寄稿

ヘブル書を読むために《後編》川田 殖

ヘブル書を読むために《前編》はこちら

〈四〉

それ以後のローマ歴史にも注目すべきことは多いが、ここではこれまでにして、この時代のローマ・キリスト者の状態をみておこう。先にふれたディアスポラのユダヤ人がヘレニズム・ローマ世界に広がったのはアレクサンドロス大王以来であるが、ローマ帝政期初期にはローマを中心とするイタリアにも多く在住し、多くのシナゴーグができていたことは疑いない。ステパノ以後の各地に散在したキリスト者ユダヤ人がそこに入り、やがてかなりの数になり、そこで問題を起こしたらしいことは先にふれたクラウディウス帝のユダヤ人(実はキリスト者)追放(49)からも察せられる。帝の死後彼らはローマに帰り別の集団を作っていたことは、パウロが「ロマ書」を送った(56)こと、また皇帝(ネロ)に上訴し、ローマに到着(59)したことからも明らかである。パウロはそこで殉教するが、ペテロがローマに来てローマの信徒たちに会ったのはおそらくその後、もしかしたら彼の助手として一緒に来たマルコにも出会い、やがてその手になる「マルコ福音書」(70年ごろ)も読んだのではないか。(イエスが)「肉体にていまししとき、大いなる叫びと涙をもって、おのれを死より救いうる者(神)に祈りと願いをささげ。云々」(へブル5:7)と記すヘブル書の記者の文章をよむとき、マルコの記すゲツセマネの夜の祈り(14:32―36)や最後の叫び( 15:34)を思い出させる。彼らはすでにネロの迫害を知っており、やがてはふたたび襲いくる迫害の近きを感じ、ある者は動揺し、ある者は信仰から離れようとさえする気配を感じさせる。へブル書の著者はこのような人たちに向って、いくどかなされた説教をここに集めたのではあるまいか(あるいは編者は別の人かもしれない)。

だとすれば、へブル書の構成は次のように考えることができるのではないか。

序論 神の語りかけ 1:1 ― 4(*釈義 〇勧め)

第1説教
 (1)御子は天使にまさる * 1:5 ― 14
 (2)大いなる救いを重んぜよ 〇 2:1 ― 4
 (3)大いなる救いの創始者 * 2:5 ―18

第2説教
 (1)イエスはモーセにまさる * 3:1 ― 6
 (2)神の安息の約束 〇 3:7 ― 4:13

第3説教
 (1)偉大なる大祭司イエス 〇* 4:14― 5:10
 (2)背信への警告〇 5:11― 6:12
 (3)神の約束の確かさ * 6:13―20

第4説教
 (1)メルキゼデク的祭司職 * 7:1 ― 8:6
 (2)旧い契約と新しい契約 * 8:7 ―10:18
 (3)告白を守り恵みの座に立て 〇 10:19―31

第5説教
 (1)信仰による生命の確保 〇 10:32―39
 (2)信仰の先達たち(例証)* 11:1 ―40
 (3)主による訓練(試練)〇 12:1 ―29
結論 キリスト者として生きよ 〇 13:1 ―21
手紙としてのむすび 13:22―25

以上5つの説教に分けたが、これらを1と2、3と4をひとつにまとめ、3つの説教とすることもできるだろう。そうすれば、次のように理解することができる。

へブル書は大きく3つの部分に分けることが適切である。

Ⅰ 1:1 ― 4:13

天使たちやモーセよりもまさった御子イエス・キリストにおける神の言葉に聞き従おう。この部分の主題は、1:1、2と4:12、13により、〈神の語りかけ〉であることが明らかである。それが2:1 ― 4と3:1 ― 4:13の勧告において、神の言葉への聴従という形で述べられる。

Ⅱ 4:14―10:31

天の至聖所に近づき告白を堅く保とう。この部分は3つの勧告(4:14―16、5:11― 6:12、10:18―31)と、ふたつの教理的部分(5:1 ―10、6:13―10:18)から成っている。この部分の主題は、4:14―16および10:19―31に示されている。今や救いの宣教を聞き、これに従うのみならず告白を固く守り、恵みの御座に近づくことが、勧められている。

Ⅲ 10:32―13:17

忍耐して信仰の源であり完成者であるイエス・キリストに従おう。

〈五〉

しかしここで今の私たちには疑問がのこる。キリスト教の基本である信仰告白や聖礼典(洗礼・聖餐)のほかに、なぜ、天使やモーセ、さらには祭司などをキリストと比較してキリストの優越性を強調しなければならないのか(6:1 ―21)。それを知るためにはまた三つのキーワード、天使、モーセ、祭司についての基本を確認しておかなければならないだろう。

まず「天使」については、へブル語の〈マルアーク〉、ギリシア語の〈アンゲロス〉はともに〈使者〉の意味で、その職分を示している。天使は創り主である神の権威をもつと信じられ、その出現はしばしば神自身の現臨と区別しがたい。その働きは、神の意志を伝えあるいは行うことで、人間を保護し、指導し、刑罰を与える(創19:1、出3:2)

天使は新約の時代にも一般に信じられており、イエスの教えの中にも現れている(マコ8:38、ルカ15:10)。イエスの生涯の記述にも天使の出現は多い。母マリヤに(ルカ1: 26 ―38)、ヨセフに(マタ1:20)、羊飼いに(ルカ2:9 ―15)等、また天使は〈荒野の試み〉の後にイエスに仕え(マタ4:11)、ゲツセマネの祈りの時もイエスを支え助けている(ルカ22:43)。

天使は普通汚れのない存在と考えられたが、恵みから堕ちて悪魔となることもありえた。堕ちた天使にも種々あり、「支配、権威、権力、権勢」などの「空中の権をもつ君」として人間の世界の上に力を振るうと信じられた(エペ1:21、2:2)。しかしキリストは、これらの一切の「霊力」、「闇の力」の上に君臨するかしらとなり、人間をそれらの支配力から解放して、ご自身の愛の中に移してくださったのである(ガラ4:9、コロ1:13、2:10、20)元来は神の使いである天使が、神に反逆すれば悪魔悪霊となり、他方その力が天体に移れば星占い、天体の神格化になる。これはアッシリア、バビロニアで盛んであった天体崇拝で、それは新約聖書でも知られていた(コロ2:8 ―10)ばかりかロマ書(8:38、39)にも別の名前で登場している。このことは、ローマの信徒たちには周知のことだったろう。

モーセそのひとについては、あらためていうまでもないが(参 新教出版社 聖書辞典)、ここでは彼は律法を天使の手を経て神より与えられ、それをまとめ上げた「モーセ五書」(トーラー)の著者としてユダヤ教の最高権威であったことを心にとどめたい。

「祭司」については、祭司は、民と神との仲介者である。つまり民のために民にかわって神に仕え、祭儀を行う公職であり、神と人との仲立ちの役目を持っており、特別な階級を構成していた(創47:22、出2:16、サム上6:2、使14:13)。族長時代には、族長たちが家族や部族を代表して、祭司の機能を果たしていた(創8:20、ヨブ1:5)。

祭司の主たる職務は、主の前にある聖所と祭壇とに仕えること(民17:5、18:5)、神の律法を民に教えること(代下15:3、エレ18 :18、エゼ7:26、ミカ3:11)、民のために神のみ心を問うこと(出28 :30、サム上23:6 ―12)である。この外にも、訴えを聞くこと、戦争の時には角笛を吹き鳴らし契約の箱をかつぐことなどがあった。

イスラエルは、神から「祭司の国となるであろう」(出19:6)と示された。これは世界の諸民族にかわり、彼らを代表して神の前に立ち、諸民族のために祈願する国という意味である。新約では、教会が新しいイスラエルであり、また王であるとされている(Ⅰペテ2:9、黙1:6、5: 10 )。またサレム王メルキゼデクは祭司にして王であるものの典型とされ(創14:18)、来たるべきメシアは、このようなものだと考えられていた(詩110:4、ヘブ7:17)。イエスはメルキゼデクに等しい大祭司ととなえられた(ヘブ5:10)とあるのはこのためである。ここでのポイントは祭司が神と人との仲介者として民に代って神に仕え、儀式を行ない、犠牲(供え物)をささげる公職であるということにある。これは古代オリントでも、ギリシアでも、ローマでも昔からあったもので、その根底には人間には過ちや罪があり、それはそのままでは神の前に許されないという自己認識があったことを示している。

〈六〉

「征服されたギリシアはその荒々しい勝利者(ローマ)を(文化によって)征服した。(Graeca capta ferum victorem cepit)」 という言葉があるが(ホラティウス『書簡』2・1・156)、それは宗教の面でもあてはまる。否、この面では、それ以前にオリエントがギリシアを征服したといっていい。かのアレクサンドロス大王が始めたオリエントのヘレニズム化は逆にギリシア宗教のオリエント化をもたらした。当然ローマ宗教はオリエントの影響を強く受けたのである。

たとえば使19章にでてくるアルテミス女神は元来ギリシア神話ではゼウスの娘で、狩りを好む処女神であったが、出産を守る神でもあったことから、アジアでは豊穣の女神キュベーレ(母なる大地神)と混交して、エペソをはじめ各地で崇拝され、ローマに入ると月の女神ダイアナと混交し原型をとどめなくなった(参 新教辞典34)。

ギリシアもローマも多神教であったが、両者はブレンドしてたとえば、ゼウスとユピテルが合体してローマの最高神となった。このような混交は他にもいろいろ行われた。(参 オウィディウス『転身譜』岩波文庫)

この他、エジプト産のオシリス、イシス両神の信仰が、ギリシアに入り、そこのデーメテール(農業女神)の信仰と合体してエレウシスにおける再生の密儀宗教となり、やがてローマに入る。同様のことが有名なディオニュソス・ザグレウス(引き裂かれたディオニュソス)を中心とするオルフェウス教にもある。これは罪のきよめと輪廻転生をテーマとする密儀宗教で没我体験をふくみ、キリスト教との対照は興味あるテーマである。

さらにシリアの太陽神はローマでイランの光神ミトラと合体し、ミトラは生命を与える軍神となり、ローマの軍団に入り、小アジア、ゲルマニア、ガリア、ブリタニアまで広がった。その他のご利益宗教、聖霊(悪霊)信仰、加持祈祷など民間で行われた伝統的また新興宗教的集団の類(呪術 magic)は無数といっていいほどであった。

ローマの政治はこれらの宗教現象には概して寛容で治安を乱されぬかぎり、あまり関与しなかったが(例 使18:12―16)、皇帝礼拝については事情は別であった。権力者が神格化されるオリエントの影響を受けて、かのアレクサンドロス大王が神格化されたように、ローマでも皇帝の神殿が建設され、皇帝礼拝の形で権力に従うことが強要された。これに従わぬものは帝国の権威に逆らう者として迫害・処罰され、時には死刑にされた。ユダヤ教だけは特別視されていたが、その分派とされていたキリスト教が独立するとこの規程の対象となり、場合によっては生命がけの態度決定が要求された。ヘレニズム・ローマ期の哲学について、くわしく記す余裕はないが、(参 ロング『ヘレニズム哲学』金山弥平訳、京大出版会)、ソクラテス、プラトン、アリストテレスで絶頂に達した古代ギリシア哲学は都市国家の衰退に伴って、その勢力を失い、学派として続いたが幾多の変遷を経た。(プラトンのアカデメイアは529年、東ローマ帝国皇帝ユスティアヌスによって閉鎖された。)

使17:18に出てくる哲学は、エピクロス派とストア派の哲学で、前者は快楽主義、後者は禁欲主義として対比されるが、古代ギリシア哲学とは大いに異なるものであった。

「エピクロス派」は、ギリシア哲学の一派、アテネのエピクロス(前341―270)を祖とし、個人の感覚的快楽を最高善となし、幸福の実際的探求に従った。しかし真の快楽は〈安静な心〉の状態にあるとして、欲望の抑制の必要なことを唱えた。けれども要するに、この派は学問も徳もすべては快楽を求めるための手段と考え、禁欲的倫理をとったストア派と対立したが、アテネのアレオパゴスの評議所で、パウロの考えに対しては、両者いずれも反対的態度をとった(使17:18)。

「ストア派」は、ギリシア哲学の一派。ゼノン(前332―262年?)によって創始され、アテネのストア(廊)で教えを説いたためにこの名を得た。その中心思想は、〈自然にかなって生きること〉であった。彼らは理性の優越を強調し、理性に基づく徳を最高善としたために、情操的要素が抑制され、厳格主義、禁欲主義の道徳をその特長とした。パウロはアテネでこの派の人と出会ったが(使17:18)、その演説の中で、人間は神のうちに生き、その子孫である旨の詩句を引用している(使17:28)。これはストア派の考えに即した引用である。彼らはしばしばキリスト教思想に類似した表現用語を用いた。けれどもストア派の神学は汎神論で、彼らのいわゆる〈神〉は自然に対する独立的、もしくは人格的な存在ではなかった。彼らがエピクロス派の人々よりも、キリスト教に協力するかのように見えたのは、その厳粛な道徳性のゆえであった。

ちなみにエピクロスはサモス島で育ち、ストア派の創始者ゼノンは、キプロス島生まれ、クレアンテスはアソス島、クリュシッポスはタルソ、ポセイドニオスはシリア、いずれも小アジアとその近傍の出身、彼らは故国を離れて、アテネで学校を開いた。その後の、セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウスはローマ人、彼らの関心はいずれも古典期の国家や自然から道徳や人生論へと移り、時に宗教の代用品となることもあった。

〈七〉

へブル書を以上のような時代と場所において見るとき、私たちの心に浮かんでくるものは何だろうか。それは世界の果てしない広がりの中で、一見平和で便利そうに見える生活が実は途方もない不安と不確かさのうちに、ときには恐怖のうちに置かれているという、人びとの魂の状態である。「ローマの平和」というものの実態は、魂の不安と葛藤のうちに置かれ、ほんとうの自由も平等も、皇帝とその側近においてさえ、なかった時代である。ローマ皇帝時代における「パンとサーカス」によって人心を収攬(しゅうらん)する政策は、国民の不満と暴動を回避しようとするばらまき的悪あがきだったとさえ思えてくる。その中で人びとが意識・無意識のうちに求める心の平安と自由解放は、気晴らしや娯楽でなければ、迷信的な自己忘失の神秘宗教とその儀式、没我的密儀宗教であった。時には知性や理性を全面に出して悟りの境地と称し、万事を「自然」にまかせる生き方が哲学の名において流行したが、その実態は「静かなあきらめ(絶望)」に終ることが少なくなかった。好奇心だけでは心のまことの平安も、また恐怖からの自由も得られないことを示している。他に責任を転嫁し、不満をぶちまけて、自己疲労に終るだけの生活が社会の各面に見られることは、当時の文献が語ることでもある。このような社会でまことの希望と信頼に満ちた生活はどこにあるのか。

このような時代に生きた人びとから見ると、イエスとその復活はひとつの新興宗教(新しい教え、奇妙なこと、異教の神々の宣伝。使17:18―20)にすぎなかった。おそらくそれから二、三十年前にパレスチナの一角ガリラヤの地で、多くの群衆、中には貧と病と圧迫の中に打ちひしがれた人びと(罪びと、遊び女、取税人)の中で、「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信ぜよ。」と語り、力あるわざ(奇跡)を行ったイエス。当時の宗教体制を危険に陥れる危険人物として(実は妬みと不安により)宗教指導者たちの反感のうちに十字架にかけられたイエス。そのイエスの死後、復活した主にまみえたという霊性的できごとの中で新生を体験し、失望と罪責意識の中から立ち上がった少数者の爆裂的エネルギーは殉教者を産み出し、それがいっそうの伝道意欲となって、ヘレニズム・ローマ世界に進出、伝道させた消息を使徒言行録は伝えている。そこには幾多の試練の中での大いなる救いに信頼を希望をもって、嘲笑と迫害、毛嫌いと無関心を喜んで忍び耐えつつ、愛の業に励む群れを産み出した事実が対置されている。〝十字架のことば〟とパウロが表現した福音はギリシアびとには愚かであり、ユダヤ人には躓きであっても、それに心を開き、全人格的応答をする者にとっては、神の力、神の知恵であることを、へブル書はその精神を受けつぎつつ、パウロがあえて説かなかった別の宗教的側面、つまり祭儀の省察から「大いなる救い」の意義と力を示し、不安と恐れの時代の中で、信徒をいましめ、励ましているのではないか。

おそらくこのへブル書が読まれた場所は、ローマのシナゴーグに似た集会の方式で、(旧約)聖書が礼拝や学びの際に用いられた集団(教会)であろう。当惑するほど頻繁にでてくる聖書の釈義は、よく検討してみると、福音の証しとしての釈義であり、もとユダヤ教のものでありながら、ユダヤ教を超えている。律法に根ざしながら、律法を超えている(新しい契約)。いかなる犠牲にもまさる地上を生きた神の子イエスの激しい叫びを鮮やかに聞きながら、おのれの肉を裂き、血を流す唯一の犠牲(パウロにいわせれば「主イエス・キリストにおける神の愛」ロマ8:39)がここにくり返しくり返し明示されている。これこそまさに福音理解のへブル書的展開というべきではないか。私たちはここにキリスト者としての旧約聖書の読み方を教えられる(その当時のミドラーシュ(学問)的方法を字義通りくり返す必要はないにしても)。

以上見てきたところに一片の真相にふれるものがあるとしたら、へブル書がこんにちの私たちに語ることはもはや明らかであろう。性懲りもなく人間の内に巣食う自我意識過剰からくる不安・不満(こんにちのニヒリズム・無神論と称するものもそのひとつ)からの脱出はどこにあり、またまことの和解・平和の道がどこにあるかを、それはこんにちの私たちに指し示す。ここに示された試練の中での「大いなる救い」こそ、こんにちの私たちのそして世界の希望である。「イエス・キリストは昨日も今日も、永遠に変わることなし」(ヘブ12:8)。これを日ごとに心に刻み、愛のわざに励みつつ、主の再臨を待ち望み「今日」という日々を生きること。これがそのままひとつの証し(殉教)ではないか。

以上は私なりの一応の中間報告とし、なお残る多くの問題は― 前提をも含めた検討課題の余地を含む ― 開放体系として、祈りつつヘブル書を共に学びたい。

2023年6月

《追記》

以上の一文は、昨年(2023年8月)、「佐久学舎聖書研究会」で取り上げたヘブル書を読むための口開きで、研究報告でも釈義でもない。

ただ、参加者がさらに学びを深めるための幾つかの着眼点の指摘に過ぎない。そのため新教出版社『新共同訳 聖書辞典』の一部を引用したり、ヘレニズム・ローマ史の関係個所を二、三の書から摘記するという安易さとなった。

しかしここで取り上げた「離散のユダヤ人(ディアスポラ)」「会堂」「天使」「祭司」「七十人訳旧約聖書(セプチュアギンタ)」「アレクサンドリア」「弁論術」「哲学的用語」など、さらには恐らく読者が置かれたローマの社会・生活・思想・宗教事情などの基礎知識は、ヘブル書を読むために必要かつ有用であることを知らされた。

中でも当時のローマの状況は、見る目をもって必要な変更を加えれば、そのままこんにちの私たちの世界の状況に重なるものがあり、それがこんにちヘブル書を読む意味を悟らせることにもなると思われる。

まことに不完全な心覚えであるが、これでも無きに勝るとされた編集委員長のご意向に従うことにした。ご諒承を乞う。

2024年1月    (哲学者・日本基督教団 岩村田教会員)