津久井やまゆり園事件が私たちに問いかけるもの 片桐 健司
■元職員によって19人が殺された
2016年7月26日未明、神奈川県にある重度障害者の施設、津久井やまゆり園で無差別殺傷事件がおきました。犯行に及んだのは、津久井やまゆり園元職員の植松 聖(さとし)。
内部の事情を詳しく知っている彼は、施設のガラスをわって鍵をあけると、当直の職員を結束バンドで縛り、その職員の目の前で、次々と施設利用者の上半身を刺していきました。亡くなったのは19歳から70歳までの施設利用者19 人。けがをした方もいれると45人が死傷しました。
■かつては人里離れたところにあった津久井やまゆり園という施設
施設の横を深い川が流れるやまゆり園は、1964年に設置されました。150人の人が入所できるといいます。近くを中央本線や甲州街道が通っていて、今では街の中にあるように感じられますが、当時は緑深い山の中の施設だったと思われます。人里離れた山の中に、いっぺんにたくさんの人を入所させるという施設のあり方については、やまゆり園に限らず、障害者も地域でいっしょに暮らそうと願う人たちには、疑問の残るところです。今でも、例えば都内で自分の子どもを施設に預けようとすると、近くに空いた施設はなくて、汽車で何時間もかかるようなところを紹介されたりします。また、そういうところで虐待や暴力が問題になっている施設がいくつもあるのは、ご存じの方も多いかと思います。
やまゆり園は、最近ではそれなりに地域とつながりもできていたようですし、預けている保護者にとっても、ここで良かったという人も少なくなかったと聞きます。しかし、今回の事件を追及していくと、本当にそうだったのか、という思いもおきてきます。当初、この施設でまじめに仕事をしていた植松 聖が、この施設の人たちを殺さなければいけないと考えるようになったことは、施設のあり方と決して無関係ではなかったと思います。
■「障害者は不幸を作ることしかできない」と考えた植松 聖
植松 聖は、この事件をおこす半年近く前に、衆議院議長宛に手紙を書いています。障害者を殺すことが人類の幸福につながるという主旨の手紙で、以下はその一部です。
「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態であることも珍しくありません。私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。」
彼の考えていることは、死刑判決が確定した今も変わっていません。彼の裁判中、たくさんの人が彼に面会に行っています。私の知っている人では、物理学者でお子さんが重度障害者の最首悟さん。最首さんは障害児を普通学校へ・全国連絡会の世話人でもあります。また、バプテスト教会の牧師でホームレス支援など地道な活動を続けている奥田知志さん。こういった方々の熱心な問いかけに、彼は、亡くなった方に申し訳なかったというような気持ちを表したりもしながら、結局、今まで、上記の考え方は変えてきませんでした。
■死刑判決を受け入れる
2020年、3月16日横浜地裁で、この事件の裁判の判決が出ました。
犯行前に、自分は良いことをするのだから国? は自分を守ってくれるはずだという言い方をしていた彼でしたが、最終的に彼はこの死刑判決を受け入れ、控訴しないことにしています。
死刑という、国家が行う「殺人」は認めていいと私は思いません。ですから、彼がしたことと同じことを国がすることはあってはならないと思います。
さらに、彼が「障害者は不幸」と考えた過程には何があったのか、教員を目指し、それも特別支援学校の教員を目指し、施設でも一生懸命障害者と関わろうとしていたのに、どこで変わってしまったのか。彼が育ってきた学校教育で、あるいは家庭で何を思ってきたのか、さらにこれからどう生きていくのか、一緒に考えていかなければいけない課題がたくさんあると思うのです。彼もひとりの人間なら、彼とどう生きるか、生きていくかは私たちにも問われなければならないと思います。彼ももっと生きていてほしい。死刑判決ですむ問題ではないのです。
■自分の中にある優生思想とどう向き合うか
45人も殺傷したことはひどいことだ。障害者だから殺していいなんて、そんなことをした人はゆるせない、と多くの人はそう思います。障害者権利条約が批准され、障害があってもなくても、誰もが当たり前に共に生きる社会を実現していこうという動きも出てきています。つい最近まであった優生保護法では、障害者が生まれてこないようにと、強引な不妊手術が行われ、望まない中絶が行われてきましたが、それは、まちがっていたと言われるようにもなりました。
しかし、本当に障害者の存在は当たり前に受け止められるようになったのでしょうか。最近、出生前診断の技術が進み、胎児の障害を生まれる前から発見することもできるようになりました。その結果、出生前診断を受けた人で胎児に障害が発見された人の90%以上の人が中絶手術を受けているという報道があります。これと、植松 聖のしたこととどれほどの違いがあるのでしょうか。
ここには、「障害」があれば今でも差別されてしまうことを多くの人が感じ、その子や周りが「不幸」にならないように考えてしまう社会の現実があるように思います。そして「障害はあってはいけないもの」と、多くの人は心の中のどこかで思っている。それが優生思想です。今回の事件は、植松 聖の問題だけではなく、実は私たちひとりひとりの中にある優生思想とどう向き合うかが、問われていると思います。
■名前も消され、人として認められない「障害」者
彼の言葉の中にある「車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し」は、やまゆり園の実際のことでした。ここで縛られていた一人の方は、事件後ここを出て、別の場所に移り、今は歩くようになって生き生きと生活しているそうです。これがやまゆり園の全体とは言いませんが、園の職員と利用者との間にどれほどの心のつながりがあったのか、障害者を「人」ではなく、「もの」としてしか見ていないような関係。もしかしたら、やりがいを求めて施設の職員になった彼が、こういう施設の実態から、障害者を「動物」と思うことでしか、仕事ができなくなったと言えないでしょうか。
もうひとつ、この事件の特異なことは、被害者の名前が公表されなかったことです。殺されたうえに名前まで無くされてしまった。この人たちは、二度殺されたという人もいました。そこに、施設に入れられた人たちと家族との関係、思いが垣間見えます。植松 聖はそういう現実も強く感じていたのかも知れません。
■ゆがんだ価値観は学校教育から植え付けられる
今回の事件の直接のきっかけが施設での彼の体験だったとしても、彼がそういう結論に達した根本には学校、教育があったと思います。彼は中学時代に障害児が交流という形で彼の学校に来ていたことを語っています。「障害」者と出会うことは大かと思いますが、交流という中途半端な形での出会いは、「障害」者に対して思わぬ偏見、誤解をうむ危険な場合があると思います。もしかすると、このときの体験がひとつの今回の事件の根底にあったかも知れません。
そして、もう一つは、学校教育のあり方そのものの問題です。テストの点数のみに表されるような学力だけを重視する今の学校で、どれだけ子どもの心は育つでしょうか。人として大切なことは教えずに、ゆがんだ価値観を学校生活で子どもたちは植え付けられていきます。これは、彼だけのことではなく、ほとんどの人たちがそういう価値観の中で育てられ、できないことはいけないことという「障害」の否定=優生思想が無意識に心の中に育っているのではないでしょうか。
そんな私たちの心の中の思いが植松 聖によって実行に移されたとしたら、決して自分と関係ない事件ではないのです。
片桐健司氏略歴
1947年東京生まれ。元東京都公立小学校教員。日本バプテスト連盟 品川バプテスト教会員。「障害児を普通学校へ・全国連絡会」運営委員。現在、品川区内で「ともいき学習教室・教育相談室」を主宰し、地域の子どもや親との関わりを続けている。