知恵の道、わたしの場合 永口裕子
知恵の道は友愛の道/その旅路はいずれも平安
知恵は、それを掴む人にとって命の木/知恵を保つ人は幸いである。
(箴言3章17〜18節 聖書協会共同訳)
こんにちは。わたしは101期生で、45年前に同志社大学文学部の哲学専攻に入学しました。浪人中がちょうど「同志社100年」にあたり、予備校の帰りにデパートで開催されていた同志社の展覧会で、会場入り口すぐに掲げられてあった新島 襄先生の写真と渡米のいきさつのパネルを見て、胸ドキュンとやられて哲学専攻に滑り込んだ者です。
そして、大学4年卒業間際にまた滑り込んだのが、大学院ならぬ「九条オモニ学校(ハッキョ)」。今日のお話の舞台となる学校―ハッキョで、京都市南区東九条の在日大韓京都南部教会に、今もあります。
その学校は在日コリアン1世のオモニ(お母さん)たちが、韓国語と日本語の文字を勉強する識字教室です。識字とは、本来学校教育などを通じて獲得される母語、マザータングが奪われた状態にある方々が、その母語を取り返す営みをいいます。日本台湾、朝鮮半島、中国東北部への徹底した侵略の歴史によって、オモニたちに代表される非識字者が生み出されました。一昨年2019年制作の韓国映画『マルモイ ことばあつめ』という映画が、この侵略の歴史と民族の恨(ハン)を、朝鮮半島の人々の主体性豊かに描いていますので、是非ご覧になってください。
さて、九条オモニ学校にわたしが行ったきっかけは、文字を教えようというよりも、第一に謝りたい、赦してほしかったからなのです。大阪の下町育ちのわたしは、たくさんの在日のクラスメートと出会っていながら、結局無視してきました。その歴史も政治的な制約や就職差別、結婚差別の実態について、いわゆる通名の歴史や指紋押捺を強制されている事実すら、全くの無知でした。だから、オモニたちの前で土下座して謝りたい、そう決意してハッキョに行ったのです。にもかかわらずハッキョの雰囲気はまるで違っていて。一度足を踏み入れると、オモニたちから「センセ、センセ」と呼ばれ、韓国料理がテーブルいっぱいに並べられて迎え入れられる―のちにこの出会いは、ルカ福音書の放蕩息子の帰還を迎える場面と、幾度も重なって迫ってくるのですが。まさしく「ゆるし」から始まる異文化の集いの場でした。
もうひとつ、わたしはハッキョで、自分が抱えていたある大きな悩みに光を与えられました。わたしは、くる病という子どもの難病をもって生まれてきました。骨の発育不全と骨の湾曲が主な症状です。身長は140センチ、脚がO脚に大きく曲がっていて、身体を揺らして歩く姿はからかわれ、そんな偏見や差別に「負けるもんか、負けるもんか」と頑張り、大学進学を果たした障害者です。ところが大学卒業を目前にして、自分が何者か分からない、アイデンティティの揺らぎの危機の中にいました。「いわゆる普通学校」に進学して学んだ比較的軽い障害を持つ障害者 ― それは「いわゆる健常者」からも、また「いわゆる重度の障害者」からも「あなたは違う」と弾かれる間はざまの存在だったのです。自分が何者か分からない。
そんなわたしにとって、歴史に翻弄され、女性ゆえの困難を何重にも受けながらも、50歳も後半になって、はじめて文字を掴み取ろうとするオモニたち、ハルモニ(おばあさん)たちはまるで巨人でした。「センセな、棺桶に何もって入りたい、言うたらな。わたしな、字もって入りたいねん。」「わたしの人生なんか、もし書けいうたら、それは地球を何回も、何回も……。な、書かれへんやろ」家族には銭湯に行くと嘘をついて、そして洗面器を抱えて勉強にくるオモニたち。その存在は、わたしの全身を余すところなく写す鏡でした。そこには、けっして醜くないそのままのワタシが、写っているのです。わたしは、このままで美しい。新しいアイデンティティが与えられました。
今日の御言葉をご覧ください。
知恵の道は友愛の道/その旅路はいずれも平安(箴言3章17節)
知恵とは何か。偏差値で切り刻んだ知識の集積のようなものではないことは、なんとなく分かっても、「なんのために勉強するのか」という疑問と同じくらいに答えにくい、逃げ道に迷い込みそうな問いではないでしょうか。箴言は1章7節に「主を畏れることは知恵の初め」との言葉を示しています。クリスチャンには確かに含蓄のある言葉ですが、キリスト教徒でない場合、疎外感を覚えるかもしれません。
わたしの理解する知恵 ― これもあるオモニが教えてくださいました。何気ないやり取りのなか、オモニの着ている青いカーディガンがとても素敵で、そのカーディガンを褒めるわたしに、「そうか。この服、綺麗か。ほんなら着せてあげましょ、言うてな。こう脱いで、センセに貸してあげられるやんか。」「そやけどな、センセ。勉強はな、違うねん。教養いうのか。ああええな。ほな、ちょっと貸してあげましょ。借りましょ、いうてな、その人にあげることはできひんねん。せやからな、ちぃさい時に勉強したかってん」わたしは、これ以上に知恵の本質を捉えた、それ自身知恵ある言葉を知りません。そして聖書も箴言3章18節に「知恵は、それをつかむ人にとって命の木」と明言しています。
友愛の道について、今日は三人の女性の本を紹介させていただきます。
『11月のほうせん花』(1990年 小径書房)皇浦任(ファンボイム)、蒔田直子お二人の共著です。国際識字年の年に自費出版で出され、たいへん珍しいことですが朝日新聞の「天声人語」でも取り上げられました。
皇浦任(ファンボイム)オモニと蒔田直子さんは、九条オモニ学校で実際にペアとなって、日本語の読み書きを通じて学びあった間柄です。文字通り、母子ほど歳のはなれた韓国人と日本人の女性がなした一書です。丸木 俊さんの表紙絵と挿絵とともに、皇浦オモニの波乱の半生が詩文によって綴られています。映画『マルモイ ことばあつめ』と合わせてどうぞお読みください。図書館で購読希望を出してください。
『私の名前はファミ』『ファミ ふぁいと』『ファミの心』
李和美(イファミ)
この方は同い年の在日コリアン2世で、脳性小児麻痺の後遺症を持ち且つ、京都市で初の24時間ヘルパー派遣を、たった一人の訴えによって実現させるなどして自立生活を生き抜き、7年前に召された方です。首の傾斜と揺れのため発話も簡単でないなか、役所のカウンターで「殺す気か」と訴えて、重度障害者が施設を出て自立して生きる道を開拓した、フロントランナーでした。わたしがペアで勉強をした李粉伊(イブニ)オモニの娘さんです。ファミさんはクリスチャンですが、形骸化したキリスト教に鋭い批判を持ち続け、クリスチャンのあるべき人格について失望を隠さず、また教会に対しても痛烈に批判しました。そんな彼女を捕らえて離さなかった御言葉は、マタイ福音書11章28節。口語訳で「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」でした。わたしにとって、この御言葉は直ちに李和美さんを思いおこさせる御言葉であって、軽々しく語ってはいけないと、楔(くさび)のように打ち込まれている聖句となっています。
友愛の道は、薔薇色の道ではありません。《平安あれ ―シャローム》と復活のイエス様が呼びかけてくださるところに、この世のさまざまな縛りの中で分たれた人々が、民が、主イエスの十字架と復活を基とする〈ゆるし〉によって、ふたたび結び合わされて共に生きようとする。この日々の営みに、友愛の道はあると思っています。
お祈りします。 《同志社大学・京田辺学舎のチャペルアワー》(日本基督教団 大阪教区 牧師)