寄稿

節目のときに K・T

大学に7年もいた。学部の4年と修士の3年。修士の2年目は休学をしていたとはいえ、大学に小学校よりも長くいてしまった。おどろいている。とてもありがたい。

修士論文の題は「基督教独立学園高等学校の『ひき出す』教育をめぐる一考察 −森 有正の『経験』の思想に照らして」にした。学部の卒論は「基督教独立学園高等学校の『キリスト教的独立』の思想と教育」と題して執筆したのだが、修論ではそこで書ききれなかったことを書いた。

基督教独立学園は、山形県の小国町にある小さな全寮制の高校で、わたしの母校だ。大学にいた7年間、母校のことばかりを考えてきた。正確には、母校のことを考えることによって、本当に大切な少しのことに耳を澄まそうとし、言葉で表現しようとした。ずっとそれをしていた。本当に大切なことは、そう多くはなく、とても毅然としている。わたしはその大切なものについて表現したいという欲求がとてつもなく強い。少しの、毅然とした真実にわたしは守られているから。

矛盾するようだが、卒業を目前にしてあまり言葉は出てこない。誰かと話せば出てくるが、ひとり机に向かってもなんだか書けない。ひとつには、就職やら引っ越しやらが頭を占めているからだろうし、もうひとつには、修論で文章を書きすぎて、ちょっとしばらく結構だ、と身体が言っているのかもしれない。しかし5千字程度の原稿をお約束してしまった。そこで少々ずるい手ではあるが、以下に、大学最初の夏(2016年)に書いたことと、大学院最後の夏(2022年)に書いたことを貼りつける。いずれも、いただいてきた奨学金の団体に提出したものだ。

「大好きな畜産」

中学3年生。高校どうしよう、と考えていた。仲の良い友達も、そうでない人も、多くの同級生たちが塾に通い、模試を受け、志望校について語り合う毎日を過ごしていた。私は「良い」職に就くために、「良い」大学に入るために、「良い」高校に入るための「受験勉強」というものに、ものすごい嫌悪を感じていた。通過点にしかすぎない高校に入るために、勉強をする?とんでもない! と。高校での学びこそが私にとっての目的でありたかった。これは今だから言葉にすることができるが、当時の私は「高校に入るために勉強するなんて、私には絶対にできないー!!」と強く感じていただけだった。高校受験、受験勉強というものに恐れと嫌悪を抱いていた私は「やりたいことがあったら、弟子入りもいいな~」など口ではいろんなことを言っていたが、中学3年生、弟子入りするほどやりたいことなど見つかるはずもなかった。だから、大口を叩きつつ内心では高校生にはなるのだろうと思っていた。

しかし、自分の住む近くには行きたい高校など一つもなかった。いや、どんな高校が近くにあるのかすらわかっていなかった。オープンスクールも中2のころ友達に誘われて1校行ったきり、中3では全く行かなかった(後になって、母が一人でいくつかの高校の説明会に参加してくれていたと知った)。そんなある日、一つ年上の友達が山形の山奥の、全寮制の高校に入学していたらしいことを知った。母は「すっごく小さなとっても変わった学校」に興味をもったようで、夏休みに、誰でも参加できる2泊3日のプログラムに参加した。それが、私と基督教独立学園の出会いだった。目の前を川が流れる女子寮で、私は3年間生活させてもらった。美しい自然と、あったかい人たちのなかで3年間生活させてもらった。本当に学園に入学が許されてよかったと、本当にありがたかったと思っている。思い出を少しここに書かせていただこうと思います。

まずは畜産部について。学園は普通科の高等学校だが、牛10数頭、豚2匹、鶏が何十羽かいる。畜産部はA班とB班があり隔週で作業をする。「中」という作業は糞出し、搾乳、餌やり、炊事場まで牛乳の配達をする。搾乳は、本当に楽しかった。牛によって乳房の長さや柔らかさが違い、搾りやすかったり、少し難しかったりする。搾り終わるとバケツの重さを測り、乳量を表に記入する。前日より多く出ていると嬉しくなる。学園の牛たちは痩せている。なぜなら餌は、そのほとんどを畜産部が近くで刈ってくる雑草でまかなっているからだ。草刈りも本当に好きだった。大鎌、中鎌、手鎌。リヤカーに後輩を乗せて走って草刈りの場所まで行き、帰りは山盛りの草が落ちないようフォークをさして、みんなでリヤカーを押す。畜産部の先生の運転するトラックに乗り込み、少し遠くまで刈りに行く、「トラ草」もお気に入りだった。なぜなら汗を流した後に、トラックの開いた窓から入ってくる風が心地よく、山や川や空が、この上なくきれいだから。6月には「全校草刈り」があった。畜産部だけでなく、全生徒、全教職員で行く、草刈り。お昼はみんなでお弁当。あとはひたすら、一日中草刈り。山になった草をトラックに積み、学園まで運ぶ。サイロに詰めるのは畜産部の仕事。冬にはサイロから醗酵したなんともいえない匂いの草を出し、牛たちにあげる。畜産部の仕事として、他には薪割り、丸太切り、粉挽き、薪積み、除雪などがあった。それから、忘れられないのは、夏場の放牧だ。裏山や、河原に牛たちを放し、遠くに行き過ぎないように見張る。晴れた日は本当に気持ちいい。空が青い。最高の時間だった。それからもうひとつ。冬の丸太

運び。裏山で先生がチェーンソーで木を倒し、丸太にする。それをスノーダンプに乗せて畜舎のそばまで運んでくる作業だ。何しろ雪が3メートル程も積もるようなところなので、スノーダンプの丸太と一緒に自分たちも滑り降りる。同期や後輩ときゃあきゃあ騒ぎながらやった。作業用のかっぱは3年間でボロボロになった。

他にも学園での思い出は数えきれないほどある。もっと書こうかと思っていたが、1600字を大きく上回ってしまっている。ごめんなさい。今は東京で、頑張りたいと思う。

「宙ぶらりんな知恵」

断言することから、遠ざかっていく。学問や思索のよさは、そこにあるのではないか。ぼんやりと思ってきたことを、2022年度の春にまた感じたので、そのことを書きたいと思う。

今年度は、一年ぶりに大学院に戻った。春学期に履修した授業のうちの一つは、「日本思想史」で、江戸時代に日本にいた人々の文章などを読んだ。哲学・宗教学を専攻しているわたしにとっては、歴史学専攻の学生や教授が文献についてくり広げる議論が、新鮮でおもしろかった。とにかく、言われたこと、読んだことを素直に受け取らない。その文献なり議論なりが無意識に前提としてしまっているものを、必ずと言ってよいほど指摘する。

たったひとつの授業ではあったが、歴史学の好感度が上がった。好きになったのは、とにかく想像力を膨らまし、とことん批判的に問い続けるところだ。「そんなに疑ったり、資料にケチをつけたりしていたら、もう確定的なことは何も言えなくなっちゃうじゃないか」と、よく議論を聞きながら思った。そして、そこがいい。それでこそ学問かもしれないと思った。誠実に学べば学ぶほど、「もう何も言い切れないじゃないか」という場所へ人をつれて行ってくれる。

そういえば、分野を問わずその道の専門家は、「〇〇とは、〇〇である」という断言に慎重であるし、たいていの場合、そういう安易な言葉をそれとなくたしなめたり、補ったりする(ような気がしている)。「でもここから見ると、違って見えるんですよ」「問い方を変えるだけで、こんな分析もあり得るんですよ」「だいたいおっしゃる通りですが、例外もあって、この例外がまた重要でね……」といった具合に。

ほんとうのことは、ほとんどの場合、断言から遠ざかった場所にあると思う。ほんとうのことは往々にして、歯切れの悪さや、ひるみと近しい。ほんとうを目指したら、言い淀むわ、優柔不断になるわ、なんだか煮え切らない。そして、それがいい。なぜなら、断言から遠かった分だけ、誰かを・何かを断罪することから遠ざかっていられるから。そして断罪から遠いことは、暴力から遠いこと。

ネガティブ・ケイパビリティという言葉がある(『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』という本もあり、大好きな一冊だ)。わかりやすくスッキリする答えに飛びつくのではなく、わからなさに留まり続ける力。「宙ぶらりん」に耐える力。ああでもない、こうでもない。でも、だからこそ、より確からしいものを探し続けねばならない。育むべき知性は、こういうものではないかとわたしは思う。問いの前に、佇むこと。

問いの前に佇む力を大切に思う社会であったらいいのにと思う。論破したり、吟味することもなく「正しさ」を振りかざしたり、迷うことなく特定の人たちを攻撃したり……。そんなことよりも、問いを前に、じっと考えていたり、そっと話し合っていたり、途方に暮れていたり、それでも何かを願っていたり……。そんな人たちを育む社会であったらいいのにと思う。そのために自分は、何ができるのだろう。「教育ってなんだろう」それがわたしの修士論文のひとつのテーマだ。

わたしは人間らしく生きていたい。ああでもない、こうでもないと考えていたい。それでもきっとある、よりよいことを探しつづけていたい。あらゆることについて即時的な判断を避け、一過性の気持ちの高まりには注意して、しなやかに悩みつづけたい。端的な定義や断言を保留にしつづけ、保留中なのだからあたりまえに、異論に耳を貸したい。

断言することから、遠ざかっていく。その道は平和の方を向いていると思う。思い巡らしている間は、答えを決めきってしまう前は、少なくとも、暴力しないから。もちろん依然として、日々は小さな、稀に大きな決断の連続だ。だからこそ、煮え切らない宙ぶらりんで、同じように宙ぶらりんな誰かと、困ったねえ、と笑い合って一緒に優しくなりたい。


「大好きな畜産」は大学1年のわたしが、「宙ぶらりんな知恵」は修士2年のわたしが、書いたものだ。どうでもいいことだが、前者の方が文章はイキイキしている。ついこの間まで雪にまみれて作業をしていた7年前のわたしが、少しうらやましい。でも、大学での日々があって本当によかった。すなおであることを、できるだけ率直であることを、大切にしてくることができたから。人に対してすなおでありたかったという高校卒業時の後悔を、きちんと後悔して出発した大学生活だった。高校生のわたしは、とくに自分の弱いところ、痛いところについて、本当はそのまま誰かに伝えてみたかった。大学生を経たわたしは、人に対しては少々すなおになり、自分に対してはそれよりも多く、すなおになったと思う。少なくとも、自分の内側には情けない現状が広がっていることを知っている。それを小出しにすることもできる。いま、怒りも嫉妬も甘ったれた思いも、自分の重要な部分だと思える。虚しさも悲しみも、心のやわらかいところに触れるヒントだ。人とつながりたいのは、わたしのそういう部分だ。とりわけ人のみっともなさについてたくさん考えた、7年間の学びのときに感謝する。

修士論文を書いて、神学者エーミル・ブルンナー氏のある言葉がとても心に残った。それは「贈られたる決断」という言葉だ。信仰は、「贈られたる決断」なのだという。能動的なのか受動的なのかわからない。だが、すっと腑に落ちる。わたしが生きていることを観察したって、それまた能動的なのか受動的なのかわからない。当然のように自分が生きているつもりでいるけれど、呼吸の仕方も内臓の動かし方も、まったくわからないのである。

今、願うように信じていることがある。たぶん、基督教独立学園と国際基督教大学に学んだ10年ほどで出会ったのは、わたしに贈られた信じる心です。言葉によりは涙になる、願いのような祈りのような、信じる思いです。

願うように信じて生きたいと、わたしはなんども思い定める。願いをわかちあってくれる人たちに、願いの贈り主に、ありがとうを言って生きていたいと思う。そして、実現不可能に思えることも願いつづけると決めよう。平和がいいから。優しい世界がいいから。わたしがそうありたいから。どうか小さくても、いろんな人たちにもらってきたものを、わたしも誰かにお裾分けしていくことができますように。        (会社員)