変わりゆくものと変わらないもの(2003年9月号) 尾崎 風伍

 今夏の夏期信仰修養会には、毎年必ず出席してこられた何人かの友人の顔が見られなかった。あるいは、初日で切り上げて帰らなければならなかった友もいた。今年の特殊事情で日程が変更されたため出席できなくなった場合もあり、これは大変申し訳ないことであったが、別の意味で心が痛むのは、加齢による本人の健康や体力の限界、家族の病の篤いことなどによる場合である。一方、今年の夏期信仰修養会には、三三名の韓国の友(内、韓国共助会会員六名)が参加された。旅程の都合で初日夕から三日目朝までの部分参加であったが、このようなことは今までになかったことである。夏期信仰修養会の出席者という一断面を見ても、ふと気づくと昔とはずいぶん変わっている。私どもの意思や願いを超えて変わりゆくもの、恵みによって変えられてゆくものがある。

 しかし、その一方で一貫して変わらないものがある。私はこの夏、夏期信仰修養会の翌週、京都共助会の友人たちが長い月日をかけて祈って準備された「熱河宣教の祈りの山を求めて」という旅行に参加した。文字通り、「祈りの山を求めて」の密度の高い旅であったが、その背後にあった切なる願いを言葉で言い表すならば、熱河宣教によって与えられた「友を求めて」の旅であった。そしてその願いは実現された。十年前、別の企画による旅行に合流する形で沢崎良子夫人はじめ数人の共助会の友人が熱河を訪れたときほ、熱河宣教ゆかりの人たちと会うことさえ、憚られる状況であった。今回も現地に着くまで、どうなることか全然わからなかったのであるが、結果からいえば、私たちの思いを超えた仕方で、熱河宣教によって与えられた友と顔と顔とを合せて言葉を交わし喜び合うことができたのである。

詳しい報告は追って「共助」誌でなされるはずであるが、私たちはそこに、戦後五十数年、しかも中国のキリスト者にとっては厳しい試練の半世紀以上を経てなお変わらないものが生きて脈打っている鼓動に触れた。福井二郎、沢崎堅造・和田正はじめ、熱河宣教の諸先輩が涙と共に蒔いた福音の種は「むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす」(イザヤ書五五・三)と神がお約束された、そのお言葉は、真実であって決して変わることがない。