タラントンの譬えから 飯島信

聖 書:マタイによる福音書25 章14~30節

はじめに オミクロン株の急激な感染拡大により、発題講演のお一人である荒川朋子さんと早天礼拝担当の阿部 真希子さんのお二人が参加出来なくなる中で行われた今回の修養会後半の部でしたが、私はお二人の原稿の代読を聞き終えた後、代読であっても圧倒されるような迫力を感じたのが正直な気持ちです。荒川さんの原稿を50分近くも読み続けられた角田芳子さん、また阿部さんの原稿を読み上げられた三田町子さんのお働きも本当に感謝でしたが、原稿を通して語られた内容は素晴らしいものでした。内容が素晴らしければ、たとえ代読であっても、これだけの感銘を覚えるものであることを改めて知らされたように思います。

その上で、荒川さんと阿部さんのお二人に短く応答し、閉会礼拝のメッセージに入ります。
荒川さんには、共助会の先達である3人の女性を取り上げていただきました。
この中で、私が多少とも交わりをいただいたのは晩年の沢崎良子さんです。山田松苗さんはお見かけしたことがあるだけで、言葉を交わした記憶はありません。山本(櫛田)孝さんは、お名前だけ存知上げるだけの関わりです。
それにもかかわらず、私は日本キリスト教史における共助会の存在意義を顧みる時の一つの視点として、女性たちが共助会をどのように生きたかを外すことは出来ないと思いました。戦前・戦時下・敗戦後のそれぞれの時代において、日本社会は厳然として男性中心の価値観を変えられずにいます。荒川さんが発題講演の後半で語られた「ジェンダー(性差)平等についての向き合い方」の問題は、共助会もまた真剣に取り組まなければならない問題だと思います。そのことを受け入れつつ、同時に私は、森 明が逝去前年、転地療養先の大磯で発会を準備し、その年9月に行われた女子協愛会設立の意味を考えたいと思います。私は、この設立に象徴されているのは、男女が神の前に全く対等な存在として覚えられている事実です。確かに共助会は時代の制約を受けています。帝国大学高等学校学生基督教共助会に入会資格が与えられたのは男性だけです。当時の帝大や旧制高校の学生は男性だけであり、そのため女子は別組織である女子協愛会を造らねばなりませんでした。にもかかわらず。少なくとも、女子協愛会に入会した女性たちは、明らかに、男子と全く対等に神の前に独り立つ信仰者としての道を歩み続けて来たと思います。
私がそのことを心深く覚えた場面があります。
それは、沢崎堅造の夫人沢崎良子が、夫の後を追って熱河に向かい、また熱河に到着した時の場面です。彼女はその時の様子を次のように記しています。
「私は主人より半年おくれて昭和17年10月14日、望をつれて京都を出発し、17日夜、承徳に着いた。承徳に行くについては夫を信頼し、彼の行くところいずこにも行くというのであるが、それだけではなく、私は私なりに渡満の意味を考えた。キリストに罪あがなわれ、救われた者として、やはりこの福音—よろこびのおとずれを、隣国の人々にのべ伝えなければならない。もちろん、私は何もできない。しかし、宣教のわざのために、キリストのために行くのだ。私は乏しい祈りの中にも、かの地には夫が待つのではなくして、キリストが私を待っていてくださることを信じた。」(飯沼二郎編「沢崎良子の手記」『熱河宣教の記録』、未来社、1965、87頁)

「汽車は大分延着して9時ごろ承徳に着いた。福井先生御夫妻……主人等に迎えられ、馬車で承徳教会に着いた。……すぐ礼拝堂に行き、望をおんぶしたまま、福井先生御夫妻及び兄弟達に囲まれて祈ったときは、どんなにふかい感激をおぼえたことだろう。前に先立ち給うキリストと、この地の兄弟姉妹、後には内地の友、それらの方々の祈りにみちびかれて、ここまで来たという感をふかくした。感謝と喜びにかたくなな心もくだかれて、今からは主にありて、おのれのない、新しい生活を始められるように祈った。」(『前掲書』89頁)

私は、沢崎良子のこの手記により明らかになることがありました。

沢崎良子は、夫が待つ所ではなく、キリストが待つ承徳の地へと向かったのです。「私は……宣教のわざのために、キリストのために行くのだ。私は乏しい祈りの中にも、かの地には夫が待つのではなくして、キリストが私を待っていてくださることを信じた。」「前に先立ち給うキリストと、この地の兄弟姉妹、後には内地の友、それらの方々の祈りにみちびかれて、ここまで来たという感をふかくした」と。

沢崎良子は、沢崎堅造の随伴者ではなく、キリストの十字架の前に独り立つ信仰者として熱河宣教に携わりました。それは、紛れもなく自立した個としての歩みであったと思います。

共助会は、これからの歩みの中で、荒川さんによって投げかけられた諸課題に向き合いたいと思います。そして、私たちがこれらの問題に取り組む前提は、キリストの前にただ独り立つ信仰者であり、キリストに在る友情に生き、キリストの他、自由独立を生きる者であることです。

次に、阿部 真希子さんのお話しから感じたことを述べます。 昨年、東京バプテスト神学校のアジアキリスト教史の授業でもミャンマーを取り上げ、日本で民主化を支援するミャンマーの方に来ていただきました。阿部さんが語られた「果たして人間は、どこまで本当に他人の苦しみを担うことができるのでしょうか? 自分の経験したことのない友の苦しみに対して〝共感〟することができるのでしょうか?」との問いは、私にとっても重いものです。ただ、そのような問いを持ちながら、現実にミャンマーの民主化運動支援に立ち上がっている阿部さんの姿は、私にとって大きな希望です。

阿部さんが共助会に入るきっかけとなった「ここに身を置けば、この場は、目をそらしたくない、自分の問題として考え続けることができる場である」と感じられたように、共助会はそのような場で在り続けたいと私も願っています。

それでは、用意した原稿から閉会礼拝のお話しをします。主題は「タラントンの譬えから」です。
昨年の10月の終わり、代務をしている北白川教会の墓前礼拝に参加しました。琵琶湖を望む小高い丘の上に教会墓地があり、墓碑には「神に知られたる者」との文字が刻まれていました。教会関係の墓碑は、多くの場合御言葉が書かれているのですが、北白川の碑文は違っていました。「神に知られたる者」。

ここでは、マタイによる福音書25章14節―30節のタラントンの教えを手がかりに、共助会のこれからの歩みについて私の思うところを述べてみたいと思います。まず、聖書の御言葉に着目します。14節から18節です。

14 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、しもべたちを呼んで、自分の財産を預けた。15それぞれの力に応じて、一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けて旅に出かけた。早速、165 タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに5タラントンをもうけた。17同じように、2タラントン預かった者は、ほかに 2タラントンをもうけた。18しかし、1タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。

タラントンとは何かですが、金額的に言えば、はるかに膨大なお金です。時代によって貨幣価値は変わりますが、ある聖書学者の調べたところ、ヨセフスの『古代史』によれば、ヘロデ大王の息子アルケラオスが継承したユダヤ、サマリア、イドゥマヤの地域から得た税収が年600タラントンです。また、ガリラヤとヨルダンを支配したアンティパスが得た税収が年200タラントンです。それから考えてみても、1タラントンとは、現在の貨幣価値の1千万はおろか、億を下らない大きな数字であることは間違いありません。そして、主人が旅行に出かける際に僕、たちに彼の財産を分け、ある僕に5タラントン、別の僕に2タラントン、そして3人目の僕に1タラントンを預けたと言うのです。

19節から23節。

19  さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。20まず、5タラントン預かった者が進み出て、ほかの5タラントンを差し出して言った。『御主人様、5タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに5タラントンもうけました。』21主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』22次に、2タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、2タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに2タラントンもうけました。』23主人は言った。忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』

5タラントン預かった者と2タラントン預かった者は、それぞれ他に5タラントン、2タラントンを儲け、主人の財産を増やします。そのことを主人は喜び、その喜びを共にするようそれぞれに呼びかけます。しかし、1タラントンを預けられた者は、違いました。

 24節、25節。

24  ところで、1タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、25恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』

即ち、預かった1タラントンの財産を、少しでも減らしたらどうなるかとの主人への恐れから、何もせずに地中に隠しておいたと言うのです。それに対し、 26節、27節。

26  主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。27それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。

この僕は、他の2人の僕と違って、1タラントンを動かす勇気がありませんでした。少しでも預けられた財産を減らしたらどうなるかとの恐れから何も出来ず、ただ時が経ち、主人が帰って来るのを待つだけでした。その結果、彼には主人の厳しい叱責と次の出来事が与えられたのです。

 28節から30節。

28  さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、10タラントン持っている者に与えよ。29だれでも持っている者はさらに与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。30この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

このタラントンの譬えから、私は幾つかのことを考えさせられました。

与えられたタラントン、金額にして想像すら出来ないほどの途方もない数字です。私は、1タラントンを地中に隠した僕の気持が分かるように思います。恐いのです。それをどう動かして良いかも分からない、動かす勇気が出ないのです。じっとしたまま、時が過ぎるのを待つ。恐らく、この1タラントンを主人から預けられたこの僕にとって、このことはまさに突如彼の人生を襲った試練であったのかも知れません。その試練に立ち向かう勇気が出ないまま、時が過ぎ去るのを待っていたのではないかと思いました。

それでは、5タラントンや2タラントンを預けられた2人にとって、このタラントンとは何であったのかと言うことです。先の僕は、試練と考えました。しかし、この2人にとって、タラントンは予期せぬ主人からの贈り物、想像もしなかった恵みでした。そして、主人に対し、力を尽くしてその恩に報いたいと考えたのだと思います。タラントンに対する向き合い方の決定的な相違、一方は恐るべき試練として恐れ慄き、他方は言い知れぬ感謝と喜びをもってタラントンに向き合いました。

私は、このタラントンとは、実は神様から一人ひとりに与えられたかけがえのない人生であると思います。そして、5タラントン、2タラントン、1タラントンとは、その人生をどのようにして生きるかが問われていると思いました。 私たちは、母の胎に命が宿された時から、神様によってタラントンを預けられています。それが5タラントンなのか、2タラントンなのか、1タラントンなのかは、人生の終わりに、神様から示されるのです。タラントンを増やすことがあるとすれば、それは神様の御前にあって、自らの生きる視線の先に神の国を捉え、天に宝を積むごとく生きることであり、タラントンを地中に埋めたままにしておくこととは、視線の先に神の国を捉えることなく、その視線は自分に向き、そこで閉じて、自分のために生きることに終始することだと思うのです。

私は、この4月、立川教会を辞任し、福島の被災した二つの伝道所の牧師になります。

コロナ禍の中で示された道でした。

2020年8月、同じく被災し、教団から多額の借入金を抱えたまま、牧師が召され、無牧となった教会を訪れました。中に入れず、外から見ただけでしたが、会堂も、牧師館も、支援によって立派に再建されていました。しかし、教会の集会案内の看板には何も書かれていませんでした。

それを見た時、私は、この教会に来なければならないのではないかと思いました。現在の立川教会なら、後任の牧師はきっと与えられる。しかし、信徒2人しかいないこの教会に来る牧師はいないと思えたからです。

結果として、その教会ではなく同じく被災した2つの伝道所に導かれました。

その一つである小高伝道所は、80歳を超える信徒が一人で教会を守っておられます。その方と共に礼拝を続けることが与えられた務めの一つです。

そして後一つの浪江伝道所は、3・11以来時が止まり、信徒は一人もいなく、再建の見通しは立っていません。その浪江で礼拝の明りを再び灯すこと、それが私の願いです。

東北教区から与えられた任期は3年です。まず3年取り組みを続け、その後のことは、神様に任せています。神様が必要とされればその地に留まり続けるであろうし、道半ばにして召されるかも分かりません。今は、彼の地でキリストが待っておられる、その招きに応えたいと思うのです。

基督教共助会の交わり、それは、己の人生の視線の先に、先立ちゆくキリストを捉え、その招きに応じる者の交わりです。神の国に生きる望みを抱いて生きる者の交わりです。

そして今、全国にいる120名余りの会員、240名を超える誌友の方々を覚えながら、この交わりをより信実なものへと進み行きたいと願うのです。お互いをかけがえのない友、かけがえのない存在として受け止め、この交わりから力を得て、それぞれに与えられた馳せ場に向かいたいと思います。

この交わりを支えているのは、「キリストの他、自由独立」と「主に在る友情」と言う二つのテーゼ、綱領です。この交わりが目指すものは、福音によって陶冶された人格の形成であり、キリストの十字架に在って友と呼び合える関係です。

プロテスタント、カトリックを問わず、教会、無教会を問わず、キリストの十字架の贖いと復活を信じる全ての者に開かれた団体、それが共助会です。

福音によって陶冶された人格、キリストの十字架に在って友と呼び合える関係。
私たちは、昨年夏に行われた修養会と今回の修養会を通して、神に知られた先達の中から、山本茂男、和田 正、沢 正彦、李仁夏、そして今朝は、櫛田 孝、山田松苗、沢崎良子を取り上げ、その福音的人格と主に在る友情の学びを深めて来ました。

そして、今、改めて思うのです。ここにおられる皆様お一人おひとりは、すでに先達らと同じく、神に知られたる者として歩み続けていると。

2022年、神様は、この小さき群れを福音宣教の最前線へ導かれています。その務めを、さらにそれぞれの持ち場にあって、力強く果たすものとなりたいと思います。

祈りましょう。    (基督教共助会 委員長・立川教会 牧師)