証し

私の歩み―共助会と私 福田 佳也

学生時代、信濃町教会の牧師、父正俊から、基督教共助会のことは聞かされていた。共助会は、創立者森 明のもとに1919年創立された「キリストの外自由独立」と「主にある友情」を交わりの基底にすえる使徒的団体である。なにか惹かれるものを感じていた。戦前、沢崎堅造という京都の北白川教会の会員が中国熱河地方(現中国東北部)で、熱心に伝道をされたことなども父から聞いた。

『荒野をゆく』未来社(1967)が刊行された時に、貪るように読んだ。そこには、沢崎堅造、夫人沢崎良子、和田 正などが福音を伝えるべく伝道の記録が記されていた。

私は明治学院大学を卒業して都市銀行の第一銀行に就職した。結婚の時、これを機に、川田 殖先生の紹介で、学生時代からの信仰の友黒瀬健二さん(北白川教会)と共助会に入会させて頂いた(1968年)。私は代田教会の会員で、代田教会には共助会の会員はいない。入会の年、夏期修養会に出席をした。小笠原亮一さん、井川 満さんなどを紹介された。

銀行員にとって転勤はつきものである。1971年、大阪の梅田支店に転勤になった時に京都の北白川教会に転会した。教会には、奥田成孝牧師、清水武彦、和田 正、林 律長老など共助会会員がたくさんおられた。教会までは、片道1時間はかかったが、マイカーに子供たちを乗せて通った。梅田支店から京都支店に転勤になり、高槻市から京都の洛北荘に転居し、北白川教会が近くになった。子供は、共助会会員滝浦 緑さんの経営する恵美幼稚園に通った。また洛北荘の近くには共助会の会員村上フミ長老が歩いて行けるところに住んでいた。子供たちは村上さんによく遊んで頂いた。また、教会には沢崎良子さんがおられて、お交わりを頂いた。次女友紀子が先天性心臓疾患で亡くなった時には奥田牧師夫妻の手厚いお見舞いを頂き、徐ジョ 積セッカン鑑長老には京大病院を紹介して頂くなどお世話になった。北川恵以子さんにはお祈り頂いた。関西には京都共助会があったが、勤務に忙しく集会の出席は難しかった。

父はそれまで、『共助』には時折寄稿をしていた。信濃町教会を退任後、1976年から約2年にわたって雑誌『共助』に「主の祈り」の講解を掲載した。さらにその後、徹底的に手を加えて、書き直して『主の祈り―キリスト教の小さな学校』日本基督教団出版局、1979年として出版した。父はそれでもまだ気が済まなかったのか、出版された本にさらに自分で推敲をしていた。その本は今私の手元にある。

東京に転勤になって代田教会に戻った。日曜日は代田教会の礼拝と集会に忙しく、共助会の集会に出席する事は叶わなかった。勤務に多少の余裕ができた頃、共助会の丸の内集会に出席をした。尾崎風伍牧師の指導を受けて、斎藤成一、山谷 朗、水崎 明、表 弘弥さんなどと使徒行伝などを学んだ。丸の内集会は初めは丸の内J・Aで開催していたが、途中でJ・Aの都合で、会場を中渋谷教会に変更した。お互いに勤務先が違うので、職業人としてどの様に信仰生活を守るかなど共通の話題が多く私は刺激を受けた。

自宅が久我山に近かったので、集会の帰りに尾崎風伍・マリ子夫妻と親しくお話をする機会があった。久我山教会創立の頃である。代田教会会員の隅谷三喜男先生が講師を務められた夏期修養会(1994年)には、隅谷先生と一緒に出席をして得難い経験をした。

2000年、私は銀行から日本聾話学校に転職をした。日本聾話学校は、耳の不自由な子供のための残存する聴力を活用する「聴覚主導の人間教育」を行う学校で、町田市にある。創立者は、元駐日米国大使でハーバート大学教授エドウィン・O・ライシャワー博士の両親A・カール・ライシャワー博士夫妻ある。校長は川田 殖先生であり、私は事務長を務めた。長く校長を務められた大嶋 功氏、前校長安積力也氏も共助会会員であった。歴代の理事には、牧野信次さん、佐伯邦男さん、嶋田順好さんなどがおられた。教師陣には和田健彦さん、加藤大典さんなど共助会会員がおられた。

2005年、北白川教会のウガンダ・スタディツアーの呼びかけがあり参加した。林 律さんが世話人となって、北川恵以子さんのエイズの治療現場を視察することができた。佐伯 勲牧師夫妻、大島純男・長子夫妻もご一緒した。初めてのアフリカ経験は、忘れ難い。

最後に代田教会で行った東日本大震災被災地支援チャリティ・コンサートのことを記しておきたい。父は朝鮮伝道に身を捧げた共助会会員沢正彦牧師の支援をしていた。沢牧師の長女でシンガー・ソングライターの沢 知恵さんのコンサートだった(2018年)ので演奏が終わった後、『私のごすぺるくろにくる』新教出版社(2016年)にサインを頂いた。沢 知恵さんの母の牧師夫人金キム 纓ヨンさんは牧師であり、エッセイスト。私は『チマ・チョゴリの日本人』草風館(1985年)、『それでも私は旅にでる』岩波書店(2001年)などを愛読している。私は今も『共助』を楽しみに読んでいる。(日本基督教団 代田教会員)