共助会100周年に思う―出会いは人を動かす― 石川 光顕
基督教共助会は、100年の歩みを刻んできた。1919年クリスマスにその発足がなされたと聞く。今年1年の『共助』はそのことを覚えて、間もなく発行される『戦前版共助選集』に先行して第1号から第6号にかけて〝森 明との出会い〟についての六人の先達の文章を掲載した。これらの先達が森 明の呼びかけに応えた歩みを思い起こし、私自身が今どう歩み出そうとしているかをわが身を省みつつ、考えてみたい。
私の「基督教共助会」との出会いは、大学で聖研をご一緒した橋爪裕司先生から川田 殖先生を紹介され「佐久学舎」へと導かれたことに始まる。「佐久学舎」がどんな所かもよく分からずに中込の駅から歩いて、寝袋と聖書を詰めたリュックを背負い「学舎」に行った。正直聖研は難しかった。しかし聖研締めくくりの祈祷会は全員が祈った。〝祈りとは己の現実・罪との格闘である〟ことを経験したことが強烈な印象として残っている。
翌春私は、定時制高校数学の教師としての歩みを始める。生徒との関わりには驚くことが多かったが、良き同僚に恵まれ楽しい実践の日々であった。それ故か、私が「基督教共助会」に入会するのは「佐久学舎」に関わり始めてから16年が経った1984年である。当時私は、定時制教師として本当に充実した生活を送っていた。しかしその「充実」は突き詰めると「内面の空白」を決して埋めることはできないものであった。己のこれからの歩むべき道を問われ「共助会」を選んだというより招かれていたのだと思う。その後、退職を機に、再開「佐久学舎聖書研究会」の世話人の一人として用いられて12年間続けられたことは恵み以外の何物でもない。再開「佐久学舎」は、10年を過ぎたころから青年たちが少しずつ増えてきた。この青年たちが次世代の中心を担い、活動していけることが私の望みである。そのために、私自身ができることは、〝私はあなたの友です〟と言う先達の歩みに倣い彼らに仕えていくことであると思っている。
私のこの願いは、今、多くの友たちのとりなしの祈りで少しではあるが叶えられている。それは「共助会」に連なる友たちと共に、調布教会の田村 博牧師はじめ多くの兄弟姉妹にも祈られ、生かされているからだと実感している。
また私には若い時に厳しく鍛えられて「御言葉に生きよ」と常に見守ってきて下さった3人の師がいる。草深教会で辻 宣道・哲子両牧師には礼拝と祈祷会は車の両輪であることを徹底的に教えられ、調布教会の柴山 榮牧師には主日毎に〝神に真実に、人に誠実に〟という熱いメッセージを頂いて育てられた。
このようにして先達から受け継いでいるバトンを、次世代の方々へ渡していけるようにと祈り願うものである。(日本基督教団 調布教会員)