暗がりの中、なお世界を受け継ぐ約束 井川 満
創世記第1章28節、「生き物をすべて支配せよ」と神が人に語った言葉について、木村一雄さんが、「これは人間が他の生き物を勝手に扱って良いという意味では決してない。反対に、生き物たちに心を配って十分に世話をせよ、ということなのだ」、と京阪神共助会修養会で語気を強めながら語られたことがあった。10年以上も前だったと思う。
天地創造物語は、闇に覆われた混沌と荒涼に向かって、神は言葉を発して光をもたらし、秩序を与え、生き物を造り、最後に神が「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と言って人間は造られた、と教える。神にかたどって人間が造られたということは、人間は神の創造での御心を十分に理解し、被造物全体に配慮しつつ、神が望まれる通りに世界を維持・発展させるに必要な仕事を果たす役割が与えられたこと、と私は受け取る。しかし聖書はこのあと、「楽園喪失」「カインの弟アベル殺し」「ノアの洪水」「バベルの塔」と続き、人間が神を裏切ったが故に混乱に混乱を重ねて滅亡のスパイラルに陥ったことを述べる。しかし聖書は、その物語に続けてこのような人間を、いかにかして救おうとされる神の苦闘の跡を書き記していると言える。
さて、2023年度の京阪神共助会修養会は「暗がりの中、なお世界を受け継ぐ約束に照らされて」の主題のもと、二つの講演「危機をみつめる森 有正の眼差し」〔片柳榮一〕、「晩年のR・シュナイダーにおける信仰と懐疑」〔下村喜八〕を中心に開催された。現代は、人間が作り出した地球温暖化がもたらす大災害に脅かされている。それにも増して、人間が生み出した核爆弾によって地球が生き物の住めない星になってしまう恐怖に晒されており、「核の洪水」前夜を生きているとの感がする。このような現代の暗がりの中で、イエス・キリストの福音にあって、なおも世界を受け継ぐとの約束に照らし導かれて、希望をもって歩まねばならない。ここに収録された修養会記録は、我々の日々の歩みに示唆を与えてくれるものである。
(日本基督教団 北白川教会員)