東京共助会報告(2019年11月/ 2020年2月) 〈報告者 鈴木幸江〉

11月例会

2019年11月30 日(土)10時~12時

世田谷総合支所・太子堂出張所3階会議室 参加者11名

 

「共助会百周年記念事業についてなど」

始めに「基督教共助会創立百年「感謝・悔改め・告白と祈り」案(昨年12月『共助』誌第8号掲載)を読みました。

飯島氏からは、これから広く会員の意見を募り、修正を加え、来年6月の『共助』誌に完成版を掲載すること、また、今年10月14日には教育シンポジウムが開催され、来年1月には伝道シンポジウムを開催されるとの報告がありました。

また、12月末に出版される『恐れるな、小さき群れよ―基督教共助会の先達たちと森 明』に掲載されている共助会の先達たちの文章を、皆でしっかり読んで行きたいとの希望が述べられました。

懇談に入り、参加した方から「森 明は共助会を創設して五年で亡くなられたが、病気で実際には二、三年の活動しかできなかった。その会が百年続くとは一体何なのか。」「奥田成孝氏は『共助会は森 明を崇め奉る会ではない。森 明との出会いの中では、いつしか森 明は退いてキリストが目の前に現れる』と記している。」「告白によって、共助会の戦中の会員の負の部分を明らかにすることはとても大切。」「教団が議長名で出した『戦争責任告白』を、李 仁夏氏は韓国語に訳すという大きな働きをしている。」「なぜ、戦争になったのか、なぜ、教会が戦争に加担したのかを究明しなければならない。その為に矢内原 忠雄の研究をしている。多くが陥っていった深みを問いただしたい。」「現在はどうなのか。伝道はこれまでの伝統的な教会概念で行うことは難しい。今の若い人は〝悔い改め〟〝罪〟と言っても解らない。そこに何が起こっているか、問題のありかがどこにあるのか、今の若者たちに耳を傾ける必要がある。」「核の問題をローマ教皇が来て語ったが、現代に突き付けられている重い課題である。若い人は感情や感覚で罪の問題を感じている。それを具体的に教えることが教育の課題。」「今、中国、ロシアの共産圏で教会が求められている。また、南米等第三世界の人たちが貧困の中で福音を求めている。」「日本の教会の問題点はエリートの人たちがしっかりとした人生観を持っていないことではないか。」「日の丸・君が代問題にかかわってきたが、それは自分にとっての天皇制の問題だった。」

「戦争責任についてだが、国家は国家である限り何らかのものを持っている。それが国家権力の自己正当化、神話へと繋がる。それは日本だけではなく国家がもっているナショナリズムの問題でもある。」「今は話し合いのできる時代になっている。『宣言』ではなく『こういうことを考えています。みんなで話し合って提出しましょう』というかたちにすると若い人たちが参加できるのでは」などの意見が出されました。

共助会の百一年目の歩みに向かって、課題の多さ、大きさを改めて感じました。

 

2月例会 

2月1日(土)10時~12時

世田谷総合支所・太子堂出張所3階会議室 参加者10名

 

「伝道シンポジウムを受けて」

飯島氏が持参した共助会百周年記念事業として今年1月に行われたシンポジウムⅡ「伝道の明日を考える」がクリスチャン新聞に掲載される予定という記事のコピーを読んだ。3人の牧師の発題の要旨を簡潔に解りやすく取り上げていて改めてシンポジウムで語られたことの意味を考える機会となった。

朴 大信伝道師(現松本東教会)は伝道者として立つまでの20歳~30歳に「言葉の確かさを求める旅路があった」と語り、松本東教会創設者、手塚縫蔵の言葉「存在は即ち教育なり」を紹介し、手塚は伝道者、教育者として終生、教会で一信徒として中心的な働きをした。彼は植村正久に牧師になるよう勧められたが「伝道は牧師だけでやれるものではない」と答えた。「存在は即ち伝道」、キリストに仕える中で小さなキリストとなり、一粒の麦となって他者の存在の中に響き渡ってゆく。明日の伝道を考えるとはそういうことではないか、と語っている。

青森県二戸市で牧会している小友 睦牧師は「旧南部地域における農村伝道の推移とこれから」と題してこの地域の伝道の歴史の推移を語った。特に二戸圏伝道について、一時期は多くの伝道が行われ、「当時は家庭集会を中心にした連合的な教会だった。今は結局一つになってしまったが、この伝道圏伝道を重視したい」「農村伝道には使徒時代及びガリラヤ伝道(地域家庭集会を教会とする)に戻ることが必要だ」と指摘。「教会はなくなるかもしれないが、農作業や里山体験をしながら御言葉を語り話し合ってゆく楽しみに集中してゆくほうがいい」と語った。

木村葉子牧師は教員時代、都立高校の国旗国歌実施通達による学校弾圧に抵抗し、苦しみの中で退職し牧師になった。「100年前、森明牧師は日本の精神的土台としてキリストの福音が必須だと伝道者となり、共助会を創設した。当時、『教育勅語』が天皇崇拝を国民道徳の基幹としていた。そして敗戦を経た現在もその精神的影響は色濃く人々や国家指導者に残り、政治や司法、教育を支配している。私は個人の尊厳、良心、信教の自由の根底を支えるものは、キリストしかいないと確信して牧会している」と語った。

会では主に天皇、天皇制について話題になった。

戦後、新しい象徴天皇制を作ってきたが、学校教育の中にその天皇制を入れるために「日の丸・君が代」を入れた。福音、キリストの他、自由独立、それを語るのが教会、それに徹すれば天皇制がいかに問題であるか解る。天皇個人の問題ではなく、それを利用する人達が問題。天皇制は明治の時に作られたがその天皇の実態を明らかにしてゆくことが大切。天皇を事実として人間として理解し、学んでゆくことが今の教育、教科書では出来ない。天皇に信教の自由がない、天皇は人間だという認識を国民がもつことが重要だが、今のままではすぐ現人神に戻ってしまう。イギリスは神の下に平等、女王を人間として認識している。

対立してもこの問題を教会で語り合いたい、そしてキリストに在って寛容でありたい。天皇制について、忌憚のない話し合いがもたれた。

(カンバーランド長老教会 泉伝道教会会員)