共助会の主に在る交わり(2009年2. 3月号) 佐伯 勲
今号は、昨年の秋にもたれたキリスト教共助会京阪神修養会の特集となっております。「和解の福音を生きる」という主題のもと、韓日の基督者が隣人として出会う道筋をつけてくださり、その完成を望みつつ天に召された李仁夏先生を偲んでのものとなりました。
ここに、四枚の写真があります。これらの写真は、1985年の京阪神修養会で、主題は「在日大韓キリスト教会に学ぶ」でしたが、そこで、どういうわけか、わたくしに和田正先生がくださったものであります。当時わたくしは和田正先生と話したこともなく、また写真に写っておられる方々がどういう先生たちであるかも知りませんでした。二十五年が経ち、何かよみがえってきた思いです。
一枚は、洪彰義先生、李仁夏先生、李英環先生が写っておられます。1963年に李仁夏先生が韓国に行かれて、戦後初めてお二人に親しくお会いになられたときのものです。そのときの李英環先生の言葉、告白が、「わたしは京都での奥田先生や和田先生とのあの当時の交わりを覚える度に涙ぐんで来て仕方ありません。あの方たちには地上ではもう会えないかもしれませんね。両国の関係がこの調子ではね…。でも会いたいな! 再び会えたら、また涙ぐむでしょうね。」 李仁夏先生は、「李兄の目に光るものがあった。わたしはそこに共助会の実体をみる思いがした。こんな交わりがまたとあるだろうか。十八年の時と、国と国とのへだたりを超えても色褪せぬ切実な友情がそこに生きているのを見たのである。」と語っておられました。
一枚は、1979年、山口の堀先生の自宅で、堀信一先生ご夫妻と李英環先生が写っておられます。日本での医学会の出席のため、戦後初めて34年振りに来日され、奥田先生を始め共助会の友に会われました。
また、一九六三年の李英環先生の告白に応えるようにして、1966年の共助会の第一回韓国問安が行われ、和田先生と澤先生のお二人が韓国の友たちを問安されました。もう二枚がその時の写真です。李英環先生の案内で堤岩教会を行かれ、3・1独立運動記念碑の前での、李英環先生、澤正彦先生(1989年3月27日召天。今年は召天20年)、和田正先生です。また、このときの延世大学校聯合神学大学院での尹鍾倬先生との感激に満ちた出会いがもととなって、一九九二年の第一回韓日共助会修練会へと導かれ、韓国キリスト教共助会が設立されたのでした。
この修練会の記録として1993年に発行された『歴史に生きるキリスト者』(キリスト教共助会編)の扉には、「韓日キリスト教共助会の交わりの基礎をつくり、この修練会に先立ち天に召された 堀信一 李台現 澤正彦の諸兄と 病床にあってこの日を喜び祈られた 和田正兄に献ぐ」と記されています。その後、和田正先生が召され(1993年9月16日)、昨年は李仁夏先生(2008年6月30日)、そして、今年2009年1月29日、李英環先生が天の御国へと旅立たれました。
「地には一人を減じたり 旅人の日ごとの 十字架をになふべき一人を減じたり さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきもの一人を 天の家に増しぬ」(―地にての旅人 天に一人を増しぬ―)