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“寄り添う”ということ(2003年10月/11月合併号) 高橋 伸明

 2000年度の介護保険制度の導入に伴って、福祉の世界(特に高齢者福祉)では変革が強く叫ばれました。その中で生まれてきた言葉に”寄り添うケアというものがあります。大人数収容の施設から少人数制のグループホームヘ、また施設の中でもグループを編成して各グループ毎にケアを行うところが増えつつあります。この小グループでのケアを”グループケア″とか”ユニットケア″と呼び、その特徴は、従来の施設ケアが画一的でお仕着せのケアに陥ってしまう危険性を絶えず孕んでいるのに対して、利用者一人ひとりの生活に根ざしたケアを追求することが可能となってきます。そして、従来の施設ケアからの脱却により施設入所者(利用者)のニーズに、より迅速且つ的確に応え、ご本人の要介護度の改善を目指すことが実践目標として掲げられるようになりました。  寄り添うケア″は施設ケアが集団処遇であったため利用者を全体として一律に見てきたことで個性に合った関わり方や視点が欠けていたことへの反省から生まれました。一人ひとりに寄り添う。個性や人格を尊重した上であることは勿論、物理的心理的な距離をなくして文字通り寄り添い、一人ひとりの声に耳を傾ける(時には声にならない心の中の想いを聴き取る)ことによってその人らしさを求めることができるようになるのです。

 翻って、私たちは聖書の中に、とりわけイエスの振舞いの中にそのような”寄り添う”視点が見出せないでしょぅか。「エマオへの途上」としてよく知られているルカによる福音書24章13-35節の物語は、復活のイエスが二人の弟子に顕現した出来事を描いています。イエスとは気付かぬ二人は当の本人に向かってエルサレムでのイエスに起こった事を話すのです。やがてイエスと気が付きますが、時すでに遅く「彼らには見えなくなってしま」(31節)いました。ここで私はイエスが二人に気付かれず「近づいて来て、一緒に歩み出した」(15節)ところに目を引かれます。二人の弟子がイエスの死後意気消沈し、言わば都落ちしている最中に同伴者として「一緒に歩み出し」て下さった。このイエスの振舞いは”寄り添う”姿勢に他なりません。

 また、この”寄り添う″姿勢は”共生″の思想と繋がっています。倚りかかり、依存する関係から(どんなに障碍が重度であっても)倚りかからず、自立し共存する関係へ。私たちもイエスに倣う者としてこの共生の関係の中に生きる者でありたいと願います。