どんな時も主と共に 鈴木 美恵子
主イエス様の憐れみに只々感謝します。高校1年の時に受洗して56年。神さまの選びと導きの中で、結婚生活50年。平凡な主婦の歩み。何の取り得もない私を愛して、十字架上で死なれた救い主イエス・キリストのもったいなさにひれ伏します。
出産、祈りの力
毎年5番目の子の誕生日に繰り返し馳せる思いは、死の淵から移され、元気に生かされて41年。奇跡の回復。救い取られたおまけの命。これと言って取り上げることもない日常生活、申し訳ない歳月。
1979年9月5日の出産当日、陣痛促進剤投与後、間もなく早期胎盤剥離。すぐに帝王切開。取り上げられた4男仮死2度で産声なくも無事蘇生。今は一児の父親に。感謝。私は救急車で運ばれ新潟大学病院の分娩台の上で出血が止まらず、5日間を過ごす。高熱でも飲み水は禁止。首から点滴、足首から輸血が続いて、再度の開腹手術へ。
その間思いも及ばない多くの方々の祈りと102名の方々から頂いた新鮮血。自分では寝返りも出来ない中で33年間の人生が思い出され、幸せよりも懺悔の念が強くある中で、「どうか、この子が20歳になるまで生かしてください!」と心の中で叫び、祈り続けました。
後日、内科に移った頃、産科の主治医の先生お二人と内科の先生が見舞って下さった時、にこにこして、「良かったですねえ。これは信仰の奇跡ですよー! あれだけ輸血して、人工透析もしながら何の後遺症もないとは。」と。それ程沢山の方々が信仰の立場を越えて、敬和の先生方や生徒のみなさん、新潟市内外の教会の先生方、信徒の方々の祈りのお陰。
数年経ってから夫や松浜キリスト教会の牧師池田先生から、「当時の様子は、分娩室の廊下で何人か集まると輪になり、時に額を床につけて祈られた牧師の姿があった。」との事!
退院後の生活の中で
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことについて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5章16―18節)
6か月半後に退院。戻った日常生活の中、御言葉の実行はなかなかで、自信のない私はすぐ自己卑下の霧の中に沈み、「感謝とは何? 全てのこととは、嫌な事、ふつう受け入れたくない事も? そんなのどうして感謝できるの?!無理して喜ぶなんて偽り」、と反発。
ある時、御言葉の感謝は、感情ではなく〝意志すること、祈り〟なのだと合点。「はい。神様。全てのことをご存知ですから、何があっても神様はご慈愛深く見守って下さり、平安を下さるのですね。感謝します。」。
こんな時もそそっかしい私は時々水を引っ繰り返したり、お皿を割ったり、指を切ったり、ドアで挟んだ時、「感謝します!」とひとこと。「やっちゃったね、愚かなみえこさん」と、心の中で自分を思いやりながらする後始末は、意外とスムーズにできるのは不思議。
右腕の痛み続く痺(しび)れ
2年前の自損事故。家近くの電柱に運転ミスで激突。車は廃車となる。ただ守られて右上腕を8㎝位の裂傷以外は無事。感謝。20日間程の入院中、痛みは薬で抑えられながらも時として激しい痛みに呻き、イエス様の十字架を仰ぎながら、温湿布を求めてしまう。丁度その日『十字架の黙想』の小冊子のシエナの聖女カタリナのエピソード(主に問われて茨の冠を選び、苦しみや病いなどを絶え間なく身に受けながら天国の幸福を思い、主と共に喜んで受けた人)に心打たれ、それ故か現在も時折痺しびれる右腕にいとおしさと恵みを感じます。
捨てる物は
昔、教会の婦人会で敬和学園高校の生徒のお父様から、「神さまのお庭を汚さないように生活しましょう」とのお勧めに習い、自然を大切にするように心掛けて、台所排水は庭木に、食べ物は捨てない。賞味期限では、ある料理長曰く「自分の舌を信じて気にしない」に共感。物にも使命があり、〝捨てればゴミ。使えば資源。ゴミは素敵な魔法使い〟の新聞広告に、野菜屑は堆肥に加工。古着シャツ等は鍋や皿の汚れ拭きに。他の物は、市のリサイクルを活用、最後は創作自由工作用に教会学校後の保育で遊ぶ。
こんなささやかな何でもない事を楽しみ、主を喜びながらする私。「残ったパン屑を集めなさい」と弟子たちに言われたイエス様のお言葉に、「きっとそれは、良く用いられたでしょう。主のお心に習いたい」と思っています。(日本同盟基督教団 北新潟キリスト教会員)