共助会入会の感謝 石田 真一郎

この度は、土肥研一先生とご一緒に共助会に入会することを許され、心より感謝申し上げます。紹介者をお引き受けくださいました飯島 信先生、三田町子様に、深く感謝致します。どうぞよろしくお願い申し上げます。私には妻と、20歳の息子がおります。

私が初めて共助会を知ったのは、尾崎風伍牧師・マリ子牧師によってです。1992年4月に東京神学大学に入学した私は、日曜日には東京都杉並区の実家から、洗礼を受けた茨城県の筑波学園教会の礼拝に通い続けました。祈祷会は、近くに教会を探して伺おうと考えていたところ、母が最近入っていたちらしを見せてくれました。日本基督教団久我山教会のちらしでした。久我山教会の祈祷会に伺うのがよいかなと考えました。東京神学大学で、担任してくださった熊澤義宣先生が、クラスの神学生一人一人に出席する教会を尋ねられました。私が「筑波学園教会の礼拝に通います」と申しますと、「祈祷会はどうしますか」と聞かれました。「家の近くに久我山教会という教会が出来たので、そちらに伺おうと思います」と答えますと、「久我山教会の尾崎マリ子牧師が今日の午後、私の研究室に来られるから、君も来なさい。紹介しよう」とおっしゃいました。その日にお目にかかることができ、数日後に初めて久我山教会の祈祷会に出席させていただきました。神様の助けがあったとしか思えません。当時久我山教会は、信徒の方の喫茶店で礼拝と祈祷会を守っておられました。約2年後には、隣りの唐島さん宅が教会に献げられ、私が神学生としての夏期伝道実習に行っている間に家屋を改造した礼拝堂ができ、集会の場所が移りました。そのような教会の前進を拝見することも、よき学びになりました。

祈祷会の常連に、共助会員の井上 健さんがおられました。私の父のような年齢の方でしたが、大変親しくしてくださり、祈祷会の帰路はよく久我山駅までご一緒に歩いてお話を伺い、そこでお別れしました。私がこの度、共助会に入会するに当たり紹介者のご労をとってくださった三田町子さんとも祈祷会で初めてお目にかかりました。井上さんは、私が東久留米教会に赴任してからもよく年賀状をくださり、私は慌ててお返事を出すことが多くありました。そして私の東京神学大学での、やはり父親のような年齢の同級生に、共助会員の本間浅治郎さんがおられました。すべての授業で一番前の席に座られ、ギリシア語やヘブライ語の単語カードを作って、通学の電車の中で覚える努力をなさっていました。私は本間さんとよく、授業後にJR武蔵境駅までご一緒に歩きました。そんな中で共助会のことも伺ったと思います。本間さんは目白町教会員で、2年間で卒業され、目白町教会に赴任されました。その後残念ながらご病気になられ、約2年間で退任されました。お住まいが東村山市(東久留米市の隣り)だったので、私が東久留米教会に赴任すると礼拝に励ましに来てくださり、「説教の語り方が速いので、もう少しゆっくり語る方が聞き取りやすい」との貴重なアドヴァイスをくださいました。

私が東久留米教会に赴任したのは1996年4月です。当時は日本基督教団の補教師で、聖礼典(洗礼式と聖餐式)を執行することができません。正教師試験に合格して按手礼を受けると執行することができます。私が赴任する前から役員会では、尾崎先生ご夫妻に毎月第一聖日に交代でお越しいただき、聖餐式を行っていただくように考えていると聞き、驚きました。東久留米教会に尾崎先生と中渋谷教会でご一緒だった方がおられるのです。「主の山に備えあり」と感じました。尾崎先生ご夫妻には、私が按手礼を受けた1998年12月まで、毎月交代で約30回お越しいただき、礼拝説教と聖礼典のご奉仕を行っていただきました。大変なことです。尾崎先生ご夫妻と久我山教会の皆様に、今でもとても感謝しております。なお、私の父はその後、久我山教会で尾崎風伍先生から受洗し、三田さんともご一緒に教会生活を送らせていただいており、大変感謝です。

私が共助会に入会させていただく直接の後押しになったのは、飯島 信先生と2016年に出会ったことです。飯島先生が私の高校時代の担任(キリスト教概論担当教諭)有馬平吉先生のお知り合いと知り、尾崎先生ともお親しいと伺い、驚きました。私は現在53才で、今後の人生で信仰を深めることを願う時、共助会のお仲間に加えていただきたいとの思いが強くなり、入会をお願いした次第です。

私は(今は不十分ですが)アジアにもっと関心を抱きたいと思っています。日本はアジアの一員ですから(欧米等に関心をもつことも大切ですが)、アジアの人々と和解し、アジアのクリスチャンとよき交流を行うことが大事と思います。日本はアジアの国々とまだ本当の和解ができていないと感じます。ドイツと違い、苦難を与えてしまった相手の国や人々への謝罪を中途半端にしか行っていないと感じます。そのことを曖昧にしようとする力が働いているので、うっかりするとクリスチャンもその空気に飲み込まれてしまいます。そうではなく、しっかりと謝罪してゆくことが神様に喜ばれる道と思います。朝鮮半島で多くの神社を建設して偶像礼拝を強制し、創氏改名を強要したこと等は、ひどい罪です。多くの日本人は忘れかけているのではないでしょうか。そのような歴史をしっかり学んでこそ、未来志向の関係を築くことができるでしょう。私は韓国には2回短期旅行をしただけで、現実には何もできていません(独立記念館の見学はしましたが)。

東久留米教会の牧師として礼拝、伝道の使命を第一としつつ、共助会の皆様から韓国のクリスチャンのこと、沖縄のこと、日本の教育のことを学んで視野を広げ、神様と隣人によりよきご奉仕をさせていただきたいと願います。どうぞよろしくお願い申し上げます。       

(日本基督教団 東久留米教会牧師)