神学することの大切さを思う(2010年7月号) 尾崎 風伍

 戦前版『共助』を通覧して(とはいっても、大変粗っぽい仕方ではありますが)更めて感じたことがいくつかあります。その一つは、共助会の先輩たちが、それぞれ自分の遣わされた場所にしっかりと立って、実にさまざまな角度から聖書を読み、神学書を読み、必要と思われるあらゆる書物を読んでいることです。ある人は厳しい自己省察を加えつつ、自分が、またはこの国が、どんな針路を取れば神の御心にかなうかを問う問題を携えて、しかしまた、他の人は自らの学び得た収穫を携えてきて、ちょうど約束の地で獲れた実りの初物を主の祭壇にささげるような喜びをもって、『共助』誌上に原稿を寄せておられます。

  その典型的な一例として澤崎堅造の戦前版『共助』への寄稿の一端を紹介いたします。澤崎堅造は、たとえば第27号(1935年5月号)と次号にわたり「カルビンの政治論」と題して『基督教綱要』第4篇第20章の「政治的統治について」を紹介しています。更にそのすぐ後の第30号(同年8月号)には、四月末に日本のカトリック教会が教皇使節団との連著で発布した「共同教書」を取り上げています。これは直面している非常時局に日本カトリック教会はどういう考え方で対処すべきかを示したものです。澤崎の教会と国家に関する考究は、なおこの後「国家に関するトマスとカルヴィン」等いくつかの執筆に続きます。ところが1936年になると、これらと重なり合うようにして「カルヴィンとイデレット」(第46号・12月)、「カトリック『婚姻の回勅』について」(第47号・1937年1月号)、「ブルンネルの結婚論」(第53号・1937年7月号)、「ルーテルの『結婚に関する説教』」(第61号・1938年7月号)と、結婚に関する学びの報告が目を惹きます。後から気がついたことですが、堅造は1937年5月に今西良子と結婚をしております。

  熱河宣教の澤崎堅造には、このように冷徹で地道な神学することの素地がありました。そしてこれは澤崎堅造にかぎらず、戦前のキリスト教共助会全体の信仰的風土のようなものだったというのが、戦前版『共助』から受けた印象です。戦後の共助会も言わず語らずのうちに確かにこの良き賜物を受け継いでいると思う反面、戦前に比べてやはりこの面のことが弱いかなとも思われるので、自らを戒めて自覚的に神学することに励もうと思います。