佐久学舎に参加して 阪田祥章
ほとんど山の中腹に位置する佐久学舎は、八月の深緑に埋もれるように佇み、晴天に恵まれた一週間、祈りや学びにはもちろんのこと、一人で散策を楽しむのにも最適な場所でした。私が当初頭に描いていたような、勉強をする単なる合宿所という姿からは程遠い、家族的な関係性と周囲の自然との調和のとれた生活とを併せ持つひとつの共同体的な集まりの中で、私は初参加にもかかわらず、充実した日々を過ごすことができました。
そもそも私は、父方はクリスチャンの家系でありながら、聖書に自覚的に触れたのは大学を卒業する頃でした。大学院に入ると、縁あって都内の聖書研究会にぽつぽつと参加するようになり、そこで川田先生に出会うと共に、佐久学舎のご案内も頂きました。ただ、日程や体調が合わないことに加えて、クリスチャンでもない自分が泊まり込みの聖書研究会に行くことに対する不安や躊躇もあり、三、四年の間ずっと参加を見送ってきました。しかし、今回こそはと思い、勇を鼓して昨年初めて参加したのでした。
ところが、他ならぬ昨年に参加できたことは、期せずして私によい結果をもたらしたと思われます。聖書研究会で私が担当したのは「使徒言行録」一八章二四節~一九章四〇節のエフェソにおけるパウロの伝道に関する箇所でした。そして、その地はちょうど、大学における私の研究対象と密接不可分の関係にあり、私も少なからぬ興味関心を抱いていた場所だったのです。自分がこの箇所の担当であると知った時は、何という偶然、僥倖であろうかと思いました。(しかし、この割当は、そのことをご存知であった川田先生のご配慮であったと後から知りました。)それにまた、昨年は、例年以上に多くの方々が佐久学舎に参加されたと聞きます。各年にはそれぞれ代え難い出会いがあることはもちろんのことですが、昨年参加できたことで、より多くの方々と出合う機会に恵まれたことは幸せであったと思います。
そういう遇運的な要素に恵まれた初めての参加の中で経験した聖書研究会は、その風通しの良さが印象的です。聖書に対する多面的なアプローチを許すというよりはむしろ歓迎してくれる雰囲気に促されて、私も自由に思うことを発表することができました。その発表は語義の詮索に終始するものでしたけれども、悪霊と恐れや、パワーバランス等の観点から自身の見解を見直すことができました。もちろんエフェソについても得るところ大でした。
さらに、もうひとつ私の心に強く残っているのは、私の同室の大学生が、自分の研究発表の直前まで昼食もとらずに机の前で呻吟しながら聖書と対峙していたことです。彼の真摯な発表は私の胸を打ちました。それは、単に発表が優れていたからだけではなく、聖書と向き合う彼の姿を目にすることも含め、彼とは初日から最終日まで一緒で、いろいろ話をしたり、助けてもらったりと生活を共にしていたために、共感する部分が多かったからだと思います。こういうことは生活を共にしながら学ぶことを通してのみ得られる成果であると思います。
佐久学舎での共同生活と自然との関係もまた強く印象に残っています。そこでの生活は、普段の私の生活と比べると自然のサイクルに一層密着した形で営まれていました。クーラーやテレビはもちろん余計なものは一切ありません。加えて生ゴミの処理の仕方などは、多少の労力は伴うものの、非常に合理的です。他方で、そのような自然と調和した生活は画一的になされうるものでもなければ、自然の厳しさを無視して成立するものでもありませんので、その支えとなる思想が柱のように一本貫いていなければなりません。できるけれども敢えてしないという、はっきりとした意志に基づいた選択がそこでは尊重されます。外見としての生活スタイルそのものというよりは、むしろその原動力となる目に見えない佐久学舎の精神を、今の世の中にあってますます、私は尊いと思ったのでした。
この精神を私は、早天祈祷会や聖書研究会はむろんのこと、共同食事や合間の生活をも含めた佐久学舎のいたるところで感じました。佐久学舎を思い起こすと、その遠景には、山の峰々と重なるようにして、「質素なる生活と高遠なる思索」という私の理想とする生き方がつねに目に映るのです。
昨年の夏、思い切って訪れた佐久でしたが、それは私の予想以上に多くの実りを私にもたらしました。それのみならず、私はその後、教会にも不定期ながら顔を出し、新たな聖書研究会や家庭集会にも参加するようになりました。佐久学舎での一週間はそのとき、その場だけのものですけれども、その精神は脈々と私の中に流れ込んでいることを実感いたします。この流れを、たとえ細々であれ、これからも絶やすことのないよう努めていかなければならないと思っております。 (千葉大学人文社会科学研究科博士課程)