絶望・希望・神の愛ー若き日より、この交わりに生かされて 川田 殖

ローマの信徒への手紙 七章14~25、八章18~38

〈前置き〉

基督教共助会創立百周年記念夏期信仰修養会で主題講演をせよとの、飯島委員長よりのお話であった。やがて90歳、90周年にも感想をのべたことゆえ、いまさらとも思ったが、「若き日より、この交わりに生かされて」という趣旨だとのこと、その語り口でのそこはかとなき話になった。旧知の皆さんにはまことに申しわけないが、新しい方がたのためのささやかな証しのひとつとして、どうかお許しいただきたい。

「他人(ひと)を見れば失望する。自分を見れば絶望する。希望は神を見上げる時だ」。これは若き日、北白川教会で奥田成孝先生からいくどかお聞きした言葉である。当時は慌ただしい中にも、よき師よき友に囲まれて、おおよそは楽しい日々を送っていたので、あまり切実にこの言葉の意味を感じなかった。しかしそれから60年、折にふれてこの一句の含む切実さを噛みしめるようになった。しかもそれは私ひとりの経験ではなく、聖書の示す、神と人間・世界の関係をも表現したものだということに次第に気が付くことになる。

奥田先生にお会いする数年前、私は新設の国際基督教大学(ICU)でも、よき師よき友に出会い、はじめて聖書とキリスト教に触れた。神田盾夫先生からは、西洋精神の源流がギリシア文化とイスラエルの宗教であることを具体的に教わった。私たちを「友フレンド」と呼んで下さったエーミル・ブルンナー先生からは、

(一)聖書の「信ピスティス」(信頼、信仰)とは、さまざまの「出会い」と「交わり」のように、主観と客観・理性と信仰といった観念的二分法を超えた、人格的事できごと実であること、
(二)聖書の神は、人の心の根底に語りかけ、応答を促す生ける存在であること、
(三)真の人間性(人格)はその恵みに気付き、それに答えて生きることにあること、
(四)その歩みが人間の(救いの)歴史であること、
(五)その中心点が救イエス・キリストい主による贖罪(人間の罪の問題の解決)あること、などを、その存在と生き方をも通じて教わった。

先生がたや友たちの人格的感化のもとに聖書の信仰を教えられ告白した私たちに、ブルンナー先生は「その恵みを私物化しておいてはならない。生活と交わりを通してこの救いの人格的真理を実証し、友たちに伝えよ」とすすめられ、その一助として、互いに協力して聖書を学び、共に祈りつつ、聖書の真理(聖書の救いの事実)に生きる交わりを育てるため小集団(インナー・サークル)をつくることを提案され、みずからそこに入って指導された。すべて私とっては異文化体験であった。

(以上詳細は『共助』340~350号、および中沢・川田編『日本におけるブルンナー』所収・山本俊樹兄の貴重な証言参照のこと)

私は以前から古代ギリシア文化に関心を持っていたので、神田先生のおすすめにより、卒業後、京大の田中 美知太郎先生のもとで学ぶことになった。また東京での教会は当時「バルト教会」ともささやかれた信濃町教会であったが、福田正俊牧師のおすすめで、北白川教会に出席することになった。

大学では週3回のプラトンとアリストテレスの原典演習に厳しさと苦しさを味わったが、新鮮な驚きと喜びをも与えられた。教会ではブルンナー先生の証しされた福音の精神が貫かれ、信徒の生活もその福音の実践のように思えた。牧師先生は神学校出ではなかっが、私が東京時代に親しんだ内村鑑三伝来の聖書中心、ことに預言者への傾倒とキリストの贖罪への集中は、その礼拝に恐るべき迫力を与えていた。そこには、いたたまれないほどの悔い改めを迫る力と、罪の赦しによる深い慰めと、新生の強い力があふれ、私はこれによって死と復活の経験を新たに与えられたのである。

礼拝はこのように緊張に満ちたものであったが、これに由来する信仰の交わりは実に愛こまやかなものであった。私のような不案内者に注がれた、信徒の家庭的な配慮は、今思い出しても、胸に熱いものがこみ上げてくる。奥田先生は、教会に入りびたることを戒めらたが、各自その働き場で主を証しすることを勧められ、必要とあらば、その職場に赴いて聖書研究に参加された。

その一例が京大学内共助会で、三谷健次・飯沼二郎両先生が世話人となって毎木曜午後に研究室を開放して持たれた会合にもほとんど必ず出席され、たいていは微笑みながらきいておられた。そこには教授と学生といったこの世の区別を超えた、「友」としての親しい交わりがあり、私はあのインナー・サークルを思い出した。のちに私はこれが「主にある友情」という言葉の実態であるとともに、その起源が、共助会の創設者森 明と当時の学生だった奥田青年がたとの間に結ばれた信仰的交わりにあることを知り、30歳の正月、申し出て、その会に入れていただくことになった。井川 満・田中邦夫・下村喜八・高岡(のち井川)千代子の諸姉は、この時以来の生涯の友である。

入会翌夏、私は全国信仰修養会に参加したが、思いがけずもその翌年にはそこでの講演を仰せつかった。リポートのような話だったが(『共助』158号所収)、東京の山本茂男・浅野順一・清水二郎の諸先輩、尾崎風伍・内田文二・松木 信の諸兄から、十年の知己のごとく暖かく迎えられ、生涯の交わりとなったのは感謝であった。

京都在住7年後、はからずも数年、ICUに勤務した。当時はいわゆる「安保闘争」に端を発する、日本社会大揺れの時代で、大学も例外でなく、とりわけ「この大学を新日本建設のために捧ぐ」とし、「新しい日本と世界を築くため、キリスト教精神と民主的理想に立って、時代の諸問題を正しく批判し解決できる知性の持ち主を育成する」理念を掲げたICUでは、この時何をもって世界と日本に立つべきかを問う学生運動が起こった。しかしこの学生の問題提起は、他の要素とも絡み合って、教授・学生間の十分な対話となりえず、本館封鎖・機動隊導入・学生処分・教授会の分裂・指導部の交替に次ぐ交替という、悲劇的結果におわった。

この事件が私に与えた衝撃は大きかった。まず高邁な理念も、それを生かす力を失う時、いかに無力なものかを味わった。また明快な理論も、不当な権力の前には、はかない抵抗にすぎない現実をいやというほど知らされた。さらに悲しかったことに、信頼というものが、人間的レベルにとどまる時には、いざという時、いかに脆いものかを経験した。しかし何よりも残念だったのは、自分自身が、このような事態のなか、切歯扼腕するだけで何の効果的手も打てず、不甲斐なくも病に倒れ、やがて退職したことである。この辺のことはあまりに醜悪悲惨で、いちいち触れるに忍びない。まさに、「他人(ひと)を見れば失望する。自分を見れば絶望する」というあの言葉をみずからへの言葉として、苦い思いで噛み締める次第となった。(同様の経験は以後の私の生涯の中で、幾度となく繰り返されることになる。)

しかしこのような私にも与えられた大きな恵みがあった。ひとつは、このような事態の中でも、学びを止めない少数の学生があり、相はかて、私宅で毎週、小グループで哲学の勉強会が開かれたことである。このメンバーはその後いろいろな所で活躍し、のちのちまでも交わりが続いている。

もうひとつは、これも自発的に学生が集まり、私宅で毎週、聖書を学ぶサークルが出来たことである。彼らは共同して聖書の一字一句をていねいに学び、最後は全員がかならず祈った。そこには人の思いを超えた導きと平安と希望と力が与えられた。のちの共助会員の安積力也兄も、惜しくも亡くなった中村克孝兄も、その時以来の友である。どこを見回してもほとんど絶望的な状況の中でこのようなことが起こる。まさに「希望は神を見上げる時」だったのである。

いまひとつ有難かったことは、ICUを辞める頃、清水二郎先生を中心とした『森 明著作集』の編集の手伝いを、岡野昌雄兄とさせていただいたことである。おかげで森 明の残存著作のほとんどすべてを繰返し読み衝撃に近い感動を受け、わが身を深く反省させられた。なかでも巻末の「霊魂の曲」は、その贖罪経験の凄さを心震える思いで読み、私の信仰の浅薄さを徹底的に知らされた。福音の核心とされる信仰義認が恵みに対する全人的応答につながらず、安直な罪障消滅の安心感に終り、「感謝感謝」の領収証を書くだけで、恩恵による聖化(神のものとされること)に伴うべき実践に欠け、無為無策の日々を送っていたことである。学生時代に小笠原 亮一兄のような学びと祈りと実践が一体となっていた友を傍らに恵まれながら、私は彼から大切なことを何ひとつ学ばなかった。今なお痛悔に堪えない。

著作集巻頭の「涛声に和して」は誰もが感嘆する不朽の一篇であるが、そこに含まれる「安心立命の秘密」の心境は、実にこの「霊魂の曲」にある葛藤の中で、キリストとの出会いと信仰を経て初めて与えられるものである。この両篇の熟読玩味こそ著作集全体を理解体得する鍵あり、最近また本書を熟読して、共助会の原点ここにありとの感を新たにせざるをえなかった。

私のこの時代に発足した佐久学舎聖書研究会についてはすでに幾度も書いたことであり(『共助』401、497、519の各号など)、山本精一兄の手になるまとめ(『基督教共助会九十年―その歩みに思う―』〈以下『九十年の歩み』と記す〉所収)もあり、再出発して12年、折々の石川光顕兄はじめ、諸氏の記述も『共助』誌にあるので、それらにゆずりたい。

この話の冒頭の言葉は、もと原田季すえ夫お 先生のものであることを、井川 満・青山章行のお二人から教えられた。原田先生については、山本精一兄の一文があり(前掲『九十年の歩み』)、『共助』263号は原田先生の記念誌でもある。若き日よりの研学30年、長島聖書学舎を創設してハンセン病患者への伝道と教育に生涯を捧げた先輩である。このたび青山兄から、先生の幻の名著『文化と福音』をいただいた。

「宣教百年の日本プロテスタント教会に献げる伝道神学論文」と副題されたこの大著をここで紹介する余裕も力も私にはないが、主題の展開だけを辿っておこう。文化と福音を考察する序論として、聖書が示す神観・人間観・世界観に触れつつ、その人間観に含まれる人間把握に、(一)「霊・魂・体」という調和的側面と、(二)「霊・肉」という対立的側面があることに注目し、その相違は(一)創造時と(二)堕罪後という相違に対応すると見る。

ここから第一部では創世記の該当箇所(第一~三章)の緻密な分析を通して、文化の主体である人間の持つ問題性と課題性を「神による創造と人間の堕罪」というテーマのもとで徹底的に検討する。

第二部ではこの上で、文化の主題を、生命と価値の視座から取り上げ、創世記の指摘を踏まえて、人間の問題を罪よりの救いの問題に絞って贖罪論へと展開させ、福音の光のもとに、人間の背反性・従順性、福音と文化の断絶性と連続性を明らかにする。その上で文化を東西の民族性と普遍的世界性の両面から福音による新生命の展開に即して日本伝道の課題に迫る。

第三部は無教会と旧カトリック教のはざまに立つ新プロテスタント教の福音信仰の課題をまず、「協同体の倫理」の側面からブルンナーの主著を援用しつつ、「個と全体」「孤独と大衆」「人間と所有」「倫理と終末」を論じつつ、永生信仰の身体性とその協同体的性格に及び、最後にキリスト再臨の信仰と希望を満たす神の愛をもって全体の論考を締め括る。この壮大な『文化と福音』の理論展開は聖書の救済史と密接に連関していて、罪の中にある人間の絶望性と神による救いの希望とは究極的には神の愛をもって解決・完成されることが示されている。ここに至って原田先生の「他ひと人を見れば失望」という言葉が、単なる実人生の感想ではなく、救済史に立った信仰告白でもあることに気付かされる。

以上はこの大著の絵葉書的スケッチに過ぎないが、次代の心ある人びとがこれと取り組み、さらにその論点を推進されるよう心から願いたい。と共に忘れてならぬことは、この著者がいかなる思いで、いかなる生涯を送られたかである。本書巻末に付された「若き日のくびき―私はどうして長島に来たか―」を読む人は、若き日のこの著者の葛藤がいかなるものか、これを導く神の心のいかなるものかを知り、粛然として心の襟を正すだろう。

文化と福音の関係は、森 明にとっても畢生の課題であった。それはキリスト教の信仰のロゴス化であるとともに、非キリスト者に対するキリスト教の弁証(真理性の証明)でもあり、すでに彼はそれを『宗教に関する科学および哲学』および「文化の常識より見たるキリスト教の真理性」において試みている。前者は大正時代における生命科学と新カント派の哲学に多く依拠している点で歴史的書となっているが、その追求の態度と精神においては時代超越的な意味を持つ。後者はさらに広い立場から、宗教の真理性・の存在・神の本性・キリスト教の神観・イエスの神観・神の自己実現と罪悪観・イエス・キリストと論を進めたが、予定した贖罪の真理性・キリストにおける生活の純化と発展・キリストにおける永遠の生命などのテーマは、著者の逝去のため、惜しくも未完となった。(『著作集』解説の二~三節および『森 明選集』の序参照)

この試みは恩師植村正久の『真理一斑』(1884)の継承展開、ドイツの例でいえばシュライエルマッハーの『宗教論』(1799)やハルナックの『基督教の本質』(1900)などの系列につながるものともいえようが、内容は、森自身の血涙の信仰経験と広般な学び、求道者との真剣な語らいに由来する全く独自のもので、面目躍如、いまなお読者に霊感を与えてやまない。

はたせるかな、その顕著な一例として、田中邦夫兄は、40年に及ぶ学問背景の中で、森 明の意図の根本にあるものを追求し、その成果を「困難な信仰」と題して発表され(『共助』668、680、688、695、702、716号)、昨年は京阪神修養会主題講演でその核心を「共助会の使命とその射程」と題して話された。(『共助』713号に載せられた文章は、片柳栄一、下村喜八、青山章行諸兄の文章と共に熟読玩味すべき名論である。)なおこの追求は、こんにちの生命科学の側面からは宍倉文夫兄、哲学・論理学・数学・意味論の側面からは野本和幸兄のごとき開拓者によっていっそう拡大深化されるだろう。

むろん巨視的に見れば、人文・社会・然の各分野で実際に活躍しつつ、福音と文化との密接な関わりを実証した先達はこれ以外にも少なくない。気がつくだけでも、本間 誠・清水二郎・山谷省吾・浅野順一・小塩 力・福田正俊・松村克己・澤崎堅造・飯沼二郎・森 有正・佐古 純一郎・島崎光正の諸先輩は、その著書や生涯を通じての証人で、私自身多くを学んだし、将来においても多くの人を教えるだろう。のみならず文化の土台をなす生活を通じて福音の証人となった「忘れえぬ人びと」(『九十年の歩み』参照)を忘れることはできない。

このような目から見るならば、文化とは「人間活動の総体とその所産」ともいうべく、衣食住をはじめ、科学・技術・学問・芸術・道徳・宗教・教育・政治・経済・社会など、人間の生活形成のあらゆる様式と内容を含むものであるが、そのあり方はすべて、人間そのもののあり方いかんによって大きく左右される。

すでに見たように、聖書が語る神の国の福音とは、神と人間との関係や人格的な人間関係に関するもので、特定の文化価値や社会制度に限られるものではない。キリスト教なしにも、ギリシア文化をはじめ、すぐれた文化は数多い。その中で「福音と文化」が問題になるのはなぜなのか、それはどうあるべきかは常に問われるべき問題であろう。聖書の伝統のない地域、ことに信仰なき市民社会で、キリストの真理とその必要をいかに証しするかが問われるのである。この点、同様の問題を異邦人伝道で担い、活動したパウロの言動は、こんにちなお、大いに学ぶべきヒントに満ちている。「福音と文化」は、観念的二分法で捉えるのではなく、まず福音に生かされた人間が、異文化に生きる人間と出会うのである。そしてよきものがあれば学ぶのである。

十年前、私は、『九十年の歩み』の終章に「回顧と展望」を記した。百周年の今も、そこに記したことに根本的変更はない。この(三)「世界における日本の課題」については前青山学院長梅津順一兄の『日本国を建てるもの』の第四章と第十章に示唆に富んだ提言を読む。(四)「贖罪的自由人の誕生と成長」については安積力也・桑原 清四郎兄がたの実践と提言の蓄積がある。(五)については前述田中邦夫兄がたの問題追求があるほか、下村兄の『生きられた言葉』に示されたシュナイダー研究は、宮田光雄先生のボンヘッファー研究と並んで大きな示唆を与える。このほか成瀬 治・小塩 節・加藤 武・金子晴勇・大塚 野百合・久米 あつみ先生がたの仕事が重要な意味を持っていることはいうまでもない。これらはすべて、これからも心ある人びとに大きな力となるだろう。

共助会の働き自体については委員長はじめ委員がたの尽力で、一種のルネサンスとリフォーメーションが起っていると思う。その第一は共助の先輩がたの志と生涯に対する新しい関心である。「戦前版『共助』選集」の試みがそれであり、井川 満兄がたの愛労になる『奥田成孝「一筋の道」を辿る』が心ある人びとの学びの手引きになっていることも喜ばしい。第二はかつての学生伝道への集中に代わるかのように、東京・京都以外にも、青森・松本・新潟・東海・韓国などの地域共助会が誕生し成長したことで、「大学・高等学校の諸友」から「この時代と世界」にキリストを紹介し、「共同の戦いにはげむ」群への成長として感謝にたえない。(むろん学生伝道の重要性に変わりはないが)第三は、『九十年の歩み―資料篇―』の『共助』総目次と人名索引の母体となるべき『共助』そのもの全巻のDVDが堀内泰輔兄の絶大な愛労によって完成し、『共助』全巻が誰でも即座に利用できるようになったことである。(反面、そこには小論のごとき不完全な文章も載っており、読者は、「預言者の碑を建てる」〈マタイ23:29〉ことのないよう、眼光紙背に徹して批判取捨していただきたい)そこに含まれるどの記事も、歴史的文書としての脈絡と時代超越的な意味を湛えつつ、読者の発見を待っている。

ちなみに同様のことは聖書についても言えるだろう。こんにちは50年前には想像もできなかったほどの、聖書についての様々な情報が手に入るようになった。しかし、やはりまず大切なのは「読書百遍、義、自ずから見あらわる」であり、祈りと生活の中で本文を熟読することによって正確にメッセージを受けとり、それに生きることであろう。その上で与えられる情報で自己吟味しつつ、先達がたがどんなインスピレーション(霊感)を得たかを学び応答したい。これこそ新しいルネサンスとリフォーメーションを自他にもたらす鍵だろう。(なお金子晴勇「宗教改革は文化の改造である」『共助』704号)

顧みれば私のこれまでの生涯は出会い(エンカウンター)と交わり(コミュニオン)の生涯だった。「出会い」とは、私流に言えば、それまでは別に何とも思っていなかったものが、その時から、無くてはならぬものになることであり、「交わり」とはそれを育てることである。これらは人と人以外の事物にもあるが、最も大切なのは人と人との人格的出会いと交わりであり、人はこれによって変わる。これは日常的事実でもある。だから人はよき出会いと交わりを求める。アリストテレスはこのような相手を「友(フィロス)」といい、このような関係を「友愛(フィリア)」といった。

しかし私にとって、それにまさるものは、聖書の神との出会いと交わりであった。奥田先生は、祈りの時によく「天地の主なる聖きよき、まことの父なる神」とか「イエス・キリストの父なる神」と言われた。聖書の神を指す絶妙な呼びかけである。聖書の神は宇宙の大法の制定者であるとともに、それを超えて、罪びとを顧み、ご自分との正しい関係に引き戻せねば止まぬ愛の神である。それを端的に示すのが、この神を「父」と呼んだ、イエス・キリストである。父なる神と子なる神から、私たちは祈りを通じて、その心と力(聖霊)をいただく。これによって罪の力(不安・絶望・死)から解放され、まことの自由と奉仕(愛)の器とされる。このようにして与えられる「友情」が「主にある友情」であり、キリストによる開放と愛が、「キリストのほか自由独立」(同時に、主にある奉仕)である。私はこの生き方を、共助会の先輩がたとの出会いと交わりから示された。これが私の生涯のささえとなってきたことは尽きない感謝である。

この目から見るならば、もはや他人に失望、自分に絶望することに終わらない。キリストを我らに賜わる神の愛によって、すべては、当面の敵でさえ、「主にある友」(主が代わって死なれた兄弟)となる。むろん現実にはサタンにとりつかれて、正気を失っている友もいる。しかし神はその友を支配するサタンを滅ぼして、彼をもご自分のものとなし給う。私たちはみずからを顧みてこのことを確信するとともに、未知の世界に限りない希望を持つ。その希望は、すでにその一部を実現して下さっている、神への信頼に基づく。その神の支配(国)にはもはや絶望はない。苦しき戦いにも希望はあふれるのである。

このような交わりの中で私は六十年、育てられ生かされてきた。私を育ててくれた共助会もまた、将来とも、人の目から見れば失望、絶望であろう。しかし恐れるまい、かたく立って主の救いのわざを見よう。神はイエス・キリストによって、不甲斐なき私たちを用いて勝利し給う。これが百周年を迎えた共助会に対する私の希望である。願わくば神、この小さき群れを憐れみ、私たちを存分に用い尽くされんことを。(2019・9)

(哲学者 佐久市 日本基督教団 岩村田教会員)