春を待つ 阿部 真希子 

皆様、おはようございます。

度重なる総会の延期を経て、ついに皆様と顔と顔とを合わせてお会いできると思っていましたが、現在第二子を妊娠中であり、新型感染症の状況を鑑みて、勝手ながら欠席させて頂きました。準備に労してくださった先生方のご苦労を思うと、本当に心苦しいのですが、神様が許したもう時が来ることを信じて、待ちたいと思います。会場に行くことは叶いませんでしたが、貴重な早天礼拝の証の機会を頂いたことに感謝致します。

この2年間、世間ではコロナで大きく生活、人生観が変わった方が多くいらっしゃったのではないかと思います。私は幸い、コロナであまり苦しむことはありませんでしたが、人生のステップとして様々な変化があった日々でした。

2020年11月、長男が生まれ、現在1歳1か月になりました。授かったのは、新型感染症が拡大する中でしたが2019年の修養会の時に話させて頂いたように、やりがいのある仕事もあり、頼れる実家もある、地元・浜松でぬくぬくと過ごしていました。

夏に突然、夫の関東への転勤が決まった時には驚きましたが、10月に栃木県小山市に引っ越し、11月に出産、新しい地での子育てが始まりました。

転勤が決まり、真っ先に連絡したのはアジア学院の、親しいチャプレンの方でした。アジア学院の3人の牧師で祈ったよ、と返事をもらい、その強い祈りで栃木に引き寄せてもらったと感じています。関東の中でも感染症の影響が少なく、アジア学院があるなじみの栃木に来ることができ、神様の導きに感謝しました。
自分の子というのは、本当に可愛いもので、次々と変わる表情や動作は、一日見ていても見飽きることがありません。また、母であるというだけで無条件に頼られる経験を通して、人はこんなにも完全に他人に対して自分を委ねることができるのかと、赤子の無垢で純粋な姿に、大きな驚きと感動を覚えました。

同時に、想像をはるかに超えた大変さも経験しました。身体的、精神的、社会的なつらさなど、様々なつらさがあると思いますが、私にとって一番つらかったのは社会との断絶でした。今まで、思い立てば自分の身一つで好きな時に好きなところに行って、好きなことをすることができました。それが、目の前に見えるコンビニに行くことすら容易ではなくなりました。夜中の授乳で、細切れにしか睡眠を取れず、体は疲れているはずなのに目ばかりがさえてしまい、子どもが寝た後は携帯にかじりつき、ニュースやSNSばかり見ていました。外にも出ず、仕事をして金を稼がない、つまり社会的な生産性がないと自分に価値がなくなったような気がしました。子育てをしていても、何か並行してできることはないかと様々な考えが頭を巡る日々でした。

人とのつながりを求めて、4月頃から地域の子育て支援センターに行くようになりました。保育士さんも他の保護者も皆優しく接してくださいました。けれど、子どものことは話しても、自分自身のことを話す機会は一切ありません。名前で呼ばれることもなく、自分の職業ですら一度も口にしたことはありませんでした。今まで自分が積み上げてきたものが、全てはがされたような心地がして、私の価値とは一体どこにあるのか、とずいぶん悩みました。

生きづらさを抱える若者たちと働くことにやりがいを感じ、人はこの世に存在しているだけで価値があるのだと信じていたのに、自分自身こそが、経験や知識の鎧で身を固めていたことに気付いたのです。

その後、アジア学院に1、2か月に一度〝里帰り〟をすることや、自然の中で子どもを遊ばせる会で出会った、気の合う友人と交わることで、私はだんだんと本来の自分を取り戻していきました。

その結果、と言いますか、集大成のようにつながったのが、現在、私がエネルギーを注いでいる、ミャンマーへの募金活動でした。新型感染症が世界的に流行し始めた矢先の2020年1 月にミャンマーを訪れることができたことは、今では本当に運命であり、神様の導きであったと感じます。

その一年後に、軍のクーデターが起き、アジア学院の友人の周りで起きる非情な出来事を聞くたびに、本当に暗澹たる気持ちになりました。友人の家の扉に残された、軍による銃痕や、日曜礼拝を共に守った教会のガラスが割られ、めちゃくちゃに荒らされた様子、美しかった国立公園の木々が燃えている様子、罪のない村人の遺体と、父親の死を目撃し、おびえきった表情で血を流す幼子。私が訪れた山奥の、親切な人々がたくさん住む美しい町は、国軍と、民主派の武装した市民の武力衝突により、今ではほとんど人の住まない場所となってしまいました。
去年の8月、佐久学舎の呼びかけを受け、自宅でコロサイ書を学ぶ機会を得ました。読み進めていく中で、1章24節の「今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている」(口語訳)というところが最も心に刺さりました。

オックスフォード訳には「キリストの死を否定するものではないが、終末の日までに、神の民は苦難を受けるという思想の反映」という注釈と共に、いくつかの聖書箇所が列記されていました。その一つが黙示録6章9節から11節の「小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。彼らは大声で叫んで言った、『聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか』。すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、『彼らと同じく殺されようとする僕(しもべ)仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように』と言い渡された。」という箇所でした。私は、あまりの衝撃に、しばらくこの聖書箇所から目が離せませんでした。大声で叫ぶ人たちに、ミャンマーの少数民族でクリスチャンの友人たちの姿が重なって見えたからです。
ミャンマーのことを忘れたくないという思いから、友人にもらった民族衣装を身に着けて礼拝に出ることもありました。しかし、共にあり続けるということは何と難しいことでしょう。世の中のニュースに対しても同様に感じます。様々な事件が起きた時、自分の中にある野次馬感情、興味本位、怖いもの見たさのような感情にふと気づくことがあり、自分の浅はかさ、冷酷さに愕然とすることがあります。
「今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けて」いるとパウロは語ります。

しかし、果たして人間は、どこまで本当に他人の苦しみを担うことができるのでしょうか?
自分の経験したことのない友の苦しみに対して〝共感〟することができるのでしょうか?
人間は不完全なものです。しかし、だからこそ、十字架のイエス様の存在に救われます。
コロサイ書の学びを通して、パウロの言葉にある〝キリストの苦しみのなお足りないところ〟を、パウロだけでなく、現代の、苦難を受けている友人たちだけでもなく、キリストご自身こそが、苦しんでいる人の側に立って、今も共に痛みを担い続けておられると確信したことは、私にとって本当に大きな慰めと希望になりました。

悩みつつも、募金活動を始めたのは、昨年10月のことです。佐久学舎の学びを提出した次の日に、ふとしたきっかけで、友人のところに寄付金を送れる手段があることを知ったのです。

支援をしたいと思っても、受け入れ先がしっかりしていないと難しいものです。幸い、その友人はNGOワーカーの経験を活かし、困難な状況下でも精力的に地域の人を助ける活動を行っていて、基盤がありました。また、アジア学院で培った確かな友情は、支援される側、する側といった関係が発生しても崩れる心配がなく、私に同じことが起きたら、必ず彼も祈り、支えてくれるという確信がありました。

呼びかけに真っ先に応えてくれたのは、他でもない自分の両親でした。驚きと共に、今までも私のやることを見守り、一番近くで支えてくれたことを思い、感謝しました。その後、現在、また過去に通っていた教会や地元の母教会、様々なところで知り合った友人、そして共助会の皆様へと、私の身近な人から、今ではお会いしたことのない方にまで広がっています。神様のお導きなしでは、こんなに支援の輪が広がることはなかったと確信し、感謝にあふれています。

私が共助会に入ったきっかけは、以前参加した総会で、福島や隣国・韓国のことを学び、大きな衝撃を受けたからでした。どの課題も深く、重く、自分一人では負い続けられないと感じました。しかし、目をそらしたくない、自分の問題として考え続けたいと思い、ここに身を置けば、それができると考えたのです。社会問題に関心を持ち、目をそらさずに考え、共に祈り続けるこの素晴らしい集まりの末席に加えて頂いたことを、改めて感謝しております。
最後にミャンマーの友人のことを思うと、心に浮かぶ讃美歌の歌詞を共有させて頂きます。
「球根の中には」という題名で讃美歌21に収録されているものです(575番)。英語の歌詞を、私なりに訳しました。アジア学院の朝の集いで、友人とよく歌った思い出の讃美歌でもあります。

球根の中には花が秘められている。
リンゴの種にはリンゴの木さなぎの中には隠された約束
やがて蝶は自由になる
寒く雪の降る冬の中には、待ちに待った春が
季節が巡り、初めて分かる 神様にしか見えないこと
どんな静寂の中にも歌がある詩とメロディーを見つけてみてどんな暗闇にも夜明けがある
あなたと私に希望をもたらす夜明け
過去が未来を拓く 奥義を秘めて
季節が巡り、初めて分かる 神様にしか見えないこと
私たちの終わりは私たちの始まり時は無限になり、疑いは信仰に命は永遠になり、死は復活にそして、ついには勝利を得る
季節が巡り、初めて分かる 神様にしか見えないこと

JASRAC 許諾番号 22023067-01

2022年こそ、平和で人と人とが助け合い、共に生きる世界が実現することを願いますが、人間の世が続く限り、悲しみや苦しみを避けることは難しいでしょう。しかしながら、どんなに私の想像を超えた酷いことが起きても、神様は全てご存知であり、必ず苦しむ側に共にいてくださると信じています。

人は不確かでも、神様は確かでゆるぎない存在であられます。

どんな世にあっても、私の仰ぐお方がどのようなお方であるかを、つねに再確認し、感謝と希望のうちに歩んでいきたいと願っています。

追伸:ミャンマー募金の進捗状況

12月に共助会の皆様から頂いたご寄付、20万6000円を、1 月の始めにミャンマーに送金し、難民キャンプ外で暮らす50世帯、258名(男性134名、女性124名 うち、ハンディキャップを持つ6名を含む)を支援することができました。一世帯当たりの支援金は約4000円です。今月に入ってからも引き続き、会員の皆様より、ご寄付を頂いております。この場をお借りして、皆様のお祈りとご支援に心から感謝申し上げます。

先日、ミャンマー支援に関わる方の話を聞く機会がありました。軍事政権になり、輸入がストップした今、肥料や種子、ガソリンなどの高騰、コロナの移動制限のために労働者が確保できない等の理由で、農業・漁業が最も多大な影響を受けているとのことでした。全体では5割ですが、友人が住むチン州では 7割が貧困状態にあり、1日2食しか食べられない人、または 1週間に1日、食べることを我慢している人は2割に上るそうです。また、生き延びるために、家や土地を売る人も多く、そうなれば食べ物を作ることもできなくなります。一番の問題は女性の貧困であり、貧困層の54~60%がシングルマザーなどで占められているようです。友人の支援者リストでも、夫を亡くし5人の子どもを育てる女性や、夫や息子、父親が市民の防衛軍に参加したまま戻っていない、または、過去の戦闘で失った家族が目立ちます。他にも、主要な現金収入であった、こんにゃく芋の中国市場が閉じられ、収入が途絶えた農家や、目や耳の障がいやガンなどの病気で働くのが難しい人々に支援が届けられています。

2月で、クーデターから1年が経ちますが、事態の収束は難しく、長期化すれば、ますます貧困の問題が顕在化してくるのは明らかです。どうぞ引き続き、お祈りに覚えて頂けると幸いです。 (浜松バプテスト・キリスト教会員)

→42頁から よりも嫌う感情が中国だけでなく根深くあることを聞くと私たちは今、どうすればよいか」ここに当時の情勢の危機感情があった。この特殊な感情は現代も根深く近隣諸国に生き続けていることを深刻に受け止めなければならないと思う。熱河省侵略の歴史を沢崎夫妻の尊い信仰を通して学ぶ時を与えられたと思うのである。(日本基督教団 久我山教会員)