差別されないという権利【ベルギー便り3】 林 香苗
ベルギーは、1960年代には労働力不足を補うため積極的に移民を受け入れていましたが、70年代の不況で失業率が高止まりしてからは移民制限に舵を切りました。私が住むフランダース地域では、90年代から右派政党が台頭し、現在に至
続きを読むベルギーは、1960年代には労働力不足を補うため積極的に移民を受け入れていましたが、70年代の不況で失業率が高止まりしてからは移民制限に舵を切りました。私が住むフランダース地域では、90年代から右派政党が台頭し、現在に至
続きを読む10月1日はお隣り中国の国慶節で、長い休暇に入ります。 といっても抗日戦争勝利なので、多くの人たちは海外旅行、とりわけ日本は近くて安くておもしろいと、旅行に行くことを楽しみにしています。 特に若ものが増えているようで、日
続きを読むコルネリウス・ヤンセンは、17世紀にイーペルという都市の司教だった人です。彼はアウグスティヌスの研究をし、その著作に大きな影響を受けました。ヤンセンによると、善行ではなく神の一方的な恵みのみが人間に救いをもたらします。そ
続きを読む崔秀蓮さんとは1990年2月、日本語学校の個人教授の教室で初めて出会い、京都の小笠原亮一先生を紹介したのがきっかけで共助会のみなさんとの交流が始まりました。韓国で開かれる韓日基督教共助会修練会には毎回参加し案内や通訳など
続きを読む「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていてそこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭くその道も細いことか。それを見出すものは少ない。」 マタイによる福音書7章13節~14節 今日ここに
続きを読む終戦の時私は5歳でした。1965年に『熱河宣教の記録』が発刊され、沢崎良子夫人や父の手記等から、終戦前後の状況を知りえて、感謝しています。 戦争末期、父は聖和女子学院に勤めていたが、『陛下をはじめ全同胞が血みどろになり、
続きを読む満州國黒竜江省チチハル市泰民街15番地偕子 昭和18年8月 満州國黒竜江省チチハル市龍幸区天斉街64番地義子 昭和19年9月 これは、私たち姉妹の住民票に記載された番地です。 私たちの母は、子どもの時代に、兄夫婦を頼って
続きを読む私(87歳)は、今パーキンソン病(指定難病)を患っており、原稿を依頼された時、その任に耐えられるかどうか自信がなかった。例えば文章を書くことが困難であり、文章を書き始めても、小さくヒョロヒョロの字になって、お読みいただく
続きを読む今年の7月からベルギーのウェスト・フランデレン州で暮らし始めました。ベルギー到着後、最初の数日はコルトレイクという都市に滞在しました。そこは、ベギン会という女性キリスト者の共同体が800年以上続いたことで有名な都市です。
続きを読む今年の8月上旬、私はフィリピン中部のレイテ島に赴きました。ある国際NGOの現地プロジェクト視察がその主な理由でしたが、戦後80年の8月にレイテ島に赴くことに特別の意味を感じ、行く前からやや緊張していました。 フィリピン中
続きを読む約1年間のフィンランド留学が遂に終わりを迎えた。立っているだけで汗が出てくるこの日本の暑さは久しぶりだ。早くもバテ気味だが、こちらの方が生きている実感が湧いてきて、明るい気持ちになるのだから笑ってしまう。 私は今年、飯島
続きを読む「じゃあ沖縄にはたくさんの米軍基地があるの?」 ある日、フィリピン人の友人にそう尋ねられた。彼女は日本に何度も訪れているが、沖縄の歴史についてはほとんど知らないようだったので、私は簡単に沖縄の近代史を彼女に伝えた。沖縄は
続きを読むクリスマスの日。町はとても静かだ。フィンランドでは、クリスマスは家族と家で御馳走を食べて過ごすらしく、タンペレではなくヘルシンキ出身の友達は帰省をしている最中だ。私はといえば、クリスマス前までヘルシンキにプチ旅行に行って
続きを読む「僕の祖父がバターン死の行進の被害者なんだ」 同僚の一言に衝撃を受けた。まさかこんな近くに日本の戦争犯罪の被害者の家族がいるだなんて。教科書で名前を習ったくらいだったその戦争加害が、急にリアリティをもって私に迫ってきた。
続きを読むシンガポール便りもいよいよ最終回を迎えました。シンガポールは多民族、多宗教国家として知られているかと思います。実際にここで生活していると、日常的にバスの中でも電車の中でも何語かわからない言葉がたくさん飛び交っています。同
続きを読む