巻頭言

暗き世に、光を!  飯島 信

「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、

われわれの不義のために砕かれたのだ

彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、

その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」(イザヤ書53章5節)

2025年の年が明けた。共助会創立106年のこの時、深い闇が私たちを包んでいる。世において、これほどの混迷と底知れぬ不安が迫るのを感じながら新しい年を迎えるのは初めてのように思う。先の大戦前夜も、人々はこのような思いであったのだろうか。

戦火は止まず、紛争が相次ぎ、止まることを知らない。訪れた韓国でも、日本に帰国してわずか1週間後、戒厳令をめぐる政情不安によって政治が機能不全に陥った。それだけではない。より安住の地を求めて故郷を去った難民は約1億2、000万に及び、水さえも手に入れることが容易ではない難民キャンプにてこの厳しい冬を越す。

このような現実を前に、何よりもまず己のなすべき責務を果たしたいと思う。日々の生活に、より一層の緊張を覚えつつ、祈り、今日という時、神に与えられた命を生きたいと思う。共助会に即して言えば、その使命の再確認の時が訪れている。神は、なぜ、この群れを必要とされたのか。そして今、小さき群れに何をせよと命じておられるのかと。

共助会の使命とは何か。それは、友が負っている人生の課題を知り、分かち合うことを通して、キリストに在る交わりをより確かなものにすることである。一例を挙げれば、ミャンマーで起きている試練の重荷を背負い続けている友がいる。雪深い地で、福音の種を蒔き続けている友がいる。困難な環境に生きる者を訪ね、希望を届けている友がいる。その一方、共助会に連なる韓日の友との間で、新たな架け橋が生まれる時が訪れている。世界が混迷の度合いを深めれば深めるほど、国内外に起きている問題に常に心開かれた者でありたいと願うのである。

 冒頭に掲げた聖句は、苦難の僕しもべの歌である。僕しもべは、神への背信の罪の故に、亡国の悲哀と絶望の中を捕囚の地へと向かう同胞と歩みを共にした。神の審きを一人背負いながらである。私たちの小さき群れを思う。私たちもまた、この僕しもべのように、厳しさの渦中にある人々と歩みを共にすることが出来るだろうかと。

 神の導かれる道を拒まず、その道を歩み通す1年でありたいと願うのである。

(日本基督教団 小高伝道所・浪江伝道所牧師)