戈を止める力(2003年8月号) 佐伯勲

 昨年の秋には成立していたであろう「有事法制三法案」(「武力攻撃事態対処法」「改正自衛隊法」「改正安保会議設置法」)が5月15日衆議院可決、6月6日参議院で可決、成立しました。衆・参両議院とも9割近くの賛成ですから(政党政治の崩壊の日、戦後の五・一五事件と記憶しましょう↓、世論もそうなのでありましょう。翌日の新聞記事には『歴史転換あっけなく』というのがありましたが、その見出しが全てを物語っているように思えました。すでにある「自衛隊」(首相自ら軍隊と言っている)、そして、すでに成立・施行されているPKO(国際維持活動)、PKF(対テロ特措法)、「周辺事態法」、こんど成立した「有事法制三法」など、これらによって、日本の平和憲法の、〈戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認)をかかげる「第九条」を完全に空洞化し、これによって戦争のできる体制が合法化されたと言われております。自衛から戦争への備え、さらに攻撃、戦争を仕掛けることも可能だと言われております。そして、この法案の成立を待っていたかのように、「イラク新法」制定に向けた論議が始まりました。これで、インド洋からイラクまで、ということは、日本の周辺だけではなく、世界のどこへでも「自衛」隊を軍隊として送ることが可能になったわけです。そもそも自衛隊は、海外出動は全面禁止を存立の根幹として創設されたものでありましたから、本当に日本の戦後の歴史において大きな転換点 であったわけですが、大きな反対、議論の深まりもなく二週間そこそこで衆議院で可決、それこそあっけなくでありました。

 この間、日本全体は何に目を向けていた、いや向けさせられていたのでしょう。不思議なことでありますが、例の「白装束集団」のマスコミ報道合戦と法案の審議・可決はぴったり重なっており、法案が衆議院を通過するやマスコミからは消えました。思えばこの間ずっとテレビ・新聞・週刊誌などマスコミは「イラクの核兵学大量破壊兵器の脅威」、「北朝鮮による拉致問題」「北朝鮮の工作船」、「北朝鮮の核ミサイル問題」、「万景峰号問題」に加熱ともいえるほどでありました。それらは意図的なものだったのかどうかはわかりません。しかし、言えることは、私たちはこの間、脅かすもの・異様なもの・不審なもの・自分たち以外の者・敵が日常(平穏無事)の中に入り込んでくる「有事」を体験していた(させられていた)ということです。そういう中で「おらが村はおらたちで守ろう、自分の愛する国・民、日々の生活は自分たちで守ろう、敵・異質なものは排除しよう」と傾いていったことは否めません。そこにあるのは、「隣人を愛し、敵を憎め」(マタイ福音書5章43節)であります。゙敵を憎めというのは旧約聖書にはなく、どこからきたのかよくわかりません。ここでの隣人は同じ民族であって、おそらく、同族、兄弟である隣人を愛することから自然に出てきたもの隣人を愛することを強めるために、セットになって、いつのまにか一般的に言われるようになったと思われます。これは昔も今も、どこの国でも同じでありましょう。有事法制(敵にやられたらやり返す、やられるまえに敵をたたく)と「国旗・国歌」法や、郷土愛、愛国心を育てる教育、教育基本法の改定とはセットになっているのです。しかし、それに対して、イエスはマタイ福音書の山上の説教「敵を愛ししなさい」のところで、敵を愛し、迫害する者のために祈ることはあなたがたキリスト者の特徴なのであるから(異邦人や徴税人と違って)、力を尽くし、心を尽くしてそのように行いなさい。と言っておられます。いつの時代も、どのような時代状況にあっても、目を覚まして祈り、わたしたちキリスト者はキリストの言葉に信仰をもって「そのままに」従うべきでありましょう。゛武力゛は戈(ほこ)を止める力と書きます。それは、信仰の力です。