各地教会

京都みぎわキリスト教会 早藤 史恵

今、わたしは京都みぎわキリスト教会の縁側に座っています。ここから庭の木々や花、苔むした石、小さなつくばいや灯篭等を見ることができます。時折、鳥が囀り、風が木の葉をそっと揺らします。このお気に入りの場所に小さな机を置き、一枚の写真を飾ってペンを走らせています。その写真は主の証し人・鴨脚(いちょう)冨士姉(1893-1992, 北白川教会員・共助会会員)のものです。

京都みぎわキリスト教会(以下みぎわ教会)は京都の左京区に位置し、少し足を伸ばせば南に糺の森や御所、西には鴨川があり、北から東には比叡山や如意ヶ嶽(大文字山)といった山々が連なっています。交通の便もよく、あたりには閑静な住宅街が広がっています。

みぎわ教会は、約60年前の1966年2月6日に発足した単立の小さな群れであります。1960年代の社会的、教会的、神学的な混乱の中に起こった出来事を機に、十余名の兄弟姉妹がそれまで集われた教会を後にされ、発足するに至りました。

イエス・キリストの十字架による罪のゆるしと、キリストの復活による永遠の命という福音だけを携えて、信仰の他は何一つ持たず、行く先も知らずに旅立つことを決意された兄弟姉妹。やがて原田博充兄を牧師として立て(1996 ~ 2014.3)みぎわ教会の歴史が始まります。そのみぎわ教会を主なる神は常に共にあって、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって導いていかれたのでした。

発足後の数年間、礼拝は古田睦廣兄宅及び原田牧師宅において、その後の十数年は下鴨の恵美幼稚園をお借りして守られました。その間、会堂の必要性を感じて検討がなされるものの、会堂を持つことなど到底できなかったみぎわ教会。そのみぎわ教会に驚くべきことが起こります。

ある日、恵美幼稚園の園長・滝浦緑先生(北白川教会員・共助会会員)から原田先生のお宅に電話がかかってきます。その時のことを原田先生が次のように記しておられます。

一九九二年十一月二〇日(金)、夜九時すぎに外出から戻ると、妻美智子が、滝浦緑先生からのお電話で、故鴨脚冨士姉の御遺族狩野義子姉から下鴨北園町にある鴨脚姉の土地及び家屋を、京都みぎわキリスト教会にお譲り(お捧げ)したいがどうか、とのお申し出があった旨を伝えてくれた。あまりにも突然の驚くべきお申し出であったが、大きな平安のうちに深い感謝がこみあげてくるのを覚えた。妻と共に祈り、滝浦先生に電話をして、お話を伺い、また狩野義子姉にも電話をして、お考えや概要を伺った。(『いこいのみぎわ ―京都みぎわキリスト教会四十周年記念誌』33頁)

既に教会員であったわたしはこのことを聞いて本当に驚きました。「この時代に土地と建物を献げようとして下さる方がおられるなんて!」「それも、すごく近くに!」。その家は恵美幼稚園から歩いて2分、二筋南にあるというのです。心底驚きました。築60年の日本家屋で、かつて多くの若いキリスト者が下宿され、よき証し人となっていかれたとのことでした。その中に日本キリスト教海外医療協力会(JOCS) のワーカーとなられた伊藤邦幸兄もおられました。わたしは伊藤兄がみぎわ教会の発足に尽力された方であることを知っていたので、またまた驚きました。そしてその家には戦後、何人もの困難にある方が身を寄せておられたことも知りました。そのように若い人をお世話し、困窮にある方に愛の手を差し伸べられたのが鴨脚冨士姉であります。その鴨脚姉のお家を、お嬢様の安達弘子姉と狩野義子姉(北白川教会員・共助会会員)を通して、今、賜ろうとしている。言葉にできないほど素晴らしいことが起こっているのを感じ、心震え、主をほめたたえずにはいられませんでした。そして思いました。「神さまはほんとうにおられる」と。

そのお申し出の日のことを、滝浦先生が法人設立記念感謝感話会において、次のように語っておられます。

(義子さんからのお話を聞いた時、)こんな素晴らしいことはないなと思ったんですけど、不動産をあげたり貰ったりする時はお金がかかるということは聞いていましたので、これは簡単にいく問題なのか、いかない問題なのか、ちょっと私にはわからない。ともかく原田先生のおうちにお電話しようと思って、お電話をかけました。奥さんが出てらっしゃいました。奥さんに義子さんがおっしゃったようにさりげなく「アノ、下鴨のお家を原田先生とこの教会にあげたいとおっしゃってますけど、どうですか」。ようまあ本当に今考えたら粗末な言い方だったと思うんですけど、そしたら電話の向こうで原田夫人がびっくりなさいました。それで私がアーこれはたいへんだと初めて気が付きましてね。「アノー、今主人がおりませんから、私の一存では何にも申し上げられませんけど、本当に感謝なことです」と奥さんがもう半分泣いていらっしゃったような声が私の耳に聞こえました。(『恵みへの感謝 ― 宗教法人設立記念感謝礼拝・感話会記念文集頁)

さらに不思議なことがあります。まだ教会が発足される前後のことを原田先生が記しておられます。

その頃、鴨脚家の庭に建てられた伊藤御夫妻のプレハブの御新居で伊藤兄のお勧めによって水垣渉兄その他二、三の方々とここでギリシア語で聖書を読む会をして、一番出来の悪い私を導いていただいていた頃があったのであります。私はその頃にこの家に出入りをし、鴨脚様とも顔見知りになったのでありました。これが御縁の始まりとなったのであります。(中略)その時ここでギリシア語の聖書を読んでいた私達が三〇余年の後には主の会堂となった鴨脚様のお宅で礼拝をしているということを想像することは本当に出来なかったのであります。それはまったく予測することが出来なかたのであります。「全く出来なかった」としか言いようがないのです。しかしそのようなことがここに起こっているのであります。(同上、9頁)やがて、みぎわ教会は様々な手続きを経て宗教法人となり、その家を賜ることなったのです。ありえないこと、わたしたちの思いを遥かに超えること、奇跡ともいえることがみぎわ教会に起こったのでした。一方的な主の恵みを思います。また主は従い行くものを大切にされ、深く愛される方あるということをも思わされます。

教会の堂見るたびに思うかな 

   主の憐れみは絶ゆることなし(伊藤邦幸兄作)

よくみぎわ教会を訪ねてこられた方が、畳や襖、障子のある礼拝堂に入られて「お庭も見えるんですね」「落ち着きます」等と話されることがあります。そのお姿を見る度に、こぢんまりとした会堂で四季折々の自然と共に礼拝を献げられる恵みを思うのです。先日も会堂に座ってしみじみと思いました。「ここが好きだな」と。静かに、ただそこにいるだけで心が和み、平安な心地がするのです。

いったいなぜでしょう? 

お庭があり、築100年にも なる古い日本家屋だからでしょう。しかしそれだけではないと思います。発足時より十字架の贖いと永遠の命という福音をまっすぐに語り、その福音により生かされ続けてきた教会だからではないか。福音を聴くただ中でイエスさまと出会い、愛と命を賜り、清められ、いやされ、心に平和が宿ってきたからではないか。それと共に、この会堂が、若い人を育み、困難にある人に愛の手を差し伸べられた鴨脚冨士姉とそのご家族の家、真心から主に仕えられた人々の家、祈りの香の焚き染し められた家であるからではないかと思わされました。

主の深い憐れみと、驚くばかりの恵みにより、この家を会堂として賜り、ひたすら福音に耳を傾けてきた教会。多くの主にある兄弟姉妹のお祈りとお支えをいただいて、主の愛に生かされて生きる喜びと、この上ない幸いの中に歩ませていただいている教会。それが京都みぎわキリスト教会であります。主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。(詩篇23篇1―3節)

(京都みぎわキリスト教会牧師)