巻頭言

旅する人の心 當間喜久雄

ヘブライ人への手紙11章8節以下に、感動的なアブラハムの出発についての記述があります。

「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出ていくように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして、約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。」

アブラハムは、信仰の父であると同時に旅の人でもありました。行く先を知らずして、ただ父なる神を信ずる信仰によって、「出発した」旅人でもあったということです。そして、アブラハムの偉大さは、神の命に従い、神と共なる旅に出で立ったところにあるといえます。「旅人とは、心の内に憂いを持つ人なのだ。旅に出てはじめて、自分の姿、自分と周りとの関りについて省みることができる。」と、信仰の師・村井長正先生より教えられた。以来40年余の我が歩みを振り返り、人生が旅であること、時に悲哀を経験しつつ、しかし信仰によって、決して寂しき一人旅でなかったことが謝であった。

コロナ禍で、希望に燃えて大学に進学したものの、止むを得ずオンライン授業を余儀なくされている職志望の若者たちが私の持ち場にいる。私は、教壇に立つ前に人として、理想の教師目指して様々な経験(時には苦難も含めて)を経て、将来出会う生徒たち一人ひとりの魂に寄り添える存在に育って欲しいと思うのである。彼らは、ブラッ化する教職の現場を敢えて希望し、自分に自信を持てない生徒たちに、生きる希望と勇気を持たせたいと語る。私は、そんな彼らに、何より旅する人の心を大切にし、まずは出発する人であって欲しいと願っている。

昨夏、ニュージーランド、テカポでの星空観察の旅に行く機会を得た。そこで幸いにも、日頃は目にえない星々であるが、南十字星、天の川を含めた満天の星に接することができた。そこで私は改めて、先に天に召された多くの信仰の先達たちが、今も見守って励ましていてくださることを実感した。

使命ある限り、私もまた、悔いし砕けたる心で神に帰り、ひたすらキリストを見上げて歩む信仰のを、天にあるふるさとに戻るまで続けたく決意した次第である。(大学非常勤講師 千葉聖書集会)