麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は 川崎和子
使徒言行録18:1~4/ローマ10:14~ 15
この世の人たちが全く罪の自覚がなく、神の救いを必要と感じていなくとも、やがて訪れる神の裁きから逃れられる人はただの一人もいません。そのことを思うと、ただの一人も滅びることを望んでおられない神さまの愛を何としても伝えなければなりません。その務めを神様は先に救われた私たちに託されました。教会に人が来ないのであれば、私たちはどうやって伝えましょうか。出ていくしかありません。教会が地域に出て行く。信徒の一人一人が教会から出て行って、聖書に書かれている神の愛について、イエス・キリストについて、天国の希望について私たちの周りの人々に語るほかありません。
しかし伝道の重要性は分かるけれど、具体的に何をどうしていけばいいんだろうと戸惑うクリスチャンもおられるかもしれません。そんな時、一番わかりやすいのはその道に卓越した人の姿、お手本を見せてもらうことです。ということで初代教会の中から一組の夫婦アキラとプリスキラを取り上げて学びたいと思います。なぜこの二人かと言いますと、沢村五郎先生の著書の中で、この二人が理想の信徒として記されていたからです。この二人について改めて学んでみると、なるほどとの感を強くします。この二人を通して信仰者・信徒として大切と思われる事柄をご一緒に学びたいと思います。
夫の名はアキラ。妻の名がプリスキラ。プリスキラは本名をプリスカと言い、この名前はローマの貴族の間に見られる高貴な名前だそうです。夫アキラはポント生まれの名もないユダヤ人。この夫婦の名は聖書に6回出てきますが、そのうち4回は妻プリスキラの名が先になっています。それは出生の身分の高さによるのではないかと言われています。出身国も身分も違う二人がどうして出会って結婚することになったのか、聖書学者たちの想像も加えて申し上げるなら、プリスキラが当時のローマ貴族の腐敗堕落を嫌って、清潔なユダヤ教を慕い、その会堂に出入りしていてユダヤ人アキラと出会い、結婚。その後二人でキリスト教に改宗したか、あるいは初めからキリスト教会の中で出会ったのかもしれない。いずれにしましてもこの結婚は妻プリスキラにとってローマの市民権を失うという人生の大きな選択を迫られるものでありました。それをもいとわなかったのは、よほどアキラの人となりが魅力的であったか、あるいは信仰者として心から尊敬できる人であったか、多分その両方ではなかったかと推測できます。そののちこの二人は、聖書に連名で出てくることからいつでも一緒に行動したであろうと思われます。さてその後ローマでは紀元49年、クラウディウス帝がユダヤ人をローマから追放します。この時この夫婦もローマを追われ、彼らはコリントにやってきて、そこでパウロと出会います。
パウロはコリントへ来る前はアテネで伝道していましたが伝道の成果は上がらず、彼は気落ちしてコリントへやってきたのでした。その時自分たちの家に迎えて心からもてなし、さらに一緒にテント作りの仕事をしたのがアキラとプリスキラだったのです。当時パウロは「疫病のような人間で、世界中の
ユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者」(使徒24:5)として疎まれ迫害されていました。そういう人を自分の家に住まわせ、世話をするというのは大変なことであったに違いありません。自分たちの身にも危険が及ぶ可能性もありました。誰でも自分が不利になったり、危険な目に合うのは嫌です。出来ればそんな状況・そんな人とは関わりたくないと思うでしょう。実に人間の真の価値を決定づける事柄の一つにこの「保身」ということがあります。自分の身の安全・安寧を第一に考えて、自分が不利になるような他人の困窮には手を貸さないという生き方です。そう考えると、疫病神と言われていたパウロを自宅に迎え入れ、一緒に生活をしたアキラとプリスキラは、自分のことよりも神の栄光のために、神に喜ばれることを第一に考え行動した人たちであったということがよく分かります。
パウロがのちにローマの信徒たちへの手紙の挨拶の中でまず述べているのがこの夫婦のことです。「キリスト・イエスにあって私の協力者であるプリスカとアキラによろしく。命懸けで私を守ってくれたこの二人に、私だけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。」(ローマ16:3~4)とあるとおりです。この夫婦の親切はパウロにとって骨身に染みるほど嬉しかったに違いない。主の御業が進むために、己の保身に走ることなく、神に喜ばれることを第一に考え行動した人たち、これが特筆すべき一つ目のことです。
さて次にアキラとプリスキラがエフェソにいた時のことです。雄弁家で博識のアポロがやってきた。(使徒18:24以下)二人もその説教を聞いたがどうも物足りない。主イエスを信じ、熱心に語ってはいるのだけれど「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」とあります。つまり洗礼は受けたけれど、聖霊の力、聖霊の働きを知らなかったようです。そこでアキラとプリスキラはアポロを招いて「もっと正確に神の道を説明した」(18:26)これはどういうことでしょうか。つまり信徒の立場にある人が、まだ未熟な説教者に福音の真理や奥深さを教えてあげたということです。その際、相手を尊重しながら丁寧に語ったと思います。それから自宅に招いているのがいいですね。きっと食事のもてなしもしたでしょう。食事を一緒にすると人の心は和みます。その結果27節以下にありますように、アポロは力ある福音の宣教者となり、教会の建設者となったのです。このアキラとプリスキラのように、信徒でありつつ聖書に精通し、未熟な働き人を見下すこともなく、深い信仰へと導き、献身者にその使命を全うさせる信徒は多くないかもしれない。けれどもそういう信徒の存在が牧師・伝道師を育て、教会を育てていくということを覚えるのです。これが彼らについて特筆すべき二つ目のことと言えるでしょう。
さらにもう一つの特筆すべき点を学びましょう。
アキラとプリスキラは一切を捧げて全面的に福音の宣教に尽くした、この点で紛れもなく彼らは理想の信徒と言って過言ではないでしょう。ローマ16章5節に「彼らの家の教会」という文章が出てきます。彼らは自分の家を教会として捧げていたのです。
彼らはテント作りを職業としていましたが、その労して得た金銭はみな神の栄光のために用いられました。彼らは信徒という立場をもって、牧師・伝道者に勝るような働きをしたのでした。
それでは彼らのこうした行動は何から生まれたのか、何が彼らをそのように突き動かしたのか。それは溢れる喜びからでした。何の喜びですか。それは主イエスによって、自己中心な罪の性質を赦され、きよめられ、人生が変えられたからです。さらに永遠の命与えられ、この地上にあっても、来たるべき世においても絶えることのない希望が与えられているからです。その喜びを与えてくださった神様のために捧げ、働くこと以上に大切と思えることはなかったのです。明確な救いの喜びがあってこそ、どんな犠牲もいとわない宣教のための働きに参与出来るのだということを教えられます。
パウロは晩年、若いテモテを牧師としてエフェソ教会に遣わしました。若いテモテにこの大教会の責任を負わせるに当たって、パウロの心は、その教会にアキラとプリスキラという一組の老夫婦がいることを思って、どれほど心強く感じただろうかと思います。彼らの生涯は決して華々しいものではなく、むしろ目立たないものでした。しかしその生涯をたどってみるとき、教会は彼らのような信徒がいることによって、健全な成長発展をすることが出来るのだと知らされます。アキラとプリスキラはその名が後世に残されました。しかし多くの信徒たちは名も知られず、称賛されることもない中で、黙々と犠牲を払い、教会と主の働き人を支え、良い業に励んで生きたのです。こうした主の恵みに感謝して生きた一人一人によって福音は全世界に持ち運ばれて行ったのです。
今日はもう1か所ローマ10章14~ 15節を開きます。「聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がいなくて、どうして聞くことができるでしょう。」この言葉は大変重いものです。ジョン・シーモンズ先生がこう言っておられます。「もし私がキリストについて一度も聞いたことがなかったならば、今の私はどうなっているだろうか。」この言葉はクリスチャンであれば誰しもが思うことです。もしも私にキリストの愛や救いの道を語ってくれる人がいなかったら今私はどんなになっているだろうか。こんなに感謝と平安のうちに毎日を過ごすことが出来ているだろうか。また、自ら教会を訪ねて救いに与かって今日に至っている人がいるとして、もしここに教会がなかったら今どうしているだろうか。み言葉を伝える信徒がいる、み言葉を伝える教会がここにあるということの意味の大きさを思わずにはいられません。
そしてその良きおとずれを伝える者たちは神さまの御目からするとかけがえのない、大切な、そしてなんと美しい! と言われる存在なのです。私たちは、信仰者としての自分の歩みをとても美しいなどと言えないと思います。足りないところばかり目について自信が持てません。でも足りないながらも、福音を伝えたいと願い、その思いを行動に移していくとき、神様はその歩みを、そして私たち自身を美しいと言ってくださるのです。世界に福音が行きわたるために、このような神のしもべたちが一人でも増えることを主は心から望んでおられることです。あなたが、私が、その一人となることが出来たらなんと幸いなことでしょう。 (ウェスレアン・ホーリネス教団 野田キリストめぐみ教会牧師)