小さな渦巻  橋本 佳美

私の住む佐久平は、紅葉が始まりました。今年は気温が後戻りすることなく下がり、久しぶりの寒い冬になりそうです。長野県は昨年の台風の被害を受け、佐久市でも川の氾濫で家が流されたりしました。あれから1年、季節は移り変わり、何事もなかったように紅葉が進んでいます。この景色にどんなに慰められていることか。神様がどのような時にもそこにおられ、恵みを用意してくださっていることを強く感じます。

台風のあと、一部の学生が自主的に近隣の地域にボランティアに行きました。ちょうど実習していた3年生が中心になっていました。なんと頼もしいことか。その姿に励まされました。

退職した事務局長は今地域の中で、コロナ禍によって営業状況が悪くなり、補助金の申請をしようとしている零細な会社やお店の方たちの補助金の申請を手伝っていると言います。かつて急速に家計が悪化してしまった学生に対して、奨学金やその他の資金の貸し出しを大学の中で制度化し、困窮する学生たちが退学を免れていました。私は彼の仕事にあまり関心を寄せていませんでした。役割として当然と考えていたからだと思います。ところが、彼が退職した後、同じ状況になった学生の支援を依頼しましたが、学生が給付を受けられないことがありました。対応している方は、学生の話を一度も聞かずに周囲と相談して却下してしまったのです。退職した事務局長は、困っている学生の話を丁寧に聞き、学生の生活上の甘さもきちんと指摘しながら学生が納得いくように支援していました。彼がしていた仕事は、実は誰にでもできるものではなかったのです。

茨木のり子さんの『倚(よ)りかからず』という詩集の中に「小さな渦巻」という詩があります。その中に「一人の人間の真摯な仕事は おもいもかけない遠いところで 小さな渦巻をつくる それは風に運ばれる種子よりも自由に すきな進路をとり すきなところに花を咲かせる」という一節があります。私も彼や学生のように、真摯な仕事をしたいと願っています。

現在私の勤務するA大学は、授業は対面とリモートと組み合わせています。1年生はできるだけ対面で大学の授業に慣れるように、2年生とできるだけ一緒にならないように設定されています。3年生は実習、4年生は卒業研究中であまり大学に来ません。9月の時点では近隣の感染率がとても高かったので、一部の実習は10月末までリモートですることになっています。

リモートの実習? …本当にできるだろうかと思っておりましたが、準備をして実習に臨みました。想像していたよりずっと学生はよく学んでいます。こちらも実習が楽しく感じられます。「さくらんぼ坊や」という古いビデオがあるのですが、それを学生と見ています。数十年前の記録なので、現代と暮らし方が違ってきているため、教材として使うことを毎年ためらいながらやってきました。でも、子どもには力があり、それは仲間の中で鍛えられて確かなものになっていくという「ヒトから人間へ育つ」過程がとてもよくわかり、学生は子どもには自分でできる力があるのだということがわかりました。また、子どもが固有の権利を持つ存在であり、現場では幼児でも理解のレベルに合わせて説明をし、本人と協力して治療や処置に臨めるようにしなければならないことを学びました。今、授業も始まりましたが、同じようなところを出発点として始めています。コロナ禍の中、人と人とのつながりが薄れたり、コミュニケーションの不足が思わぬいさかいのもとになったりすることを気にしていましたが、学生たちから新たな道が見いだせそうです。

私自身の暮らしは介護生活

10年目に突入しました。母が亡くなって3年がたち、少し寂しいですが父との生活を楽しんでいます。父は昨年まで2年続けて骨折し、1年の半分近くを病院と老健で過ごしました。もう一度在宅生活ができるのか心配しておりましたが、入院の効果によって規則正しく好き嫌いなく食事ができるようになり、元気です。手すりがないと歩くことは難しくなりましたが、耳の聞こえもよくなりました。今までよほど具合が悪かったのだと思います。たいしたことはしていませんが、土日の介護生活で教会に行くことがなかなかできません。昔メモしていた説教ノートと、久我山教会からの月報で何とか教会に触れています。

尾崎マリ子先生の説教に「教会は人の言葉ではなく神の言葉を聴く場所である。」「私たちは、自分の力で主イエス・キリストと出会うことはできない。聖霊の導きによって、また、出会いの準備ができている時に出会うことができる。信仰も神から与えられるものであって、自分の力では持続できない。」(ルカによる福音書)というものがありました。今、その言葉が私の生活を支えています。苦しい時こそ神様は私のそばにいてくださっていることを信じています。コロナ禍の中、辛抱強くこの事態に耐え、この災難が終わるのを待ちます。どうぞ皆様もお元気で。(日本基督教団 久我山教会員)