病を得て……尚、一層の祈り 中村 きよみ

昨年(2020年)4月に横浜港に入った大型旅客クルーズ船を発端として日本中に新型コロナという疫病が蔓延した。それは世界中を駆け巡り現在も収束せずに潜伏している状態である。何か「ノアの洪水」を想い起こさせるような出来事だと感じている。

その最中の4月20日に私は「心臓大動脈弁狭窄症」のため手術をした。

自己心膜細胞作成の弁を付け替える手術である。全身麻酔で8時間余の手術であったが終わって集中治療室(ICU)に戻った時にはしっかりと覚醒していて「有難うございました」と言葉を発することができるほど気分が落ち着いていた。手術前に医師に私のこの85歳の体力で可能かと聞いたところ……充分可能だという。ならば〜

4月20日の誕生日に実施したいと願ったところチームの医師の都合を確認してみようとなり数分後に決定となった。「何故誕生日が良いのか」と尋ねられたので「身心共に新しく生まれ変わって神様に〝良し〟と言って頂きたいの」と返した。本当は自分にきっかけが欲しかったのだろうと思う。医師は「あー、中村さんはクリスチャンだったね。日曜日にはミサに行くの」と尋ねられたので厚かましくも……先生、おミサはカトリックの礼典でプロテスタントは礼拝というの等々話した。彼は「私はベルギーのルーヴァン・カトリックの医学科で有名なフラメング医師の助手をしながら心臓の手術の研究をし自己心膜細胞作成弁の技術を開発したのだよ」と話してくれた。留学していたその頃、同僚から君にカトリックとプロテスタントのことを話すのは難しいなあと言われたことがあるのだとも話してくれた。

医師の名は尾崎重之と言い、現在は海外にも出かけて「自己心膜細胞作成弁の手術」を指導している。その手術をした私は順調に回復し2週間ほどで退院の許可が出た。

ところが退院予定の前の土曜日の朝のことである。異変が起きた。退院準備のためベッド周りを片付け連絡を入れる方の名前をメモし始めた時……字が書けなくなった。縦線が斜めになるのである。あれ? 横線も震える。ナースコールを押すが力が入らない。なんとか呼び出して医師を呼んでもらった。

幸い機転の利く看護師で心臓血管外科の医師と脳神経内科の医師が飛んできてくださった。すぐにMRIの検査をしそのあと集中治療室(ICU)に運ばれた。24時間の点滴を二日間ほど続けて病室へ戻ることができた。血液中に小さな血栓ができて薬でも消えず脳に梗塞しているという。脳梗塞の病名がついた。退院は勿論取り消しである。服薬の数が増え食事の塩分が減って食事は一段と味気ないものとなった。トイレも必ずナースの呼び出しをして要介添付きである。大丈夫と言っても一人は禁止となった。

「神様、一人で歩けます。こんなにお世話をして頂いて良いのでしょうか」と尋ねたが実は言葉も出ないのである。頭の中沢山の想いが渦巻いて色々状況を話したいのに……。脳の梗塞は消えず血中の血栓も消えずの状態で医師たちの相談がすぐに始まった。右心房についている右心耳を閉鎖する手術に決まり手術日も決まった。今回は鼠そ 蹊けい部ぶ の血管からカテーテルを入れての手術となった。3時間ほどの手術である。開胸しないなら少しは楽かな? 不安も恐れもなかった。麻酔から覚めても痛みはなかった。五日ほど後にはすぐにリハビリが始まった。足の上げ下げ、おはじきを抓む手指の訓練、あー、あーと声を出す言葉のトレーニング、リハビリ室から病室に戻っても時間があれば一人であれこれ動いてはトレーニングをした。

疲れて昼寝をしてテレビを観る……クスクス笑っておやつを食べる。入院の退屈な時間をなかなか上手に過ごしていた。

朝晩のお祈りも決まった時間に捧げた。

主の御名を賛美し感謝の祈りを捧げお支えとご指導を心からお願いする。勿論自分の病の回復も必死に祈った。関わっている障害ある子供たちの生命力を強めてください。そしてコロナのために生活の状況が変わり生活が困窮している子供の親たちの経済の好転をお願いします。みんなの家庭の安定が望みだった。神様しっかり目配りをお願いします! と何回も言葉にした。

神様 聞かれない祈りはないのですよね

この小さな老いの願いをお聞きください

あなたを愛し あなたを心から信じる

小さな老いの願いをお聞きください

隣他人(トナリビト)に尽くし 小さなパンを分け合う者としてください。

隣他人にしたことは 私にしたことだとあなたはおっしゃいました。

まだ動ける部分を使って 御心のために働きます

何でもいたします。

この小さな老いの願いをお聞き届けください

(ふと気がついて何でもは大変だから出来ることはに変更します。と言って友達に笑われた。)

5月になって言葉が少しずつ出るようになった。談話室まで車椅子を押して連れて行って頂き知人に携帯をかけた。もどかしい言葉ながら皆が理解できるよと言ってくださる。嬉しくて医師にまで近々退院しますと自分で宣言して笑われた。5月中旬、本当に退院許可が出て帰宅した。次の聖日教会に行き皆に会いお祈りのお礼の挨拶をして共に喜んだ。次の日は教会の二階で開いている障害児のデイサービスへ皆の顔を見に行った。そして三ヶ月後からまた本の読み聞かせと紙芝居を始めた。ゆっくりと話す私の言葉を静かに聞いてくれるのだ。話す自分の目に泪が溢れて休み休みの紙芝居になった。

御在天の父なる神様 御名を賛美します

数え切れない多くのお恵みを有難う御座います

愛に満ちた友に支えられて元気に回復しました

心身ともに病んだ部分を脱いで

持つものは乏しいけれど本当の「人」になった気がします

あなたのみ顔を仰ぎアブラハムの背を追いつつ小さな足跡

を残して行けるように歩みたいと願い 祈ります。

アーメン

(日本バプテスト連盟 仙川キリスト教会員)