説教

和解の業を始めよう 飯島 信

【閉会礼拝】

ルカによる福音書 第6章27︲36節

先週の7月28日に行われた私が牧師をしている小高伝道所の主日礼拝では、小高・浪江で3年目を迎えた私と、小高・浪江伝道を祈りに覚えてくださっている方々にとって信じることの出来ない出来事が起こりました。

折りに触れてお話ししているように、浜通りと呼ばれている福島県南相馬市の南に位置する小高は、水素爆発を起こした東京電力福島第一原子力発電所から20㎞圏内にあり、3・11の翌日には全住民に避難指示が出され、2016年7月までの5年の間、誰一人住む者のいなくなった廃墟となっていた街でした。そのため、1939年に創立され72年の歴史を歩んだ教会幼稚園も、卒園式も行えないまま園児たちは離散し、小高に戻ることもなく休園、そして廃園の道をたどりました。

この教会は、今から5年前の2019年1月から、近隣の教会の応援のもとに月に1度の礼拝が再開され、2022年4月から私が赴任したのですが、ほとんど子どもの姿を見ることもない町での礼拝は数名の大人たちによって守られて来ました。

けれども、先週の7月28日の礼拝は、約30名の子どもたちによってささげられたのです。それは、「トモダチプロジェクト」と呼ばれる東京の杉並と南相馬の子どもたちによる歌とダンスのグループが、夏の5日間の合宿の3日目のプログラムに小高伝道所での礼拝と幼稚園の園庭でのバーベキューを入れたことによるものでした。

このプログラムを主催した方の話によれば、キャンプでは、過去にお寺に泊まり、住職さんの話しを聞いたこともあり、今回も保護者の反対も特に無いということでキリスト教の教会の礼拝への参加が実現したのです。

しかし、教会に足を踏み入れるのも初めてで、ましてや礼拝など一度も経験したことのない30人の子どもたちに、一体何を話したら良いのでしょうか。お寺の住職さんの話の時は、途中で飽きて、最後までしっかり聞いていることが出来なかったことを聞いていたので、ますますどうしようかと考え続けました。

聖書箇所はどこにしようか、讃美歌はどの讃美歌を歌おうか、メッセージでは何を語ろうかなど、なかなか決まりませんでした。一層のこと、幼稚園に残っている紙芝居なら子どもたちは関心を持つだろうかとまで考えました。

時間は容赦なく過ぎ、いよいよ3日後と迫った時、それまで考えていた説教題と聖書箇所をすべて変え、説教題は「あなたの敵を愛しなさい」に、聖書箇所も先ほど読んでいただいた箇所にしました。子どもたちに気を使うのを止め、この聖書の御言葉から今の私が聴き取れる内容を彼らと分かち合おうと思いました。

そして、子どもたちに話した内容は、次の通りです。

牧師になる前に、中学3年を担任していた時の話しです。

私のクラスに一人の女子生徒がいました。女子の間ではリーダー格であったその生徒は、最初の出会いの時から私に反発する感情を露わにして来ました。どんなに私の方で心を砕いて接しても全く相手にされず、31年間の公立中学校での教員生活を振り返っても、これだけ反発した生徒は彼女だけであったように思います。

例えば、当時は家庭訪問がありました。担任が自分のクラスの生徒の家を訪れ、生徒と保護者と担任の三者で面談する時間です。当然、生徒は保護者の隣りに座って私と保護者との話しを聞き、時にその話題に入るのです。しかし、彼女の家を訪れた時、これまで一度として経験したことのない風景に出会いました。それは、両親がおられ、お茶も準備され、私との話しが始まった時のことです。ところが、その場所に生徒がいないのです。彼女は、私たちから距離を置き、奥の方に座ったまま、親がこちらに来るように何度呼びかけてもまったく動こうとせず、結局三者面談でありながら二者面談で終わりました。朝や夕の学活やロングホームルームの時など、何かにつけて反抗し続けるこの生徒のことは、常に私の頭の中にあり、私を悩ませ続けました。

さて1学期も終わりに近づき、私は生徒に渡す通知表を準備し始めました。通知表には、成績の記録以外に、生徒の様子を家庭に知らせる行動の記録の欄があります。彼女の通知表を書き始める時、私は厳しく彼女の態度を批判するつもりでした。こんなにも教師の指示に従わず、反発し続けた生徒など初めてで、保護者には事実を知ってもらい、生徒を少しでも私の言うことを聞くように指導してもらおうと思いました。そして書き始めました。

ところがです。厳しく批判するつもりで書き始めたはずが、どうしても彼女を批判する内容が書けず、誉める言葉が続くのです。指示に従わず、事あるごとに反発する態度に対しては、自立していると誉め、仲間と一緒に反抗したことはリーダーシップに優れているなど、自分の思いとはまったく反対にその生徒を誉めることばで欄は埋まりました。書き終えて、自分でも分かりませんでした。恐らく彼女も驚いたと思います。注意されるどころか、自分を誉める言葉で埋まっていたのですから。

夏休みが終わり、2学期を迎えました。しかし、彼女の態度は以前とまったく変わりませんでした。それどころか、反抗の程度はますますその度を増し、ついにはマラソン大会に引率した駅のホームで正面からぶつかり合う場面にまで至りました。

2学期も終わりを迎え、再び通知表を渡す時が訪れました。2学期の通知表は、内申書とも深く関わり、受験する高校にも提出されます。彼女の通知表を前にした時の私の気持ちは、激しいぶつかり合いをして来たこともあり、今度こそ厳しく生活態度を批判しようと思いました。目に余ることが幾つもあり、自分の身を危険にさらすことまであったからです。

書き始めました。ところがです。やはり彼女を批判する言葉が出て来ないのです。あれほど困らせた彼女について、書いた内容は、やはり彼女の持っている他にはない優れた事柄でした。なぜ、そうなのか、私には未だに理解出来ません。1学期も2学期も、なぜ彼女を批判せず、誉める言葉で欄が埋まったのかをです。

冬休みが終わり、3学期を迎えました。また、この生徒との軋轢が始まることを覚悟していました。しかし、彼女は変わりました。1学期や2学期のあの反発が嘘のように消え、彼女との穏やかな日々が始まったのです。彼女が変われば、彼女の仲間たちの態度も変わりました。そして卒業して行ったのです。私の中学校教員時代の忘れることの出来ない経験です。

このような話しを子どもたちにしたのですが、子どもたちは話の初めから終わりまで顔を上げ、真剣に私の話しを聞いていました。小高伝道所のただ一人の教会員である方は、礼拝が終わった後、「先生、こんなにたくさんの子どもたちと一緒に礼拝が出来るなんて夢のようです」と語られていました。夕方、園庭ではバーベキューが始まり、子どもたちの笑い声が響きました。園庭での子どもたちの声。震災から13年を経て、初めてのことでした。

私は、今回の子どもたちへの話しを通して、大学時代に出席した聖書研究会のことを思い出しました。主宰された先生は、マタイによる福音書第5章8節と9節について次のように語られました。

8:心の清い人々は、幸いである。

その人たちは神を見る。

9:平和を実現する人々は、幸いである。

その人たちは神の子と呼ばれる。

人は、どんなに人生に躓き、もがいてももがいても這い上がることが出来ない、たとえ泥沼のような中に身を置いていようとも、空の星を見て美しいと思う心は必ずある。

平和を愛する人は多い。けれども平和を実現する人はいかに少ないことかと。

フランクルの『夜と霧』の中に、2か所、この8節について語られた言葉を彷彿させる箇所があります。アウシュヴィッツに向かう貨車の中と、収容所の中の出来事です。

後者の収容所の箇所を読みます。

「……あるいは一度などは、われわれが労働で死んだように疲れ、スープ匙を手に持ったままバラックの土間にすでに横たわっていた時、一人の仲間が飛び込んできて、極度の疲労や寒さにも拘わらず日没の光景を見逃させまいと、急いで外の点呼場まで来るようにと求めるのであった。そしてわれわれはそれから外で、西方の暗く燃え上る雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から深紅の色までこの世ならぬ色彩とをもった様々な変化する雲を見た。そしてその下にそれと対照的に収容所の荒涼とした灰色の掘立小屋と泥だらけの点呼場があり、その水溜りはまだ燃える空が映っていた。感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に『世界ってどうしてこう綺麗なんだろう』と尋ねる声が聞えた。」

女子生徒と私の間には、確かに現象的には厳しい、時には双方共に耐え難い軋轢がありました。しかし、同時に、彼女と私には、許しと和解に至る内在的な原理も存在していたのだと思います。恐らく、心の最も奥深くに、自分でも気づくことのない許しと和解を待ち望む思いが厳として存在していたのです。神に似せられ、神の創造の業になる人間の誰であっても、そこに息づく魂とは、人と人との間の安らぎと平和を待ち焦がれる者として造られたのだと思います。

しかし、その一方で、今目の前で起きているパレスチナ、ウクライナ、ミャンマーなどの現実をどのように受け止めていけばよいのかです。最も弱い立場にいる子どもたちが、女性が、老人が、無慈悲なまでに次々に殺されています。人間の罪が成す構造的な悪の問題です。差別であり、抑圧であり、偏見であり、分断です。突き詰めて言えば、他者の存在の抹殺、否定です。そのような現実を目の前にした時、他者を否定し、抹殺する在り方に私は否を言います。そして、その現実に抗い、少しでも変えるために私は労したいと思います。この時、ヒトラー暗殺計画に加わり、捕らえられ、処刑されたボンヘッファー(Bonhoeffer)の祈りが私の心を捕らえます。夕暮れ時、一日の業を終えての祈りです。彼は次のように祈ります。

「……一日の終りにあたって、僕が祈ることのできるのは、神が今日一日とそしてこの日になされたあらゆる決断の上に、恵み深い裁きをお与えくださるようにということだけだ。すべては今や神のみ手の中にあるのだ」と(1939年6月20日)。

決断し、行動する。御前にあってその一切の責任は私が負わなければなりません。ただ、それでも今日の一歩を踏み出せるのは、畏れつつも、神様に、「恵み深い裁き」が与えられることを祈り求めることが許されているからです。神様の創造の業による私たちの命は、安らぎと平和を求めます。キリストの十字架によって神様から罪の赦しと和解の手を差し伸べられた私たちは、その呼びかけに応答するのです。私とあなたの間に平和を造り出すことによって。そして、私と世界との間に平和を造り出すことによってです。祈りましょう。

(日本基督教団 小高伝道所・浪江伝道所牧師)