日本基督教団 二戸教会 小友睦
◇ 教会の略史 ◇
一戸から二戸にかけて最初に伝道を行ったのはハリストス正教会で、1878年に旧・福岡町にハリストス「福岡聖母会」が建てられており、同時期に一戸でも伝道がなされており、二戸教会の創始期のメンバーであった松浦家族は「ハリストス一戸教会」で洗礼を受け、ハリストス一戸教会が活動休止後に二戸教会に転入会しています。
プロテスタントの伝道は1903年、盛岡日本基督教会(現・盛岡下ノ橋教会)の千磐武雄牧師によって、福岡町に出張伝道がまずなされました。以降、ミス・ウィン宣教師、諏訪修治神学生、島田哲三牧師、カイパー宣教師によって伝道が続けられました。ミス・ウィンは浄法寺・金田一・三戸にも伝道の足を伸ばしています。
定住牧師は、『日本基督教会史』(1929年)によりますと、伊藤廣吉牧師が1919年に死去するまで福岡伝道所の主任として務めています。但し『二戸教会八十年史』では、1919年に福岡集会所に赴任した羽生 義三郎牧師が最初となっています。ともかくも日本基督教会・東北中会の伝道所として二戸教会は出発しました。1919年に羽生 義三郎牧師が着任しましたが、福岡での伝道は困難であったようで、間もなく一戸に拠点を移し、一野辺宅を伝道所とし1924年まで牧会し、小鳥谷と石切所に集会所を建てました。羽生牧師は一戸高等女学校や近隣の小学校で歌唱指導も行い、女学校や小学校校舎の設計・監督もされ、宮古教会の会堂の設計もしています。
紺野 滝一郎牧師の時には金田一と三戸に集会所が建てられました。佐々木 慶治郎牧師により伝道を再開した福岡集会所に、1933年から1934年にかけて、戦争へと向かう情勢の中で、金田一・石切所・小鳥谷・一戸の各集会所および伝道所が合併される形で二戸教会が形成されました。1933年4月24 日には東北中会から教会建設の認可が下りており、1933年6月21日に二戸伝道教会設立式が執り行われています。この後に東北中会から奥羽中会が独立し、正式に奥羽中会における独立した二戸教会建設式が行われたのは1938年5月11日のことで、これが二戸教会の設立期日となります。
戦後に浄法寺での伝道は、1960年から再開されました。1978年~1980年には、医療奉仕しながら伝道をする北本(埼玉県)の「祷援会」の医師による力強い働きがあり、その後二戸教会が中心となり集会を続けましたが、2014年をもって休止しました。しかし二戸市と合併した浄法寺での伝道について再開されることを祈りつつ探っています。
宗教法人として認証を受けたのは1947年7月25日です。二戸教会の会堂は1934年に建設され、1960年に修築が施されました。現会堂は1996年に旧会堂の場所に新築されました。教会墓地は1993年に取得しました。また2021年には隣接地を駐車場として購入しました。
◇戦時中の教会について◇
戦時中の状況について資料がほとんどないので推測の部分もありますが、教会の戦争責任を明らかにするために以下に一文を掲載します。
佐々木 慶治郎牧師は1931年から1985年まで54年間伝道牧会にあたりましたが、この間には「満州事変」「日中戦争」「太平洋戦争」という戦争の時代がありました。そんな中で少数の信徒たちと苦渋を味わい、教会を守り、信仰の灯を灯し続けました。そうして終戦を迎え、戦後の荒廃の中から教会復興のために尽されました。佐々木牧師は就任の翌年の1932年、相次ぐ凶作のため困窮を極める二戸地方の農家を訪ね支援活動をしています。しかるに1938年5月、東北中会でアメリカ・ミッションからの独立運動が叫ばれていた時、佐々木牧師は信徒に「俺も貧乏するから共に信徒も貧乏してくれ」と、ミッションからの支援を断り、独立自給教会を目指しました。
ところが1940年6月、二戸教会機関紙『荒野の声』の表紙に大きな字で「皇紀2600年」と記し、7月7日「皇紀2600年記念教会大修養会」を開催しています。1944年6月には「必勝祈願祈祷会」、11月には「軍用機献納金送金」「戦意昂揚必勝祈願礼拝」を開催しています。1944年および1945年の伝道状況の報告の中では「大東亜の苛烈凄惨を極る現段階に於ける教会の期待さるる責務は重大さを加ふ。教会は、承詔必謹の誠を以って忠節を全うせんとし只必勝確信を堅持して熱き祈祷に全力を傾注す」とあります。その心は如何ばかりでしょうか。
1945年9月2日、戦後初めての長老会が開かれ、「無条件降伏後の教会の指導性について」長老会議を開き、「聖霊による真の伝道を要望」と岩手県知事宛の報告書に記してあります。佐々木牧師は54年の全生涯を注ぎ二戸教会に仕えました。半世紀に亘る牧会は正に二戸教会の歴史そのものです。1989年11月29日、弘前教会での佐々木牧師の葬儀説教で中条和哉牧師は「悔い改めて止まるのではなく、悔い改めて用いられる喜びを受け継いで、次への足取りを力強く進めていかなくてはなりません」と結びました。佐々木牧師の言い残した言葉なのかも知れません。
◇ 教会の特徴と課題 ◇
二戸教会は設立時から旧日本基督教会、すなわち改革長老主義の教会形成を行ってきました。また農村地域における伝道でもあり、さらには医療・福祉に関る伝道をしてきました。奥羽という地にある、北東地区の教会・伝道所と共に歩む教会です。北東地区では子どもの教会(日曜学校・教会学校)は休止している教会がほとんどです。二戸教会でも、子どもの教会はしばらく休会していましたが、今は再開し、子どもたちのアクティビティを引き出しています。私たちは次のことを課題とします。
(1)神を礼拝する「主の日」を大切にし、祈祷会での「聖書の学び」「祈り」を続けていく。み言葉に生き、主イエスの御名により熱心に祈り、証し、信仰告白をする教会形成。
(2)「地域への伝道をする教会」として、「さんびシャローム」で歌う喜びを分かち合い、賛美コンサート、映画鑑賞、教会図書貸出・読書会、子供の居場所や交流など地域への関りを持つ。近隣の高齢者のための「教会カフェ」を通して癒される場所としての教会を目指す。
(3)自然環境を大切にし、そこにある恵みに感謝し、神によって造られた生命を守り、共生し、平和を実践する。
(4)関連施設としての、社会福祉法人泉の園「一戸子供の家保育園」「精神しょうがい者施設」との関わりを大切にし、奉仕・祈りを続ける。
◇ 関連施設 ◇
1931年4月に佐々木 慶治郎牧師が着任したと同時に、一戸小学校の空き室を借りて保育を開始しました。一戸町にある、社会福祉法人「泉の園」は私たちの教会員の働きの中から生まれた施設です。そして1935年に、保育所「一戸子供の家」としてまず開設され、現在は「地域子育てセンター」、そして精神しょうがい者社会復帰施設「のぞみの家」「地域生活支援センターのぞみ」「のぞみ作業所」「WISH ―1」「WISH ―2」の各施設があり、キリスト教精神で、地域に根差した働きをしています。
(日本基督教団 二戸教会牧師)