一条の光(2007年1月号) 尾崎風伍
昨年は十二月十五日に改変教育基本法が、その内容に関する基本的・実質的検討や準備がなされぬまま、参院本会議で可決・成立。更に、これに相乗りする かのように、防衛庁を省に昇格させる関連法もまた可決されてしまいました。このような時代の潮流は、かつてヒトラーが「バスに乗り遅れるな」と叫び、日本でも「我が意を得たり」とばかりに人々がこれを口にした、あの暗い時代に酷似しています。
しかし昨年秋、安倍政権発足直後のこと、東京地裁による日の丸・君が代強要違憲の判決がありました。私はここに一条の光を見ます。実にまともに、憲法一九条と教育基本法一〇条を根拠として明快な判決がくだされたからです。けれども、私が一条の光と言ったのは、この判決結果だけを見てのことではありません。私はこの判決当初から、佐藤美和子さんのピースリボン裁判等良心的な教員の方たちの裁判がいずれも難航している中で、どうして今回の裁判だけが一挙に敵の本拠を衝くような明快な判決に達しえたのか、不思議に思っておりましたが、つい先頃出版された『「日の丸・君が代」を強制してはならない』(澤 藤統一郎・岩波ブックレット)をいち早く手にして、やっとこの疑問が解けました。私の関心にそってその要点を記せば次のとおりです。
・「予防訴訟」という方法をとったこと。それによって、初めて憲法や教育基本法を正面に据えて訴えることができた。
・しかし、法律実務家の感覚では、「予防訴訟は無謀訴訟」と呼ばれるほど、適法な訴えとして受理されるハードルが高かった。
・このハードルを乗り越えさせた最も大きな要因は、原告四〇一人(その中に、共助会員・石川光顕、木村葉子二名の同志の名がある)の決意と熱意であった。
・これに呼応して志ある弁護士が立ち、強力な弁護団が結成された。
・裁判長・難波孝一判事が原告の訴えをよく聴き、訴訟内容の正当性に確信を持った。
この経過の全体を通して、人々の間に喜ばしい人格的触発の連鎖反応が起こっています。異なる賜物が結び合わされて善き業に向かって結集されてゆく息吹が感じられます。前途の楽観は決してゆるされませんが、ここに聖霊の爽やかな風が吹く一隅があり、その確かなしるしがあります。そこに私は一条の光を見ます。