講演

大嘗祭を考える 片柳 榮一

士師記8章22―23節

Ⅰ.初めに

私たちは30年の時を経て今また、新たな天皇の代替わりに立ち会っています。代替わりには様々な儀式があります。そしてその中心に、「大嘗祭」が奥深く控えています。この祀りは、後に述べるように、紛れもない宗教性の故に、国事行為とはみなし得ないが、公的性格を備えていると政府は強引な議論で押し通そうとしています。その「大嘗祭」について考えるために私たちはここに集まっています。

その話を始める助走のようなものとして私は、一つの短編小説を紹介しておきます。これはオーストリアの作家ロベルト・ムージル(1880-1942)が書いたものです。題は「巨人アゴーグ」(Gesammelte Werke 7, Hamburg 1978, S.531-533)というものです。

或る都会の下町に住む平凡で目立たない青年が、一念発起してボクシング・ジムに通い始めます。身体のひ弱さに引け目を感じていたこの青年は、熱心にボクシングで身体を鍛え、自信が芽生えてきます。「こうした生活の仕方を続けるうちに、彼が誰にも負けないほど強くなることもありえたであろう。しかしそうなる前に街角で喧嘩に巻き込まれ、図体の大きな男にボコボコに殴られてしまった」(S.532)。それからこの青年はぷつりとジム通いをやめてしまい、家に閉じこもるようになってしまいます。生きるのをやめたいとさえ思います。ところが「偶然、大きな乗り合いバスが、スポーツで鍛えた一人の青年をひき殺してしまう事故に、この男は遭遇した。この事故は、犠牲者には極めて悲劇的であったろうが、この男には新たな人生の始まりとなった」(S.532)。何がこの男を人生の暗がりから引きあげたのか。「15ペニッヒで彼は、いつでも好きな時に、一人の巨人の身体の中に忍び込むことができたのである。この巨人を前にして、スポーツで鍛えた人々も、みな脇に飛びのかねばならなかった。この巨人の名はアゴーグ(Agoag) といった。その意味は恐らく、Allgemein 皆からgeschaetzte 認められたOmnibus バスAthleten 体操ジムGesellschaft 会社といったものであろう」(S.532)。聖書に慣れ親しんだ人なら、エゼキエル書三八章の、神に立ち向かうマゴグの地の王、いわば魔王ゴグを思い浮かべるかもしれません(私にはそのような遊びをムージルがしているように思えます)。「我々の主人公は、幌付きの座席に座り、大物気取りであった。こうして通りに群がる侏しゅじゅ儒を思いやるあらゆる感情が彼から失せていった」(S.532)。この青年は、自らをこの巨人と一体化しているのです。「今や彼は、もうスポーツジムへは行かず、空いている時間のほとんどを乗り合いバス周遊に費やした。彼の夢は全域通用定期券の購入であった。そして彼の夢がかない、そして死ぬこともなく、押しつぶされることもなく、ひき殺されることも、転落することもなく、あるいは精神病棟に入れられることもなかったら、今日もなお乗り合いバスで周遊しているのだ」(S.533)。「今日なおこの若者が乗り合いバスで周遊している」、という言い方の中に、語り手の現在を越えて、読者の「今日なお」の問題であることが示唆されているようです。20世紀最高の小説家の一人と言われるムージルの表現の巧みさがここにも窺えます。ナチスに追われてスイスに亡命することになるムージルが、この小説の含まれる短編集を出版した30年代の半ば(1936年)のドイツは、まさにナチスが破竹の勢いで勢力を広げていた時でした。

ムージルがここに暗示した「乗り合いバス」は、人々がその力のうちに、自らを同一視しうるものとしての民族・国家であると言えましょう。明らかにムージルは、大手をふって闊歩するナチスに自らを同化しようとする大衆心理を、鮮やかに、辛辣に描いています。そしてこの「乗り合いバス」は、明治以来の近代日本に生きる私たちにとっては、天皇制国家であるといえるでしょう。

Ⅱ.大嘗祭

大嘗祭は、皇位継承がなされた後、新たな天皇が、その年の新穀で造った御酒などを神に供え、神と共に食する祭りです。毎年同じような意味で新嘗祭が行われますが、天皇の代替わりに際し、一度限りおこなわれるのが、大嘗祭です(横田耕一著『憲法と天皇制』岩波書店、1990年を参照した)。

新穀を収穫するための特別な田( 悠紀田ゆきでん、主基田すきでん)が設定され(今回は悠紀田は栃木県、主基田は京都府の田であるという)、儀式が四日間にも及ぶこと、特別の大嘗宮(悠紀殿、主基殿)が設営されることが、毎年の新嘗祭とは異なるところです。

その催し方の詳しい説明は他に譲るとしまして、祭りの中心である「大嘗宮の儀」(今回は11月14日、15日に行われる)を見ておきます。それも大まかな祖述です。祭りの前日、両殿の内陣に神座(しんざ)が泰安されます。八重畳の上に御衾(おんふすま)と御単(おんひとえ)が置かれ、その南側に御坂枕、北側に御沓(おんくつ)が置かれます。これが神座であり、これによって一連の神秘的な儀式が行われます。「大嘗宮の儀」の当日、まず夕刻からの「悠紀殿供饌の儀」が行われます。両殿の垣外に建てられた、廻立殿(かいりゅうでん)で新天皇は身体を浄め、生絹の祭服を着し、悠紀殿に徒歩で進みます。その前を宮内庁長官、侍従が後ろを、男子皇族、国務大臣が進みます。天皇が外陣の御座に着き、皇族男子が垣内の小忌幄舎(おみのあくしゃ)に着くと、皇后が女子皇族とともに入場します。風俗歌が奏される中、出席者が拝礼し、次いで女性は退場します。飯・粥等、また白酒、果物が運ばれ、天皇が内陣の御座に着し、天皇は運ばれた神饌と呼ばれるこれらの食べ物を親供(しんく)し、拝礼し、御告文(おつげぶみ)を奏し、直会(なおらい)を行います。「この直会で天皇は神に相伴して、新穀で炊いた米と栗の飯を食し、新穀で醸造した黒酒・白酒を飲む。この間、神座で何か天皇が行う可能性があるが、それは秘事とされ明らかにされていない」(横田、前掲書200頁)という。その後天皇は退場します。「大嘗宮の儀」の後の2日間、宮殿で「大饗の儀」(今回は11月16日および18日)が行われ、様々な終わりの儀式がなされ、大嘗宮は撤去され、この祭りは終わりを迎えます。

この祭りの意義について研究者が様々に述べていますが、傑出した民族学者であり、また高名な神道家でもあった折口信夫が述べているところを紹介しておきます。「恐れ多い事であるが、昔は、天子様の御身体は、魂の容れ物であると考へられて居た。天子様の御身体の事をすめみまのみことと申し上げて居た。……此すめみまの命である御身体即、肉体は、生死があるが、此肉体を充す処の魂は、終始一貫して不変である。故に譬ひ、肉体は変っても此魂が這入ると、全く同一な天子様となるのである。出雲の国造家では、親が死ぬと、喪がなくて、直に其子が立って、国造となる。国造たる魂は、何の変化もうけないのである。天子様に於いても、同様である。天皇魂は、唯一つである。」(「大嘗祭の本義」『「天皇制」論集第二』所収、三一書房、1976年、116頁)。大嘗祭の祭儀において、不変で同一なる天皇魂が、新たに変った御身体「すめみまのみこと」を充し、同一のものとなると言います。折口はこの祭りの根底にある朴で根源的な同一性信仰を鮮やかに描き出しています。

「大嘗祭に来られる神は、どんなお方か、よく(判らぬ)。天子様は神を招く主人でいらっしゃると同時に、饗応をなされる神である。つまり客であり、また神主でもある。神の為事を行ふ人であると同時に、神その者でもある。だから、極点は解からぬ。結局、お一人でお二役つとめなされるようなものである。」(同書、129頁)ここでも、究極なる神とこの肉の身の人間の同一性を天皇がいわば体現していることを直截に表現しています。このように明らかに宗教性を帯びた天皇の継承の祭儀を国家の儀式として行うことは、「政教分離」を基本とする憲法上許されないことは政府も認めている。それゆえ今回の大嘗祭を国事行為としては行わないが、公的性格をもつ行事として行うといいます(2018年4月3日の閣議決定)。というのも政府は大嘗祭を極めて重要な伝統的皇位継承儀式としたうえで、憲法が定める皇位の世襲性の故に、「公的性格」を認め、公費たる宮廷費の支出を認めている(横田耕一著、前掲書、204頁)。それは今回も同様です。これは秋篠宮の言葉をまつまでもなく、天皇家の私費でなされるべきものです。天皇家の内部の意見も無視されるところに現在の異常さがみられます。

Ⅲ.宗教としての天皇制

―歴史の混沌への恐怖と、歴史の混沌の直中における信仰政教分離の原則を歪めてでも、国家が天皇の代替わりの中心儀式に関わろうとするこの歪みを創り出している根底に、私には〝宗教としての天皇制〟とでもいえるものがあるように思えます。厄介なのは、私たち自身が、被害者であると同時に共犯であるような仕方で関わっているからです。国家と言ってしまえばわかったような気になれますが、この巨大な、いわば幻想の装置に、私たちは常に巻き込まれ、しかも私たちの日々の歩みと生業が、吐く息のように共同で紡ぎ出している故に、厄介なものです。この幻想の装置としての根本にあるのは、私たちの場合、折口が鋭くえぐり出したように、「唯一なる天皇魂」への包含と言えるでしょう。ここですべてのいがみ合い、争いが静まり、一つなるものに回帰するというのです。

私たちは、自らの周りを親しく慣れ親しんだもので囲み、その場の雰囲気さえも、慣れたものにしなければ、安心できません。此処に見知らぬ他者が来て、見知らぬ言葉、見慣れぬそぶりで不協和音を奏でることに耐えるのはなかなか難しいことです。或る種、洗練された形で、人々を内側から、和らぎの同一性へ絡めとってしまう装置がまさに、宗教性としての天皇制の問題だと思います。

世界のほとんどあらゆる宗教に見られる、時間が始まる前の、変わらぬ「一」なる根源への回帰の欲求を確認し、その根底に、歴史の混沌への恐怖を見たのは、エリアーデという宗教学者(M・エリアーデ、『永遠回帰の神話』、堀一郎訳、未来社、1963年、第4章「歴史の恐怖」183―208頁)でした。大嘗祭のうちに天皇魂の同一性、不変性を見たのは炯眼の折口信夫でしたが、このいわば、おおらかにたゆたい、夜の闇に妖しく輝くような〝同一なる魂〟への回帰の儀式の内にも、我々は、歴史の混沌と悲劇への恐怖と、その不条理の忘却、そこからの逃走を求める叫びを聞き取りえましょう。それは、私自身の周りに、あるいはその奥底にも響いているものです。

私たちが生きるこの時代は、極めて容易に日毎の糧をえることができ(勿論お金があればですが)、迅速に場所を移動することもできます。手っ取り早い愉しみを得ることができます。その意味でかつてのように自らの窮乏のゆえに、自らを超えた「力=存在」を願望し、想定し、拝する必要を人々は感じていないといえます。現代において「神は死んだ」と言われ、無宗教性が日本人、ことに日本の知識人にとっては基本的条件であるとすら言われます。しかし生活の便利さ、快適さはふんだんに備えられているとしても、私たちが生きるこの生、歴史の、混沌と不条理はあいかわらず厳然として私たちを捉えて離しはしません。長続きのしない愉しみに追いまくられ、それがすぐにも消え去ることを繰り返し味合わされ、うっすらとした怯えと不安と苛立ちが私たちの生活を包んでいます。そのような「歴史への恐れ」が不変の同一なる「魂」を求め、祀る「宗教としての天皇制」を支えているのだと思います。ここにこそ天皇制の問題の根深さがあると思います。

最初に読んでもらった士師記の、ギデオンの告白ともいうべきものを見てみましょう。「イスラエルの人はギデオンに言った。『ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が我々を治めてください』。ギデオンは彼らに答えた。『わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる』」(士師記八22―23)。このギデオンの告白が歴史的事実であったかどうかはともかく、この告白に表明された考えは、イスラエルの宗教の底を流れる一つの伝統とも言えるものでした。政治的王権思想に対する根深い宗教的抵抗があったことをうかがわせます。士師記はしかしこのような、いわば無政府主義的ともいえる考えへの批判の流れをも含んでいます。士師の終りは次のようです。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとするところを行っていた」(士師記二一25)。その意味で「士師記」は、一方で神ヤーヴェのみを拝そうとする宗教伝統と中央集権国家の必要性を感じたいわば王党派思想が絡み合っているといえましょう。通常はこの後者が支配を獲得すれば、いわば無政府主義的ともいえる前者は、姿を消すのでしょうが、古代イスラエル宗教史においては、この流れは途絶えることがありませんでした。むしろダビデ王国が分裂し、北イスラエル王国がアッシリアによって、南ユダ王国がバビロニアによって滅ぼされた後、政治的中心をもたないままイスラエルが生き延びえたのは、この「主があなたたちを治められる」という思想を受け継いだ人々によって担われた宗教的伝統の力が大きかったであろうと思われます。

ヘブライ語に神を述語づける三つの単語があると言われています。一つは一般的な意味での神としてのエル、二番目は、土地に結び付いた自然の恵みを与える神バアル、もう一つはメレクです。この最後の言葉は通常、「王」と訳されますが、元来は「導く者」「指導者」の意味であるといいます。そしてこの言葉は、バアルのように土地と結びついてません。崇敬する者たちを、移動して行く中で、その移動の先頭に立ち、導く者であるといいます。そしてこの伝統は遠く西セム族の部族神の伝統にまで遡りうるとのことです。士師記の先のギデオンの告白「主があなたを治められる」という言葉の背景には、このような放浪の旅の先頭に立つ「指導者」としての神への信仰が籠められているのでしょう(このことについてM・ブーバーが深い考察をしています。M. Buber, “Koenigtum Gottes”, in: Werke II, Muenchen1964, S. 539ff.

現在の研究をも踏まえた注解書としては、Barry G. Webb, TheBook ofJudges, Michigan 2012 参照。 殊にp. 226-268)。

メレクとしての神、それはWandern 遊牧的放浪の中で見出され、その放浪に先立ちゆく神であった。これは紀元前2000年にも遡る原始的民族の信仰であり、現代という、農業、工業社会への変貌を経験してきた私たちの歴史的社会のなかで、その再生を考えるなどということは、馬鹿げたアナクロニズムと言われるかもしれません。しかし現代という時代を生きる私たちが経験している、根源的な地殻変動、徹底的な歴史的相対性への解体という現象は、象徴的にしろ、新たなWanderschaft が、単に一部族、一民族としてではなく、人類全体として生じていることを教えているようです。そのような放浪状態の中で人々は呻き、怯え、戦慄しているように思えます。その放浪とは、これまでの共同体、家族、民族、市民社会、国家の、流動化、液状化です。そこからこの変動としての歴史への恐怖が生じるのであり、この変動し、動揺する歴史の彼方に、その底に変わらぬ同一性を求め、それを私たちのもとに、具体的に体現するものを求める動きも当然生じてきます。私たちの場合、この動きの最も慣れ親しんだ形が象徴天皇制であると言えるでしょう。最初にムージルの短編小説を挙げましたが、この青年は、内にこもる鬱屈した劣等感からくる自らの弱さを、乗り合いバスに乗ることで解消しようとしました。それだけをみれば、現代の病める青年心理として、哀れな青年だとして済ませるかもしれません。しかしこの求めを突き動かしているものは、もっと根深いものであるように思います。私はそれを、流動化し、液状化する歴史への恐怖というエリアーデ風の言葉で表現しました。我々は、手っ取り早い手段を持っています。明治以来周到に、しかもぎこちなく備えられ、しかも次第に洗練されてきた、天皇制という、国家に対する幻想的信頼の装置です。戦後、戦前の大権を削がれた天皇制はやがて消滅するだろうとのおめでたい楽観論をしりめに、しぶとく、いわば再生しつつあると言えます。根深い要求が私たち自身の奥底に潜んでいるから以外ではないと思います。

エリアーデも繰り返し主張するように、私たちは歴史というものをあまりにも安易に考えています。歴史を生きるとは、決してその進歩のエスカレーターに気軽に乗ってゆくことではないでしょう。こうした進歩的歴史観が支配的であったのは、たかだか近代のこの500年ほどに過ぎません。エリアーデによれば、人類はその生きたほとんどの間、むしろ歴史の無情さ、悲劇に喘いできたのであり、「原初の時」の根源性への信仰において、辛うじてこの歴史の恐怖に耐えてきたのです。私たちは、現在あらためて、この歴史の流動の中に、投げ込まれているのでしょう。決意して、安定した定住の地を後にして、新たな放浪に旅立つというようなロマンティックなものでなく、否応なく流動の中に投げ込まれているというのが、実情でしょう。さらに具体的には、もはや国家が同一民族の幻想ではやっていけなくなっているということです。

世界全体が難民問題で揺れています。日本だけが対岸の火事で済ませられるはずがありません。少子化の問題は、異なる国の人々なしにはやっていけないことを私たちに現実に突きつけています。天皇を先頭とする単一民族ではなく、一国のうちに多くの民族を認めた多民族国家たらざるをえないでしょう。それが現代における「遊牧放浪Wanderschaft」であり、どこかに出て行く旅ではなく、自らが住まうこの地で、様々な「異邦の民」と出会う「放浪」です。キリスト者としての私たちに問われているのは、歴史の荒野に先立ち行く導き手としてヤーヴェのみを拝するとする古代イスラエル以来の信仰を、現代というすべてが流動し、異他なるものが混じり合う荒野において、どのように生きうるのか、在りうるのか、ということであると思います。

(聖学院大学大学院客員教授 京都 北白川教会員)