存在というプレゼント M.O
青年の夕べ (最終回) 聖 書:詩篇139編:23―24節 この青年の夕べ最終回に感話する機会をいただけて、最初はわたしに!? とすこし驚きました。それでも、奏楽の奉仕をきっかけに参加させていただくようになってから、お
続きを読む青年の夕べ (最終回) 聖 書:詩篇139編:23―24節 この青年の夕べ最終回に感話する機会をいただけて、最初はわたしに!? とすこし驚きました。それでも、奏楽の奉仕をきっかけに参加させていただくようになってから、お
続きを読む普段は、徒歩圏内にあるVerenigde Protestantse Kerk in België(ベルギープロテスタント教会連合)に属している教会の礼拝に出席しています。この連合はベルギー全土の30教会から成り立ってい
続きを読む2025年11月16日、東アジアの若者たちによるトークセッションがオンラインで行われました。 このシンポジウムのきっかけは『1945←2015 若者から若者への手紙』(2015年発行、出版社ころから)という一冊の本で
続きを読む昭和16年(1941年)3月に、生まれ故郷の京都から父の都合で鎌倉に引っ越しました。小学校一年の時です。3月の海岸は人も少なく磯の匂いで一杯でした。4月から鎌倉教会の日曜学校に通い始めました。バス停「材木座」から一人でバ
続きを読む1945年8月5日の夜。 当時7歳(小学校1年生)の私は、前橋市に住んでいて「前橋の空襲」を体験した。夕方から警戒警報のサイレンは鳴り止まず、探照灯(たんしょうとう サーチライト)が何本も空を照らし、不安な思いで一杯だっ
続きを読む1945年、敗戦の年、私は10歳でした。 その一年ほど前、池袋駅の近くにあった生家の店は、強制疎開ということで取り壊され ました。そのころには番頭さんも、そして父も出征していて、母はそれよりずっと前から東村山の保生園(ほ
続きを読む私は、1934(昭和9)年、福島県の阿武隈山地の中程の片曽根(かたそね)村(現田村市)の生れです。今は独立学園の史料整理・環境整備などをしています。今年91歳です。 父は炭屋をしながら早稲田で学び、卒業後は帰郷し28歳で
続きを読む高校2年生で主イエス様に出会い、大学1年生の夏に洗礼を受けました。たくさんの方々と出会わせていただき、神様の恵みをいただいてきました。その歩みの一部をお話しさせていただきます。 1 大学生時代 ⑴ 「埼玉大学聖書研究会」
続きを読む「私たちの存在の一部は、ごく幼いころに棄てられた。完全にみとめられたという気持ちを一度も味わっていない部分である。そこには不安がぎっしりつまっている。」〔ヘンリ・ナウエン『心の奥の愛の声』〕 私は一九四四年(昭和一九年)
続きを読む私は1929年4月生れですので、1945年8月15日は16歳、旧制中学の4年生でした。 ところで、1941年12月8日、日本軍の米ハワイ真珠湾攻撃によって、大平洋戦争が始まり、私は小学校の6年生でした。 翌年1942年4
続きを読む