床を担いで 金 永秀(キムヨンス)
ヨハネによる福音書 五章一―九節
今年は戦後七十年、日本が韓国を事実上の支配下(日韓保護条約)においてから百十年になる、節目の年です。普段はまるでなかったかのように語られることのなかった歴史が、このような節目の年には想起されます。歴史が今日の社会に大きな意味を投げかけているのは言うまでもないことであると思います。
元日本軍兵士で戦死した父親を持つある人が「もし日本軍がアジアの国を侵略し、残虐な事をして戦死したというのなら、私の父の死は無駄だったということになります。だから、私はそのような事は認めるわけにはいかない。」皆さんはこの人々の言葉をどのように思われるでしょうか。私は、その戦死していった兵士達の死を無駄にするかしないかは、今に生きる私たちに繋がっていると思います。日本軍の兵士が残虐な侵略戦争をしたというその事実をしっかりと踏まえ、しっかりとその歴史の真実に向き合うことが大切であると思います。普通の人々が兵隊にとられていったこと、普通の人々が教育と国家の価値観によって戦争に駆り立てられ、殺人者に変えられたということをしっかりと認識し、二度とそのような事をさせない国を作るなら、死んでいった人々、殺されていった人々、殺すように仕向けられた人々の死は無駄になる事はないのです。
主イエスがエルサレムを訪問した時、ベトザタという池に一人の病人が横たわったままになっているのを目撃しました。その人は、三十八年間も寝たきりのまま、この池の周囲で生活をしていました。本日の聖書では、この男が主イエスによって癒されるという奇跡がおこります。主イエスは、この男に尋ねます。「良くなりたいのか」この病人は「はい、良くなりたいのです」とは答えません。「池の水が動く時わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです」。どうして、この長年病の床にあった男は主イエスに、良くなりたいのですと、素直に言わないで「池の水が動いた時誰も私を池に入れてくれる人がいない」といったのでしょうか。
私たちがお読みいたしました新共同訳聖書本文には書かれていませんけれど、口語訳聖書本文には何故この男がこのベトザタという池のほとりに寝かされているのか、又、何故この男がこのような答え方をしたのかが記されています。それは、この池に時々天使が降りてきて、この池の水をかき混ぜるのです。その後真っ先にこの池に飛び込んだものは、どのような病気でも治ると言われていたからでした。ですから、五章七節で、この男が主イエスに対して、「水が動く時、わたしを池に入れてくれる人がいないのです」という風に返答しているのです。ですから、イエスが「良くなりたいのか」と尋ねたとき、男が「水が動く時、わたしを池に入れてくれる人がいないのです」と返答したその返答には、この男の無念さが滲み出ております。自分は三十八年間もこのところにいるけれども、水が動くのを何度も見たけれども、何とか必死で這って行っても真っ先に入ることができないでいるというものです。初めてこの聖書の箇所を読みますときに、なんと今と変わらない厳しい競争原理かと思わざるをえませんでした。何百、何千という病人達のうちでたった一人、池の水が動いた時真っ先に入って病気が治してもらえるというのです。
しかし、この後の主イエスの命令は、奇妙なものでした。イエスは、この誰も手助けしてくれないので、三十八年間寝たきりの生活を送ってきた男に対して「床をとって歩きなさい」と命じられたのです。歩く能力の全くないこの男を、主イエスはどうして歩かせる事ができたのでしょうか?
それは、主イエスが、最初にこの男に質問した言葉の意味から知る必要があると思います。
イエスはまずこのように聞きます。「良くなりたいのか?」この言葉をギリシャ語の聖書を読みますと、(フギエース)という単語が使われております。これは、「完全になる」という意味を持っている単語です。ここから英語聖書のKing James Versionでは、このイエスの質問の言葉を” Wilt thou be made whole? “という風に翻訳しています。これを日本語に翻訳いたしますと「お前は完全になりたいのか」という風になります。ただ、注意したいのは、Perfectのような完璧で間違いのないというようなことではなく、Wholeすなわち全体として欠けのない、足りないものがないという風に訳されています。
そうすると、厳密に言いますならば、イエスは、実はお前の病気を治してあげようかという質問すらしていないという事に気づきます。イエスは人間として「あるべき完全な者になりたいのか」、あるいは、「人間として欠ける事のない者にしてあげようか」という質問をしているという事です。それに対して、この男性は「池の水が動いた時誰も私を池に入れてくれる人がいないのです」と答えております。この男性は、「完全」になることとは、「水に真っ先に」入れてもらうことであるといいます。自分が誰よりも先に水に入ることさえできれば、自分は完全になれる。自分の人生の問題は解決するという風に考えているという事です。
深刻なお金の問題を抱えている人は、お金さえあればと思う。もう少し美貌であれば、もう少し学歴があれば私の人生は希望にあふれているのに。そういう思いは、今も昔も変わることがありません。自分の人生の足りない部分を少し埋め合わせるだけで、完全なものとなるという思いに支配されているあり方です。この病人は、自分が完全になれないのは誰も「入れてくれない」というその現状に立ち上がる力も失せていたのではないのでしょうか。
私は、在日Koreanの二世として大阪と神戸の間にある西宮で生まれ育ちました。私の父親は、日本の植民地下の韓国で、母と結婚してすぐに日本にやってまいりました。後を追って母親もついてまいりました。二人は、日本の地で、言葉に出来ないような苦労をいたしました。そして、苦労して私を含めた兄弟八人を育ててくれました。実際、私が中学に上がる頃まで、私は平日父親が家にいて寝ている姿を一度も見たことがないのです。朝の五時に起きて、七時まで近くにあった、武庫川という甲子園球場の横を流れている、大きな河の河川敷を切り開いて作った畑で農作業をし、九時から五時まで大阪の歯科医院で歯科技工士として働き、それから他の歯科技工所でアルバイトをして、家に帰ってきたら十時、十一時でした。小学生の私がおきた時には父は畑仕事をして水を浴びていましたし、私が寝てから家に帰ってきていたのです。
両親は、最初日本語もわからないところから、又、何かあれば「朝鮮人」と言われて、さげすまれ生きてきたのです。この二人を支えたのが信仰であったということは、私は子供として両親を見る中で、感じてきたことです。私自身は、幼い時は、貧しいけれども幸せな家庭であったと思っておりました。しかし、いつしか自分自身が、日本社会でさげすまれ、「臭い、汚い」といわれる、朝鮮人、韓国人であるということに気付いた時、自分自身を嫌い、自分の家族を嫌っていったのでした。中学生時代、私の最も恐れていたことは、自分が「朝鮮人」であるとばれる事でした。
私は、ある日、とても気分の滅入るようなことが、中学校でありました。「おまえは朝鮮人だったんか」「ほんまの名前は何ていうねん」当時、私は日本名を使って学校に通っていたのですが、韓国籍であることがクラスの、ある友人にばれてしまったのです。そして、家に帰って母親にその形容し難い怒りをぶつけてしまったのです。どのようなことが、きっかけで口論となったのか覚えていませんが、その時、母親に対して言ってはならない言葉を発した事を今でも忘れることが出来ません。
「お母ちゃん、何で、僕を生んだんや」 「何で僕は日本人ではなくて、朝鮮人なんや」 「おかげで友達もできへんわ」
私の言葉を聞いた母親は、悲しみと、怒りと、悔しさに満ちた目をしておりました。そして、激しく大きな声で答えたのです。
「朝鮮人の子は朝鮮人や」「それは、神様が決めたんや」「神様が朝鮮人としておまえを作ったんや」「おまえは朝鮮人がいやなら死んだらええ」。母は、それだけ言うと他の部屋に行ってしまいました。それ以上何も言うことが出来なかったのだと思います。私は、日ごろあれほどやさしい母親の、思いもよらなかった激しい態度に、言葉を失いました。
当時の私は、日本人になれれば、それで私は幸せになれると思っていました。日本人にさえなれれば、私の人生の問題はすべて解決すると思っていました。友達に「朝鮮人」といってバカにされ、びくびくする必要もないと思ったのです。
私は、成長する中で、母親が叫んだ言葉の意味を深く感じる事があります。
神様が、私を日本にいる在日朝鮮人として、私を存在させたことの意味を考えるのです。自分が「在日」であるからこそ理解する事のできることがあるということが実に多くある事に気づきました。(その多くは、他のマイノリティーの人々の痛みを知ることができたということでしょうか。私が自分を「在日」である、と告白しなければ決して見えないことがあることに気づかされました。)
病気の男に主イエスは、「歩きなさい」と命じました。するとこの男は立って歩く事ができました。しかも、注意したい事があります。主イエスは、単に「歩け」とは言わない、「床を担いで、歩きなさい」と命じているということです。「床」とは何か。それは、この男の三十八年間立つことができずに寝ていたところです。それはこの男性の立ち上がる事のできない人生の歴史そのものであり、絶望と怒りと悲しみを象徴するものでありました。主イエスは、この病の男に「あなたの病をあなたの人生から、あなたの信仰から引き離してはならない、あなたの病もまたあなた自身である」といわれたのではないのでしょうか。
ビクトル・フランクルという人がこのような事を言いました。
「苦悩と困難は、運命や死と同様、人生に属しているものである。これらのどれも人生から取り去られれば、人生の意味はなくなってしまう。」フランクルは、アウシュビッツの地獄をかいくぐってきた精神医学者であります。お前は真っ先に死ぬだろうといわれて、奇跡的に生きて救出された人です。彼は、あの地獄のような体験すら、彼の人生にとって大きな意味があったというのです。
イエスは言われます。あなたの「床」を担いで歩く歩みこそが「完全」なあなたの人生である。神は私たちの苦悩と悔いと懺悔と痛みを担いで歩む力を与えておられる事を信じたいのです。主イエスは、私たちに「床」を担いで歩きなさいと命じます。それは、私たちが完全になる事、沖縄が、日本が、そして世界が「完全」になるように力を与えようとしておられるということです。そのことを信じたいのです。
(二〇一五年十一月二十二日 日本基督教団北白川教会での説教)