神の導きの中に(2009年1月号) ―共助会創立90周年を迎えて―飯島 信
1919年クリスマス、共助会は創立された。教会・教派を超えた使命的伝道団体として、神の導きの確かさの中にその歩みは開始された。爾来90年、戦前と戦後を分けてその歩みを考えるならば、戦前の26年に比し、戦後はすでに64年の歳月を歩むことになる。さらに創立者森明を思うならば、彼がキリスト教共助会と共に歩んだ歴史はわずか五年余、つまり共助会の歴史はその歳月の長さから言えば圧倒的に森明その人ではなく、彼によって基督にある友情に招き入れられた者たちの歩み来った歴史となる。
この歴史の重さに共助会を耐えせしめたものは何かを思う。今もなお、共助会に生きる私たちの内にあって、基督にある友情に友を招き入れる力は何かを思う。
1932年クリスマス、『森明先生小伝』を編集した委員の名で記された文章の一節に次のような言葉がある。「恩寵は責任である。人生はおごそかなる使命である。」神の恩寵のもとにキリスト信仰を与えられた者の責任と、キリストの恩寵に浴したる者の、その人生の生涯を神の栄えのために捧げんとする使命、この責任と使命こそ、90年の歩みを許された小さき群れの生きる生命の源なのである。「一人の魂のために己れを与えてキリストの福音を伝えて倦むことを知らな」かった牧師・森明の伝道の精神は、若き友に向かうと共に、祖国日本の救いへと向かっていた。
今、私たちは、共助会九十年の歩みを記す記念誌の編集と、『共助』誌上に掲載された説教・論文集等の編纂に取りかかっている。この二つの業の意味するところは何か。それは、現今の日本社会に、共助会の力を尽くして、この二つの文書をもって福音伝道の責任と使命を果たすことである。
共助会とは何か。それは使命的伝道団体である。「全人格・全生涯を傾け尽してキリストを熱愛した」森明の祈りは、キリストの恩寵に浴した者たちが、自らの全人格・全生涯をもってキリストの愛に応え、その責任と使命を全うすることである。
神よ、共助会創立90年の年を迎えました。どうか、これまでと変わらず、これから先もなお、この小さき群れの歩みを覚え、御心を示し、私たちを導いて下さい。
そして、御心にかなうならば、あなたの御国建設の器として私たちを整え、用いて下さい。