのために早天礼拝説教担当の阿部真希子さんとシンポジウム④発題担当の荒川朋子さんは欠席されましたが、提出されていたレポートを司会者が代読し、それぞれが感想や意見を述べ合う形式で行われました。

荒川朋子さんは、共助会員として戦前戦後を生きられた三人の女性―山本(櫛田)孝、山田松苗、沢崎良子さんの歴史を共助に発表された文章を辿りながら描き出されました。戦前にあっては職業を持った女性が信仰生活を続けていくことがいかに困難で大変なことであり「会社勤めの繁忙と病身と信仰生活と誘惑との苦闘の中にもがいていた数年は、1週間の戦いに疲れ果てた土曜日の晩、明日の日曜は魂の憩いよりもひたすら身体の休みを希う私でした。」との櫛田さんの表現は、悲痛な魂の叫び声として今でも迫るものがあります。そのようなときに森先生との出会いは、「先生の魂に粘り着くような伝道愛」に支えられ、十字架を棄てることなく生きられたことへの感謝を述べられています。

荒川さんもアジア学院の職員としての働きと、家庭生活と信仰生活とを続けていく困難さを櫛田さんと同じように経験される中で共助会との出会いへと導かれ、また森明以来の「魂に粘り着くような伝道愛」による人格の触れ合いを確かなものとされていることを知りました。

沢崎良子さんは、夫の堅造さんが、祖国の罪の贖いの一端になりたいと願った蒙古伝道に、お子さんと共に渡られましたが、終戦直後に堅造さんとは生き別れになって日本に戻られ、戦後を一人で家庭を守られ生き抜く激動の人生を歩まれました。帰国後に中学校の先生になられましたが、公立中学の先生への伝道は、ほとんど不可能に近いと考えられていましたが「今日も昨日も神無き人々の中に生きていこうと思う。神の恵みの御手と友の祈りの支えを信じて。」と書かれています。そして中国、韓国、東南アジアへの人々に負うべき罪の負い目を、日本人の信仰者は負っていないと反省を促されています。「私たちはどうすればよいのか、教えていただきたいと思います。」という言葉に、荒川さんは、沢崎さんの願いには、「アジアの国々との和解を願って創られたアジア学院の建学の精神が通じるものがあるように感じます。」と応えられています。私はこの文章に、今まで全く違うところで生きてこられた、荒川さんの信仰者としての応答が共助会の友としての繋がりの中で明らかにされていると思いました。

さらに現在の共助会への課題として「1アジアとの対話、和解への取り組、2ジェンダー平等についての向き合い方、3学生伝道をどうするか」という問題提起をされています。

その中に描かれた水俣病の患者さんが最も苦しんでいる時も、分断されてどうにもならない時も「宗教はなーんもせんかった。」という患者さんの絶望した口調で語られていたという言葉が、今も耳に残っています。  

(東八幡キリスト教会・星の下会員)