新潟共助会報告(2020年10月) 報告者 鈴木孝二


時 2020年10月17日(土)午前11時~午後2時半

所 新潟教会(日本基督教団)2階

出席者21名、春、コロナ禍で中止した会の再開で第14回を同じ発題者のもとで開催する。密を避けるため教会の2階、礼拝堂をお借りして行う。

今回発題者とのつながりもあって初参加の方々が6名となる。

お互いの奇しき絆、再会の恵みとなる。

(Ⅰ)第一部  

司会 小淵康而

賛美 讃美歌21 510番「主よ終わりまで」

聖書 旧約聖書 詩編103編1~2節

発題 「私の歩み―牧師夫人として生き、生かされて」

担当 本間蕙子さん(日本同盟基督教団新発田キリスト教会員)

配布資料をもとに、これまでの長い伝道牧会生活を牧師夫人の立場で語ってくださる。先に召された本間進牧師との二人三脚、数々の出来事を時にユーモア交えて話される。

(一)松浜キリスト教会(現、北新潟キリスト教会)時代

(1970~1978)

結婚と同時にスタートした牧師夫人としての歩み。就任した教会は、鈴木夫妻など同世代の教会員が多数で、クリスチャンホームの形成期、みな熱心で日曜礼拝、祈祷会オール出席の状況。CS(教会学校)では日曜日以外にもお菓子作りに挑戦などをする。1973年8月4日未明、教会の十字架に落雷があり、カマボコ型兵舎の教会を全焼する。幸い隣りの牧師館は一部を焦がすのみで家族共々守られる。「教会が落雷を引き受けてくれた」との地域の方々の言葉を支えに、翌年新会堂を献堂する。

近くの敬和学園高校の生徒さんの礼拝出席と青年会に深い関わりを持ち、献身者が起こされる。本間 進牧師(主人と呼ばれる)葬儀の折、出席され再会の恵みにあずかる。

(二)佐渡金井キリスト教会時代(1978~1986年)

主人(本間牧師)に転任の話が教団理事会から来る。佐渡市(旧新穂村)出身の牧師、実家からは、「絶対に島には来るな‼」と厳命されている中での出来事、しかし島に渡る。

「一匹の羊を求めて」との覚悟、生まれた長男に羊一と名付けての転任である。スイス・アライアンスミッションの長い宣教活動にあった佐渡、宣教師の引き揚げで各所の教会、集会が金井キリスト教会に集約される。

そこより、夏休み期間中、全島各所を巡り映写会など子ども伝道を行う。沢山の子どもたちが集まった。

三人の子どもたちも成長期、佐渡の自然と共に楽しいひと時を持ち、忘れ難いものがある。

島外からの伝道チームが来てくれた。その中に、新垣 勉さんもおられた。そして、新会堂建設にも導かれた。

(三)新潟福音教会時代(1986~2003年)

佐渡に骨を埋める覚悟で伝道活動をしている矢先、下川友也牧師が東京の神学校校長としての転出により、母教会から招聘を受ける。

そこでの大きな仕事は、統一教会からの救出活動であった。市内外より相談に見えるご父母等と協力しての救出活動、脱会した人たちへの信仰指導にも取り組む。

今一つの大きな事業は、白山浦での教会の移転、新会堂建設である。億単位の大仕事で、その途上3人の方が教会を離れられたことに責任を感じる。

1999年7月20日、下川牧師を迎えての献堂式を忘れない。

当時の地名から高美町となって大きく変貌している現在である。

その途上、牧師(主人)の盲腸手術後の後遺症のこともあって

年60歳、区切りをつけ、開拓伝道に出ることとなる。

(四)新発田キリスト教会時代(2003~2007年)

大学時代に救われ、宣教師の働きをずっと見てきた主人(牧師)は、念願の開拓伝道に出る。所は新発田市で斎藤さん一家との家庭集会からスタートする。

そこから借金をして30坪の家を購入して新発田キリスト教会を開所する。私(夫人)は、友の会などに出席して仲間づくりをする。

その途中主人(牧師)に病気が見つかる。脳腫瘍で、筑波大附属病院に転院し、最先端の治療を受ける。退院後も療養と説教をしつつ過ごすが2007年11月14日召天する。65歳2か月の生涯である。

現在、教団の配慮もあって息子羊一牧師(柏崎市と新発田市の両方で活動)が父の遺志を引き継ぎ責任を負っている。

この間での忘れ難いことが二つある。一つは、牧師不在の時でも、信徒の方々が一つとなって教会を守ってくれたことである。今一つは、牧師の母が主イエスを救い主として受け入れたことである。これが最後のチャンスと思える夜、主人と母が二人だけで語り合い、ついに祈りが聞かれたのである。

・牧師を支え、牧師夫人として歩まれたその生涯、出席者一同に大きな感動を与えて下さった。お二人を近くで知る上に一層のものが伝わって来るものであった。

その後、午前中で退席される下川友也、ヨリ牧師夫妻と小林敏志さんに本間牧師とのこと、近況報告をしてもらう。

そして、ランチタイムと古本交換会に移る。

(Ⅱ)第二部「自己紹介と近況報告」 司会 木田洋子

①KHさん:初参加の田渕松実さんと何十年ぶりかの再会を喜ぶ。新潟バプテスト教会青年会で共に活動した。この8月より、柏崎の新潟聖書学園に移り、息子羊一ファミリーと共に生活を始めたことを語る。

②小淵康而さん: 中渋谷教会伝道師時代に「共助会」を知る。森 明に触れ、著作集のことなどを紹介。

③小野 弘牧師:佐渡伝道24年目、本好きなことより、教会に図書館を開設したい。

④・Kさん: 新潟共助会再開がうれしい。古書店で入手した内村鑑三の『後世への最大遺物』(文庫本10円で)から高校教師の道に進んだ。コロナ禍の中、どう生きるかが問われている。

⑤AUさん:初参加の経緯を語る。息子さんが独立学園3年生。山本精一校長との出会いなどより共助会をもっと知りたい、森 明の本などを入手したいと語る。

⑥EAさん: 敬和9回生。求道中、受洗を勧められている。特別支援学級で仕事中、子どもたちは運動会などで力を発揮している。

⑦HOさん:共助会は不思議な集まり。コロナ禍、祈るしかないのか。

⑧TNさん:敬和6回生、1年生の時鈴木先生が担任。中学校教師を退職後の今、コロナ禍で3、4日も全く話さない時がある。

⑨MYさん:今回の参加のこと、独立学園、夏の学校に参加し、聖書をもっと知りたいと願っている。本間蕙子さんとの交流を語る。

⑩MTさん:18歳で新潟に来て会社を経営、今息子たちに任せている。72歳、これからどう生きるかが課題。最近、東日本大震災の被災地を訪問、今後も続けたいと思う。

⑪KS・J夫妻 
Sさん: コロナ禍の中、今年初めて電車に乗った。今、共助会の本を読み続けている。今後も『共助』誌を取り、関係者の本を読んでいきたい。
Jさん: 下川牧師より受洗。高校生の時、高田聖書教会で鈴木さんに会っていたことを話す。

⑫MTさん:敬和1回生、今回、UEさんに会い、娘さんたちとみどり幼稚園でご一緒したことを思い出す。帰る際、一階にある「ノアの箱舟」という作品を是非見ていってほしい(そのワケを話す)。

⑬UEさん:初参加の理由を語る。佐渡で本間牧師夫妻に出会って今に至る。娘2人が独立学園で、下の娘が今1年生に在籍中。

⑭NFさん: 敬和9回生。幼稚園時代、人は死んだらどうなるのか聖書で答えを知る。共助会に入会して、今、渡辺さんの受洗を祈る。

⑮ST・M夫妻 
Mさん:息子の結婚のことを祈る。頼まれたら断れない『共助』誌の原稿を送らせてもらったばかり。

K: 昨年の秋は肺炎で入院、会に欠席。共助会の大切さを知る。「加藤タカ物語」(コピー配布)のこと、共助会出版物を紹介する。

⑯KYさん:司会者として最後の番、敬和4回生。コロナ禍で南魚沼市の自宅周辺は観光地なのに、今年は全く静かである。小学生時代、一人で帰る時、神様とおしゃべりしたことを思い出す。永井 隆さんの『この子を残して』の本が忘れられない。

お互いを知り合う時となる。最後、係よりの会計報告、長嶺さんによる祈祷を持って今回の会を閉じる。   (10月28日記)