【表紙絵】ガリラヤ湖への思い 和田健彦
手元に終戦直後に出版されたと思われる、一冊の古びた文語訳の新約聖書がある。読みにくく難しい漢字や言葉も多く今まで開けて読むことはなかったが、子どもの頃、日曜学校にはこの聖書を持たされて通っていた。その後苦境の時には、ぶつぶつと聖句を暗唱しながら歩いていたこともあったが、数少ないその聖句はこの聖書から与えられていた。
表紙には、裏表紙にまたがって、ガリラヤ湖と思われる湖周辺の風景が描かれ、天気のいい昼下がりであろうか、湖を見下ろしながら小高い田舎道を、荷物を背負わせたロバと、とぼとぼと歩いている人物、少し離れて先を行く人物が一人いる。そして湖の対岸に小高い山が描かれていて、実に平和で穏やかな風景は、描いた画家の信仰が感じさせられていた。
この親しみあるガリラヤの風景を想像しながら思うことは、漁師であるペテロとアンデレの兄弟が、湖で網を打っている場に、通りがかったイエスが「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ4章19節)と呼びかける場面である。二人はただちに網を捨てて従うが、私はこの出来事を想像しながら、何故あっさり生業としている漁業の商売道具を捨て、イエスに従って行ったのか、すっきりしないでいた。親や残された家族の日々の生活は大丈夫なのかと想像せずにはおれなかった。
しかしやがて、イエスとの出会いによって、ペテロたちの心が変えられたことに思い至り、イエスの呼びかけに従わざるを得なくなったことを理解するようになった。同時にこのことは、犠牲を払うことなしにイエスに従うことはできないことを思った。そういう緊張感を文語訳聖書には「我に従ひきたれ、然さらば汝らを人を漁すなどる者となさん」格調高い語調と簡潔さで表されている。
読みやすく、またわかりやすく書かれた口語訳聖書と合わせて読むとよいとも思い、近くに置いたりしている。
(日本基督教団 鶴川北教会員)