フィリピン便り1 湯田大貴
共助会の皆様、お久しぶりです。2024年の2月末より、フィリピンのセブに移住しており、こちらに来て7か月ほどが経ちました。今回、飯島先生に頼まれて「フィリピン便り」なるものを執筆することになりました。皆さんがフィリピンにどこまで興味があるかは分からないのですが、自分の視点から気づいたことをいろいろと書いてみたので、お楽しみいただけると嬉しいです。
なぜフィリピンなのか?
この質問を投げかけられることがとても多いので、まずはこれに答えてみることにします。アメリカにいた頃は、同様の質問を聞かれることは現地の人からも日本人からも少なかったのですが、フィリピンの場合だとそこに理由を求める人が多いようです。それはおそらく日本人がフィリピンに移住することが比較的珍しいからなのでしょう。あるいは日本人の中には、フィリピンのイメージがあまりまだ良くない方もいらっしゃるのかもしれません。
端的に答えるなら「人が好きだから」です。人生で初めてフィリピン人と出会ったのは、ICU宗務部主催のアジア学院でのリトリート(修養会)でした。当時大学一年生で18歳の私は、ICUの国際寮で暮らしていました。グローバルな雰囲気に憧れて、何となく応募したのは良いものの、暮らしてみると実際には多くのチャレンジが私を待っていました。英語が全く聞き取れず、会話もろくにできないので、外国人の友人が一人もできませんでした。国際交流の難しさの現実に直面していた私ですが、前述のリトリートで初めて外国人の友人を作ることができました。それがフィリピン人のマークでした。マークはとてもやさしいキリスト者の青年でした。キリスト教に興味を持ち始めていた当時の自分は、彼にいろいろと質問をしたりしたのを覚えています。
それからもICU時代は良きフィリピン人の友人に恵まれて、私はだんだんとフィリピンでの生活にあこがれを持つようになりました。大学4年生の夏、就活も日本の大学院への進学準備も何もしていなかった私は、突如、フィリピンの大学院への進学を思いつきます。しかし父親からの猛反対を受けます。曰く「フィリピンの大学院に行く奴なんかいない」とのことでした。振り返って思うに、フィリピンに対する印象に世代差があるのではないかなと思います。自分の父親世代にはきっとフィリピンにそこまで良い印象がないのでしょう。私にとってのフィリピンは、「優しくて素敵な人たちが住んでいる国」であり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。先進国だとはもちろん思っていませんが、特段貧しい国というイメージもありませんでした。もちろんそれは自分が無知だっただけでもあるのですが。
父親の反対を受けて、結局はアメリカの大学院に進学することになります。21歳にもなっていたのに、父親の言うことを従順に受け入れて自分の夢をあきらめてしまったこの経験は、心の片隅に留まり続けました。そして時は流れて2024年、29歳の年に8年ぶりに夢をかなえる機会が訪れたのです。
セブでの暮らし
運よくフィリピンにあるIT企業からオファーをいただくことができて、今はこうしてフィリピンで暮らすことができています。ほとんどフィリピンの転職事情を知らなかったので、がむしゃらにやってみましたが、思ったより簡単にオファーをいただくことができて人生本当にどうにかなるものだなと思いました。マニラではなくセブを選んだのは、完全にイメージによるものです。どうせフィリピンに行くなら海が近い方がいいかなというのと、セブはマニラと比べれば比較的涼しいと聞いていたので、セブを選びました。結果的にはここでの生活に満足しています。街の発展具合は、広島や仙台を少し小さくしたくらいでしょうか。中心部にはビルが立ち並んでいますがそこまで広くなく、コンパクトな街という印象です。それでも人口は多く、都市圏全体では285万人が住んでいます。きっと記録に含まれていない子供たちの数もたくさんいると思うので、実際にはもっと人が住んでいる可能性があります。
セブ島は世界有数のリゾート地として知られていますが、実際に皆が思い浮かべるリゾートがあるのは、セブ島ではなくお隣のマクタン島と呼ばれる島です。このマクタン島は、マクタン島の戦いで世界周航中のマゼランが、当時の領主ラプ=ラプに殺された場所としても知られています。マクタン島のビーチまではセブ市内からだいたい車で40〜50分ほどなのですが、私はほとんど行くことはありません。基本的には自分の住むコンドミニアムと職場、教会を行き来する生活をしています。
フィリピンでの教会生活
フィリピンは、アジアでほぼ唯一のキリスト教国として知られています(実際には東ティモールもキリスト教国)。国民の8割がカトリック、1割がプロテスタント、残り1割が他宗教というような構成になっています。スペイン植民地時代の影響から、どうしてもカトリックのイメージが強いフィリピンですが、実際には10%もプロテスタントの人々がいるので、人口にすると1000万人超となります。だいたい東京の人口と同じくらいのプロテスタントが住んでいるのです。
現在、私はLiving Word I.T. Park という教会に通っています。2か月ほど前に、Covenant Member と呼ばれる教会員にもなりました。福音派の単立教会で、雰囲気はアメリカで通っていた教会ともやはり少し近いものを感じます。ただアメリカ時代の教会のほうがよりカジュアルだったと思います。その教会では、牧師を含めて非常にラフな格好をしていたと記憶していますし、説教中に「ハレルヤ!」「アーメン!」などの声が上がることも多かったです。それに比べると、今通っているフィリピンの教会は、讃美歌ではなくワーシップソングを歌うものの、全体的な雰囲気は少し控えめでフォーマルな印象があります。男性は襟付きのシャツを着ている人が多くて、女性もカジュアル目のドレスなどを着ている人が多いです。丸首のTシャツを着ている人は多少いますが、短パンやサンダルを着用している人はほとんどいません。これは私の個人的な考察ですが、フィリピンはここ10〜20年ほどでかなり豊かになったといっても、まだ経済格差が存在しており、経済力による階級意識のようなものが存在しているような気がします。襟付きシャツや長袖の服、サンダルでない靴などは、そういった階級意識と少し紐づいている印象があります。私の通っている教会は、最も発展しているビジネス街のなかにあるので、比較的ハイクラスな人が多く通っており、そのような身なりの人が多いのではないかなと思われます。
教会では英語による礼拝を3回と現地語であるビサヤ語による礼拝を1回、週末に行っております。私はビサヤ語は勉強中でまだほとんど分からないので、英語の礼拝に参加しております。英語の礼拝ということなので、フィリピン人はほとんどおらず、外国人だらけなのだろうと想像していたのですが、嬉しいことに参加している9割以上が地元のフィリピン人たちで、残りはアメリカ人という感じでした。どうやらフィリピン人たちにとって、キリスト教を学ぶときに使う言語というのは、英語がスタンダードのようです(もちろんその人の所属する社会集団にもよるかと思いますが)。英語で聖書を読み、英語の礼拝に出席する。それが彼らの日常です。ただ普段話す言語はビサヤ語なので、聖書研究など、自分の意見を言う場面だとビサヤ語を使う人も多いです。これはキリスト教に限らずですが、母語であるビサヤ語のコンテンツが限られているので、彼らは普段から英語のコンテンツ(YouTube、Netflix、TikTok 等)に触れており、何かをインプットする際は英語を使うのが当たり前になっているように感じます。一方で彼らが普段触れ合う人々は、地元の友達だったりするわけで、その人たちとはビサヤ語で会話するわけです。なので彼らは非常に英語のリスニングスキルが高いように思われます。スピーキングは人にもよりますが、セブの人々は総じてレベルが高いです。似たような現象で言えば、日本の地方の人々が標準語のリスニングは問題なくできるけれど、喋ると地元の方言や訛りが出てきてしまうのと似ているかなと思います。
マイノリティなプロテスタント
これはフィリピン固有の現象で非常に面白いと思っているのは、プロテスタントがマイノリティであり、カトリックとの間の意見の相違が強調されることが多いということです。カトリックが聖書だけでなく教会の伝統を信じていることや、マリア信仰などがよく批判されます。カトリックのすべてが間違っているというようなことまでは言わないのですが、自分たちの方がより正しいというような態度を感じます。日本ではそもそもキリスト教の人口が少なすぎるので、どちらかというとカトリックとプロテスタントが手を取り合っている印象があります。共同訳の聖書などはそれの典型的な例として挙げられるかと思います。アメリカにいた頃、私の周囲ではカトリックとプロテスタントは別の宗教のような雰囲気でしたが、普段互いを意識することはあまりなく、プロテスタント側がカトリックを激しく批判する様子はあまり見られませんでした。なので、これはカトリックが圧倒的マジョリティであるフィリピンに固有の現象のように思っています。
最後に
今回は、フィリピンに来るまでの背景、セブでの暮らし、教会生活などについて書きました。フィリピンと日本は大変近く、飛行機で4時間半ほどで移動できるので、年に2、3回は日本に帰る予定でおります。修養会等のタイミングで帰国が叶い、皆様とまたお会いできたら嬉しいです。またセブに来られる際は、ぜひともお知らせください。