感想

阿部真希子

短い間でしたが、実り多き時間を持てて感謝でした。高橋先生の講演をお聞きし、日本が世界第5位の軍事力を持つという話に、気が遠くなる思いでしたが、あきらめずに政治の動向に目を向け、自分にできることを模索していく責任を感じました。ドイツの歴代指導者たちの、過去を償い続ける姿勢と、負の歴史から学び、民主主義を成熟させてきたという前向きな姿勢や、北海道で、強制労働で亡くなった韓国の方々の遺骨を返還した、市民の活動の様子に大いに勇気づけられました。

(浜松バプテスト・キリスト教会員)

荒川 朋子

昨年10月、第二次世界大戦中に日本軍によって捕まった諸外国の元捕虜やその家族と日本人の和解のために活動する「アガペワールド」という団体の代表の恵子ホームズさんをアジア学院にお迎えして、彼女の35年に亘る「心の癒しと和解の旅」の証を聞きました。その後不思議な力に導かれてアジア学院で学ぶアジア諸国の学生11名を前に、会衆の面前で恵子さんとそのご友人そして私が土下座をして深く頭を垂れて謝罪をし、赦しと和解の時を持つことができました。それを受けての今回の高橋先生のお話、特に私たちは社会的存在である限り「責任=応答可能性(responsibility)の内に置かれている」ということ、「戦後日本人のアイデンティティの中にアジアの他者への謝罪が組み込まれていなければならない」ということが私の中に深く刻まれました。同時に「謝って解決するのではない。むしろ、謝罪は新しい始まりなのだ」「謝罪はむしろ、この悔いを前提にふるまうことを個人の指針とするのでなく、それを他者と〝約束〟すること」というある哲学者の言葉も理解できた思いがしました。

(アジア学院アジア農村指導者養成専門学校校長)

濵田史子

初めての研修会参加でしたが得るものは大きかったです。片柳様のお話より、イザヤの時代と今のウクライナなどの状況を重ね、人間のあり様を考えます。高橋様のお話の中の「今の日本の現状は、日本人の中の圧倒的マジョリティの責任が大きい」「人間関係の基礎には、言葉による呼びかけと応答の関係がある」が心に残ります。学びを深め伝える力を磨き、平和を目指す思いを絶やさず、伝える努力を続けたいと思います。

(第二勝田保育園)

石川光顕

1945年6月生まれ、まさに戦争が終わった処から歩みを始めました、戦後77年の時代は私の歩みです。特に1965年から1970年は、70年安保の政治紛争の時代でした。学生寮の中でいつも論争をしていて、ちょうど大学院の受験で自分がどこに立つかを問われました。40年間、高校教師をやっていて問われることでした。「理想をもって歩む、理想は高く、しかし現実をもって」ということが心に残りました。

(日本基督教団 調布教会員)

三田町子

戦後の日本の状況を掘り起こし話され、そして最後に、現在の日本はどうなのか、どんな立場なのかを聞いた時には、これからどうしていったら良いのだろうかとの思いで、先生が話されたことを、もう一度噛みしめたく思いました。

ドイツとかオランダなどの植民地政策を行ったトップの人たちが、謝罪の言葉を述べておられる。その謝罪の言葉と平和への思いを聞き、それに引き換え、日本の当時の為政者たちの言葉は、本当に曖昧ではっきりとした謝罪とは言えない、物事をいい加減に終わらせようとしていたのでは、と感じる文言でした。思いを丁寧に人に伝えることはすごく大事だと思いました。それから、先生がたくさん問いかけてくださったことに、私自身がこれらを噛みしめながら、 小学校2年生の時に、あの太平洋戦争で空襲にあい、家を焼かれ、火の中を逃げ惑った者として(遠い昔ですが)、そういう戦争の実感があった者として、どうやってそれを伝えていくか考えることも一つの宿題のような気がしました。頑張っていきたいと思っています。

(日本基督教団 久我山教会員)

木村葉子

2日間、高橋先生を通して、戦後の「日本人の責任」を問う平和への学びを歴史的に詳細な資料を用いて語っていただき深く感謝いたします。それらは日本の課題に対する先生の誠実な取り組みを示すものでした。先生がまず「今までずっと負けに負けてきた」と語られたことは印象深いものでした。それは、先生の日本人のアイデンティティに戦争責任や植民地責任が入るのは必要という歴史認識や、教育、憲法、原発、基地などの問題などに対する、政治的社会的な提案や意見や活動が、日本の権力や社会から、受け入れられない現状を表現したものと思いました。教員だった私は、2004年教育基本法改正反対全国連絡会の運動の呼びかけ人であった先生とお会いしました。共助会一泊研修会でも、教育と国家について語って下さいました。当時、教育基本法は憲法の土台である存在から、憲法改正の先導として自民党政府は「改変」を目論みました。その関連で、石原都知事は東京都公立学校へ「国旗・国歌学校強制の通達」を発出し、不起立・不伴奏の抵抗する教職員を大量処罰し始めました。私たちはこの通達の違憲・違法を確認する予防裁判や処分撤回裁判を続けて、教育の改悪に抵抗しました。2006年9月予防裁判はまっとうな第一審教員側全面勝訴に喜びましたが、即刻、安倍内閣により12月に教育基本法が「改悪」され、2審敗訴、2012年最高裁で棄却にされました。18年間続く400数名の処分撤回裁判は戒告を除き処罰は過重と勝訴を現在まで積み上げてきましたが、依然、「通達」は、「思想・良心・信教の自由」を弾圧し続けています。現在、学校は、児童・生徒にとっても生きづらく、教師は、統制と過労に悩み、教員志望者が減り、教員不足は子どもたちから豊かな学びの環境を奪って日本は極めて教育後進国になりました。

現在、教育や、原発再稼働、沖縄の基地、武器見本市の開催、軍事拡大、西南諸島のミサイル基地の住民のすでに戦時体制だという叫びをニュースで聞くにつけ、平和の進路、子どもたちの未来など、課題の深刻さを覚えます。教育基本法が改悪され、学校は政府の偏向した意向が色濃く入り、そういう意味で、負けている歩みだと非常に残念です。なお、この闇がさらに深まるのを止めるにはどうしたらよいかと思う。

日本の戦争責任に対するアジア諸国への謝罪の不徹底や慰安婦問題、徴用工問題、外国人入管所の人権侵害やヘイトスピーチ、アジア蔑視は、今なお続く日本の植民地意識のなせる傲慢な業と指摘されています。

「わたしが顧みるのは苦しむ人、霊の砕かれた人 わたしの言葉におののく人(イザヤ66・2)」

最近この言葉が心に響きます。自国の不正義・不義のゆえに告発し、苦難を担った旧約の預言者の闘いのただ中での言葉です。現在、ドイツ首相やイギリスやオランダの王族から、かつての植民地国に対し、謝罪の言葉が語られているとは、驚くような時代の流れです。しかし、そこには、南アフリカ連邦のアパルトヘイトに対して、マンデラ首相のような多くの虐げられた人々への過酷な弾圧と長い投獄に対する忍耐強い闘いがあってこそ実現した勝利といえると思わされます。実際、社会を、私たちが理解することは限りがあり、どう歩むか悩みます。しかし、小さくも光を掲げて行く歩み、平和を望む願いと祈りが、神の光、愛に助けられ、神は苦しむ者にこそ共にいてくださる約束に希望をもって、仲間となっていきたいと思いました。

被害者と加害者にねばり強く聞き合う修復的対話がドイツの戦争責任の度々の深化をしてきたように。

(ウェスレアン・ホーリネス教団 ひばりが丘北教会牧師)