信仰の命の鼓動に触れて 飯島 信

2021年度 基督教共助会総会 開会礼拝

お早うございます。

共助会創立102年目を迎えました。2年前になりますが、100周年を期して、私たちは様々な事業に取り組みました。その何れも、共助会の明日に向かっての歩みを覚えてのことでした。中でも、特に感謝すべき3点を挙げたいと思います。

第一は、安積力也さんと川田殖先生のお二人による、誠心誠意を込めた『森 明著作集 第二版』の刊行です。初版本の誤植の訂正を始め、全ての文章を読み通し、読み易くするために費やされた時間は膨大なものでした。このことによって、私たちが絶えず振り返り、呼び戻される森明の共助会設立の祈りを、より身近に識ることが出来るようになりました。

第二は、井川満さんと片柳榮一さんらの編集による『恐れるな、小さき群れよ ― 基督教共助会の先達たちと森明』の出版です。森の直弟子たち10名を選び、『共助』誌に載った文章の中から、森を紹介し、また10名それぞれの信仰を語る文章をまとめる作業に費やした時間もまた膨大なものでした。

私は思うのです。安積、川田、井川、片柳さんらをして、これらの作業に、これほどの時間と労力を惜しまずに注ぎ込めるのは何故なのかと。そして、お願いした私の立場から言えば、これらの作業を引き受けていただけると確信をもって依頼出来るのは何故なのかと。

それは、企画し、遂行するこれらの作業は、100年の時を流れる共助会の命の泉から、その命を汲み上げる作業であるからだと思いました。

さらにあと一つ、第三の事柄です。それは、『共助』誌が、1933年3月の創刊号から最新のものに至るまで、インターネットの環境さえあれば、いつでもどこでも、全ての人が読めるようになったことです。長野在住の堀内泰輔さんのお力によるものですが、夢にまで思い描いていたことが実現しました。このために堀内さんが労された時間も大きなものでした。そして、これらの諸事業のために、会員・誌友から捧げられた献金は総額400万円を超え、このこともまた、世に在って、共助会の働きが意味あることであることを証しするものでした。

このように、100年の歩みを感謝と共に振り返りながら、改めて、この先の私たちに与えられた課題を考えたいと思います。

ここで取り上げる課題は三つです。最初にそれぞれから問われていることを整理し、次に私の思うところを述べます。

その一です。

今年の『共助』第2号の誌上での京阪神修養会特集号で、井川満さんは「『共助会に賭けて生きる』ということ」と題した文章を寄せられました。その最後に、自らへの問いかけとして次のように記しています。「一つは、森との間の約束『共助会のために京都にのこる』との約束の扱いについてである。……奥田の生涯を捻じ曲げて、しかも京都を離れて側にいたいとの願いに耳を貸さずに、京都に残ることを奥田に病床から懇願することを森に成さしめたのは何なのか、この懇願をとおして森は何を成したかったのか。二つ目は、森は第二回目の京都伝道を実行すれば命を落としかねないことは、自らも重々分かっていた。

……そこを押して京都伝道を何としてもやり遂げようと森を駆り立てたのは何だったのだろうか。……実現は出来なかった第二回の京都伝道の究極の目的は何であったのだろうか。」

このような二つの問いを記しつつ、井川さんは、「この森と奥田の関係を思い起こすと、『主にある友情』の重さを感じるばかりである」との言葉で文章を終えています。

この井川さんの問いをどのように受け止めて行くのか、これが第一の課題です。

その二です。

第一の課題とも深く関わるのですが、先に私が昨年の誌上夏期信仰修養会閉会礼拝で紹介した、飯沼先生の共助会批判についてです(『共助』2020年第6号10月発行参照)。飯沼先生は、第二の戒めの隣人を愛することを論点の中心に置き、山本先生に対する批判の形を取りながら、共助会は「私なき愛を求めて努力(修身)を続けていくけれども、隣り人に目をとめない。……目をとめるのは『兄弟』だけである」と指摘しました。しかし、そのことをめぐる議論を聴きつつ、奥田先生は最後に次のように語ります。「聖書を本当に私たちが生きておるのかどうか。第一の戒め、第二の戒め、いずれ劣らず大事だ。けれども……第一の戒めを本当に生きなければ、第二の戒めを正しく生きることは出来ないのです。それだけが本当の意味で私は聖書の内にあると思ってます。……天地の内、主に在って、一人ですよ、神の前に。その経験がなくて聖書の宗教はありません。……その宗教を本当に生きようとする時に、やはりまた、友がなくてはならないということを経験しているわけです」と。

この飯沼先生の批判と奥田先生の応答を私たちはどのように受けとめて行くのか、これが第二の課題です。

その三です。

私が共助会と出会ったのは1971年の夏期信仰修養会でした。それから今年で50年の時が経ちます。キリスト者としての己の歩みを振り返る時、私は、共助会との出会いなくして自分の歩みを振り返ることは出来ません。私にとっての共助会、それはそこに生きる人々の命の鼓動に触れることでした。キリストに従う道を選び取り、キリストの後を追い続ける人々の命の鼓動です。その鼓動は、今なお私を捕らえて止むことがありません。私は、それを知る者たちが、そのことを次なる世代に語る、その時が来ているように思います。それが、第三の課題です。

それでは、以上述べたこれらの課題を、今私はどのように受け止めているかについて、思うところを述べてみたいと思います。

初めに、第一の課題である二つの点、奥田に京都に留まるように言った森明の願いと、森の死を覚悟しての京都行きの究極の目的についてです。

この二つの点は、私には深く結び合っているように思えるのです。奥田に京都に留まるように懇願した森の願いは、私はやはり、共助会の働きの拠点の一つとして森は京都を考えていたのだと思います。働きを東京にのみ集中させるのではなく、西の中心である京都にも福音の種を蒔く拠点を築きたい、森はそのように思ったのだと思います。そして、奥田こそ、それに相応しい人材であるとの確信のもとに、森は奥田に京都に留まることを懇願したのです。

森は、植村によって信仰を育てられながらもなお、教会の現状について不十分なるものを感じていました。それは、中渋谷の牧会を始めると同時に、礼拝とは別に次々と開催して行く種々の研究会によっても分かります。「夏期講話会」「夏期講習会」「教友会」「伝道講習会」「伝道説教会」です。礼拝を中心に教会を形成するのか、それとも研究会を土台に教会を形成するのかの疑問さえ生まれかねないほど、森にとって、礼拝と研究会は、教会形成の車の両輪でした。飽くなき聖書の真理の追及と言う点で、森にとっての内村の無教会の在り方は近しいものがあったと思います。

すでに学生伝道への深い情熱を持つ森の指導のもと、東京での「共助会」に対し京都では「糾会(ただすかい)」が」生まれていました。そして森は、京都にも「糺会」を基にした教会設立の幻を描いていたのだと思います。その教会は、礼拝と同じ比重を持つほどに聖書の真理を追究する教会、即ち森の牧する中渋谷教会と志を同じくする教会であったのだと思います。まず東京、そして京都、さらにこの国の隅々にまで、森は彼の祈りを受けて立ち上がる友が与えられることを願っていたと思うのです。

森にとって、共助会は、あくまでも信仰による交わりと友情の団体です。

今の時代にあって、共助会は無くてならぬものであるけれども、共助会は教会あっての共助会です。教会の交わりではなお足らぬところ、信仰の躓きさえ起させるところを、共助会の交わりによって新たな命を与え、支えるのです。

奥田は、森の願いを知っていました。直弟子たちも森の願いを知っていました。だからこそ、目白町に、北白川に、美竹に教会が設立されたのだと思います。

森が、決死の覚悟で京都行きを望んだのは、奥田にのみ十字架を負わせることは出来ない、京都に残ることを懇願した自分もまたその十字架を負わなければならないとの思いであったからだと思います。「死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働く」(コリントの信徒への手紙二4:12)との御言葉のままに生きようとしたのだと思います。

第二の課題について、私の思うところを述べます。

第一の戒めと第二の戒めについてですが、私は、隣人とは選び取る存在だと思っています。関わることを決断する、その時に、私にとっての隣人と言う関係が生まれるのだと思います。

飯沼二郎先生は、その人生の中で、隣人となる人を選び取って歩んで来られました。大村収容所に収容された韓国の政治犯や、言論の自由を守り抜くために解雇された隣国「東亜日報」の記者たち、先生は彼/彼らをこそ隣人として選び取って歩まれました。

隣人を愛するとは、その人が直面する困難な課題、遭遇している厳しい試練を、自らの課題として引き負うことです。自分もまた試練の中に飛び込むことです。距離を置いて見つめるのではなく、共に汗を流し、共に涙を拭うことです。飯沼先生は、その生涯において、第二の戒めを生き抜いて来られました。その生き方に立つ中での山本先生、即ち共助会への批判であることを理解したいと思います。

それに対する奥田先生の言葉は、言葉こそ穏やかでしたが、一点の妥協も許さない厳しさを持っていました。第一の戒めから導かれることなく第二の戒めを生きることに、どのような意味があるのかと言うことです。奥田先生が問題にされたのは、第一の戒めを生きることがどのようなことであるかについてでした。

聖書のこの箇所を見てみます。

マルコによる福音書第12章28節から31節です。

28彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」

29

イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、私たちの神である主は、唯一の主である。

30

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

31

第二の掟はこれである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

第一の戒めを守る守り方に集中します。「イスラエルよ、聞け、私たちの神である主は、唯一の主である。」注意をしたいのは、その後に続く神を愛する愛し方です。心を尽くすだけではありません、心を尽くし、精神を尽くし、さらに思いを尽くすのです。その上になお力を尽くしてあなたの神である主を愛しなさいと言うのです。即ち、己の全存在を賭け、全身全霊を傾けて、ただ一人の主である神様を愛しなさいと言うのです。それは、己と言う存在の全てを、その生と死の全てを神様に委ね切ることを意味します。つまり、創造主である神様の御前にあって、被造物として造られた己を徹頭徹尾自覚することです。終わりの日には、神様の裁きの前に立たされる存在であることをです。正義であるか否かの判断は、被造物である己の内にはなく、創造主である神様の御手の内にあること、第一の戒めは、そのことを承認し、受け入れることです。全ての義と不義の判断を神様に委ね、自らを相対化することによってこそ、第二の戒めを生きることが許されるのです。もし、第一の戒めを生きることなく第二の戒めを生きる時、正義か否かの判断は自らの手中にあり、自分が神様に取って代わる過ちを犯します。奥田先生が指

摘されたのは、そのことであると思いました。最後に第三の課題について述べます。

共助会と出会って半世紀を迎えた私ですが、私より古くからこの交わりに生き、生かされている友たちがいます。私は、それらの方々に、キリスト教との出会い、共助会との出会いの消息を、ぜひ『共助』誌に書いていただきたいと願っています。共助会の伝道は、人格から人格へと伝えられて行く伝道です。その消息を、今一度私たちの次に続く世代に文字として残して行く時が来ていると思います。その務めを負っていただければと思います。

共助会102年、その歩みの命に触れた友が与えられていることを神様に感謝し、2021年度共助会総会開会礼拝の話しと致します。

祈ります。(基督教共助会 委員長 立川教会牧師)