戦後80年 1945年前後の私 和田 健彦
終戦の時私は5歳でした。1965年に『熱河宣教の記録』が発刊され、沢崎良子夫人や父の手記等から、終戦前後の状況を知りえて、感謝しています。 戦争末期、父は聖和女子学院に勤めていたが、『陛下をはじめ全同胞が血みどろになり、
続きを読む終戦の時私は5歳でした。1965年に『熱河宣教の記録』が発刊され、沢崎良子夫人や父の手記等から、終戦前後の状況を知りえて、感謝しています。 戦争末期、父は聖和女子学院に勤めていたが、『陛下をはじめ全同胞が血みどろになり、
続きを読む満州國黒竜江省チチハル市泰民街15番地偕子 昭和18年8月 満州國黒竜江省チチハル市龍幸区天斉街64番地義子 昭和19年9月 これは、私たち姉妹の住民票に記載された番地です。 私たちの母は、子どもの時代に、兄夫婦を頼って
続きを読む私(87歳)は、今パーキンソン病(指定難病)を患っており、原稿を依頼された時、その任に耐えられるかどうか自信がなかった。例えば文章を書くことが困難であり、文章を書き始めても、小さくヒョロヒョロの字になって、お読みいただく
続きを読む今年の7月からベルギーのウェスト・フランデレン州で暮らし始めました。ベルギー到着後、最初の数日はコルトレイクという都市に滞在しました。そこは、ベギン会という女性キリスト者の共同体が800年以上続いたことで有名な都市です。
続きを読む今年の8月上旬、私はフィリピン中部のレイテ島に赴きました。ある国際NGOの現地プロジェクト視察がその主な理由でしたが、戦後80年の8月にレイテ島に赴くことに特別の意味を感じ、行く前からやや緊張していました。 フィリピン中
続きを読む約1年間のフィンランド留学が遂に終わりを迎えた。立っているだけで汗が出てくるこの日本の暑さは久しぶりだ。早くもバテ気味だが、こちらの方が生きている実感が湧いてきて、明るい気持ちになるのだから笑ってしまう。 私は今年、飯島
続きを読む「じゃあ沖縄にはたくさんの米軍基地があるの?」 ある日、フィリピン人の友人にそう尋ねられた。彼女は日本に何度も訪れているが、沖縄の歴史についてはほとんど知らないようだったので、私は簡単に沖縄の近代史を彼女に伝えた。沖縄は
続きを読むクリスマスの日。町はとても静かだ。フィンランドでは、クリスマスは家族と家で御馳走を食べて過ごすらしく、タンペレではなくヘルシンキ出身の友達は帰省をしている最中だ。私はといえば、クリスマス前までヘルシンキにプチ旅行に行って
続きを読む「僕の祖父がバターン死の行進の被害者なんだ」 同僚の一言に衝撃を受けた。まさかこんな近くに日本の戦争犯罪の被害者の家族がいるだなんて。教科書で名前を習ったくらいだったその戦争加害が、急にリアリティをもって私に迫ってきた。
続きを読むシンガポール便りもいよいよ最終回を迎えました。シンガポールは多民族、多宗教国家として知られているかと思います。実際にここで生活していると、日常的にバスの中でも電車の中でも何語かわからない言葉がたくさん飛び交っています。同
続きを読む前々回でシンガポール最初の在住日本人として、ギュッツラフの聖書翻訳にかかわった音吉を紹介しました。 その後、シンガポールに移り住むようになった日本人は、後にからゆきさんと呼ばれる日本人娼婦の女性たちでした。わたしがシンガ
続きを読む日本基督教団東久留米教会・石田真一郎牧師より原稿を依頼され、私が「何故だろう」と思案しておりましたが、恐らく 「東久留米キリスト者九条の会」 を17年もやって来たことを評価してくださったことからでしょう。その会は当時も現
続きを読む共助会の皆様、お久しぶりです。2024年の2月末より、フィリピンのセブに移住しており、こちらに来て7か月ほどが経ちました。今回、飯島先生に頼まれて「フィリピン便り」なるものを執筆することになりました。皆さんがフィリピンに
続きを読むはじめに 「共助」の2024年第5号がいつもより分厚いことに気づきました。不思議に思って手に取り中を見ると、後ろ表紙からが韓国語になっていました。3月の共助会の韓国訪問の詳しい報告が日韓両国語で書かれていました。ちょうど
続きを読むマルコによる福音4・26―34(新共同訳) また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひ
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